第7章:朧な剣と虚ろの心ー3
光が爆ぜる。
視界が眩い白と純金の色で塗りつぶされ、鼓膜が引きちぎれるほどの衝撃波が、遺跡の石造りの扉や周囲の崖を砕き割った。
手のひらを通じて流れ込んでくる、圧倒的な力。
スライム、ゴブリン、クリスタルワイバーン、アークサーペント、そして黒龍。これまで俺が喰らい、纏ってきたどのモンスターとも根本から異次元の、圧倒的な概念の領域。
人でありながら神の王へと至った存在――神王獣ラナ。
俺の全身の細胞の一つひとつが、凄まじい熱量によって組み替えられていく。
骨がミシミシと響き、筋肉の繊維が異光を放ち、毛細血管の端々に至るまで、膨大な魔力が濁流となって駆け巡った。
『ふふっ……すごいでしょー? ステータスも、武装化の出力も……全部、二十倍だよ!』
脳内で、ラナの澄んだ声が軽やかに弾けた。
『それにね、私が聖剣から受け継いだ神獣従属の権能も、ぜーんぶあんたに預けたから。……あいつを、私たちの全部で叩きのめして!』
(ああ……任せとけッ!!)
――パァァァァァァンッ!!
光の収束と共に、俺の新たな姿が、崩れかけた遺跡の前に顕現した。
全身を覆い尽くすのは、磨き抜かれた白銀と、不吉なまでに神々しい白金の装甲。
背中からは、かつて武装化した黒龍の翼がさらに数倍の大きさと質量へと膨れ上がり、先端から青白い魔力のジェット噴射をバチバチと放電させている。
そして、飛竜の輝きを取り戻したクリスタルワイバーン。両腕と胸部を覆い以前の数十倍の厚みと密度を誇り、多角形の絶対防壁を常時展開可能なほどに光り輝いていた。
左の腰には、雷を極限まで圧縮させたアークサーペントのロングクナイ。鞘から漏れ出る紫電の火花だけで、足元の岩肌が黒くドロドロに熔けていく。
顔全体を覆う無骨な兜はない。
目元から額にかけて可変式の甲冑が配され、そこに俺という人間の輪郭と怒りに燃える瞳が残されていた。
からっぽだった俺の肉体に、三体の神獣、そして神王獣となった勇者の魂が宿る。
人間を超越した、絶対の破壊者。
「……ほう?」
舞い散る土煙と衝撃波の向こう側。
魔剣オボロを構えたカシアンが、三白眼の瞳をこれ以上ないほど大きく見開き、爛々と歓喜に滾らせた。
「こいつは……驚いたな。人間の死体をそのまま喰らって、自分の肉体に上書きしたのか……? クハッ……ハハハハッ! 素晴らしい! 最高だぜ! ただのゴミだと思っていたお前が、まさかそんなイカれた反則能力を隠し持っていたとはなぁッ!!」
カシアンは心の底から狂喜し、血に塗れた口元を歪に吊り上げた。
「いいねぇ……実にいい! そうでなくちゃあ、この魔剣オボロを手に入れた甲斐がない! 最高の試し斬りの相手だァッ!!」
地面を蹴る音すら聞こえなかった。
次の瞬間には、カシアンの姿が虚空へと消え、コンマ一秒で俺の眼前に迫っていた。
漆黒の刀身――魔剣オボロの一閃。
――魔剣オボロ・第一の能力。
太刀筋に朧を纏い、あらゆる物理防御と回避を無視して、相手の肉体を断ち切る絶対切断。
黒い刀身が通った軌跡の空間そのものが、まるで紙を破るように削り取られていく。
人間なら、どんな重装甲の騎士であろうと一瞬で横二つに切断される死の斬撃。
だが――。
「舐めるなァッ!!」
俺は思考よりも早く、クリスタルワイバーン絶対防御を前方へ突き出した。
ピキィィィィィィンッッ!!!!!
放たれたのは、青澄んだ透明な多角形結晶の絶対防壁。
それもただの防壁ではない。二十倍に跳ね上がった神王獣の魔力と、聖剣ラナの神聖な威光が上乗せされた、最上級レベルのまさに拒絶の盾。
ガアァァァァァンッッッ!!!!!
耳を裂くような重金属の激突音が響き渡り、魔剣オボロの黒き斬撃が、多角形防壁の表面で激しく弾け飛んだ!
火花と魔力の余波が放射状に吹き荒れ、遺跡の足場が数十メートルにわたって粉砕される。
「なに……ッ!?」
カシアンの顔から、初めて余裕の笑みが消え、驚愕の色が走った。
「防御不能の切り落としを……正面から殺しただと……!?」
『当たり前でしょ、バカ!』
ラナの怒りの声が、俺の脳内で豪快に響く。
『クリスタルワイバーンの防壁に、私の神王獣の防御力と聖剣の魔力を上乗せして、さらに出力二十倍だよ!? そんな魔剣の一撃で、私たちの怒りが破れるわけないじゃない!!』
(いくぞ、ラナ……! オルドたちの無念を、奴の身体に直接叩き込んでやる!!)
俺は背中の黒龍の機械翼を限界まで開放した。
ズドォォォォォンッ!!
爆発的な青白いジェット噴射が背後で爆ぜ、俺の身体は音速を超えた速度で急加速した。
視界が線になり、空気が悲鳴を上げる。
コンマ一秒でカシアンの死角――背後へと回り込む。
「なっ……速っ――」
「これは……オルドの分だァァァッッ!!」
俺は左腰からアークサーペントのロングクナイを一瞬で引き抜き、雷光を収束させた右脚で、カシアンの脇腹へ強烈な蹴りを叩き込んだ!
ドガァァァァァンッ!!
二十倍に跳ね上がった神王獣の膂力。
カシアンの身体は衝撃波と共に吹き飛び、遺跡の太い石柱を三本ブチ抜きながら、奥の岩壁へ深々と叩きつけられた。
瓦礫が崩れ落ち、土煙が舞い上がる。
だが――。
「……ハハッ、ゲホッ! 痛ぇなぁ……! 痛ぇ!!」
崩れた石を払いのけ、血の泡を吹き散らしながら、カシアンが壁の凹みから這い出てきた。
脇腹の肋骨が何本か砕けて折れ、赤黒く染まった白いコートはもはや白い部分は残っていなかった。 そして、その三白眼の瞳には、死の恐怖など微塵もなく、ただ狂暴な殺意だけが燃え盛っていた。
「認めてやるよ……! お前はさっきまでの勇者ごっこの連中とは、次元が違うバケモノだ! ……なら、こっちも本気で殺しにいくとしようかねぇ!」
カシアンが、魔剣オボロを静かに、胸の前で水平に構えた。
「――朧纏」
その一言が、静かに放たれた瞬間。
――スッ……。
カシアンの輪郭が、まるで水に落とした墨のように薄れ、空気に溶けて消え去った。
足音が消える。
風を切る気配が消える。
視線による殺気すらも、完全に消失する。
それだけではない。
俺の認識から、「今、自分は目の前にいたカシアンという敵と戦っていた」という記憶と認識そのものが、ズルリと削り落とされていく強烈な違和感。
――魔剣オボロ・第二の能力、朧纏。
(くっ……! 頭の中から……奴の存在が消えかかっていく……!?)
『負けないで!』
ラナの声が、俺の意識の根底を強く揺さぶり、失われかけた正気を繋ぎ止める。
『これが魔剣オボロの一番卑劣な力だよ! 自分の存在を世界から切り離して、相手の思考の死角から一方的に殺す……! でもね、そんな姑息な誤魔化し、私たちには通用しない!!』
直後。
何もない空無の空間――上下左右、前後あらゆる死角から、無数の黒い斬撃の線が同時に殺到した!
気配ゼロ。音ゼロ。
認識できない死の刃が、俺の肉体を細切れにせんと襲いかかる。
普通なら、ここで終わりだ。
どこから襲われていたかも理解できぬまま、肉片となって転がるしかない。
だが――。
「神獣ども……出ろッ!!」
俺は両手を大きく広げ、地を叩いた!
――ガアァァァァァァァンッ!!
俺を中心として、半径数十メートルの全方位から、眩い光の柱が無数に立ち上がった。
現れたのは、かつてミリアや遺跡でラナに従っていた神獣たちの幻影――いや、実体化された無数の重装甲の獣たち。
狼の形をした紫電の獣、巨大な結晶の鳥、炎を纏う巨獅子、岩でできた大蛇。
その全ての神獣たちの身体には、俺のクリスタルワイバーンの絶対防壁が重装甲となって纏わされている。
【神獣従属】×【絶対防壁】の、圧倒的な全方位絶対陣形。
チュチュチュチュチュンッッ!!
空間から飛び出したカシアンの無数の朧の斬撃が、全方位を埋め尽くした神獣たちの防壁と真っ正面から激突し、虚空で火花を散らして防がれた。
『この子たちはね……アタシが友達って呼んでた神獣たちだよ!』
ラナの悲痛な、そして怒りに満ちた声が響く。
『自分たちの主を殺された怒りを……今、あいつに返してやるんだよ!!』
「そこだァァァッ!!」
神獣の一頭の防壁が、わずかに歪んだ瞬間。
俺はカシアンの不完全な位置を完璧に捕捉した。
どんなに認識を消そうと、剣を振るう以上、その一撃の起点には必ずカシアンの肉体が存在する。
俺は右手のアークサーペントのロングクナイを、歪んだ空間目がけて極限の雷光と共に投げつけた。
バチィィィィィィンッッ!!
空を裂いた雷剣が、空間の歪みに深々と突き刺さり、そこから膨大な紫電が爆ぜる。
瞬間、カシアンの姿が一瞬だけ実体として空中に浮き彫りになった。
「なっ……しま――」
雷剣と、俺自信が磁石のように引き合い、俺の身体が雷速でカシアンの目の前へと瞬間移動した。
空中での瞬間移動。
「これは……リュグナと、女パラディンの分だぁぁぁぁっッ!!」
俺は右手に回収した雷剣を振り上げ、相手の胸板目がけて極限の一閃を振り抜いた!
ズバァァァァァァァァンッッッ!!!!!
豪快な雷光の斬撃が、カシアンの胸から腹にかけてを深く深く切り裂いた!
鮮血が空中に舞い散り、カシアンは断末魔の悲鳴すら上げられずに地面へと叩きつけられ、深いクレーターを刻んだ。
「カハッ……! ガハッ……ッ!!」
血の泡を口から大量に吹き出しながら、カシアンは崩れた土の中に倒れ伏していた。
その手から、魔剣オボロが力なく零れ落ち、カラカラと音を立てて冷たい石畳の上へと転がっていく。
胸骨が粉砕され、内臓が焼け焦げた致命傷。
カシアンの三白眼の瞳から、急速に光が失われていく。
俺はゆっくりと空から舞い降り、カシアンの目と鼻の先に立ち下ろした。
「……ハッ……ハハ……」
カシアンは、途切れ途切れの息を吐きながら、血に濡れた顔で俺を見上げて笑った。
「すげぇな……。まさか、俺が……こんなところで……名前すら知らねぇやつに負けるとはなぁ……」
「黙れ」
俺は冷たく言い放った。
「……オボロが……泣いてるぜ……。もっと……人間を斬りたかったってよ……」
「喋るな。お前に残された言葉なんて、一文字もない」
俺は右手のクリスタル手甲を固く握り締め、力なく横たわるカシアンの頭部目がけて、静かに、そして容赦なく拳を振り下ろした。
――ドスッ。
重い音が響き、カシアンの全身から完全に力が抜けた。
エドラの剣聖と呼ばれた異常殺人鬼の命が、静かに潰え去った瞬間だった。
◆
風が、吹いた。
無数に召喚されていた神獣たちの姿が、一頭、また一頭と柔らかな光の粒子となって空へと溶けて消えていく。
俺の全身を覆っていた神王獣の機械的な重装甲も、ガラガラと砂のように崩れ去り、元の泥と汗にまみれたただの服へと戻っていった。
身体から一気に力が抜け、俺はその場に激しく膝をついた。
凄まじい脱力感。呼吸が荒く乱れ、荒野の冷たい空気が肺を焼く。
俺のすぐ横には、静かに横たわる少女ラナの遺体。
『……終わったね』
頭の中で、ラナの声が小さく、けれどどこか晴れやかに聞こえた。
『ありがとう……。私の自慢の師匠を……ちゃんと殺してくれて。本当はね、自分自身で決着をつけられなかったこと、すごく悔しかったんだ』
「……お前のせいじゃない。悪いのは、全部あのカシアンってクソ野郎だ」
『うん。でもね……これで、私も安心して眠れるよ。……そろそろ本当の死が、来ちゃうからさ』
ラナの声が、徐々に透き通るように薄くななっていく。
聖剣ラナの能力が解除され始め、一時的に現世に留まっていた彼女の魂の余韻が、完全に消え去ろうとしていた。
(待て……! このままじゃ、お前が……完全に消えちまう……!)
俺は必死に手を伸ばし、ラナの冷たい胸元へと触れた。
一度、俺の能力で神王獣というモンスターの死骸として認識された存在。
ならば――俺の装飾品化の条件は、完全に満たされている!
「ラナ……少しだけ、お前の心をもらうぞ」
『え……? うん……いいよ。アナタと一緒なら……どこへでも行ける気がするから』
俺は意識を極限まで集中させた。
ラナの肉体や骨ではなく、彼女が最後まで失わなかった勇気、優しさ、そして魂の純粋な概念だけを、俺の能力で優しくすくい上げるイメージ。
スゥ……ッ。
ラナの胸の奥から、美しく透き通った桃色の光が集束し、俺の掌の上へと舞い降りた。
それは、涙の粒の形をした、小さく儚く輝く銀混じりの桜色の宝石。
「――装飾品化」
俺が小さく唱えると、その桃色の宝石の周りに、細く繊細な銀のチェーンが自ずと巻き付き、一つの美しいペンダントへと変化を遂げた。
俺はそれを、自分の首へとそっと掛けた。
ひんやりとした、けれどどこか温かい感触が、俺の胸元にしっかりと宿る。
『わぁ……! すごい、私、ペンダントになっちゃった! これならずっと胸元で、特等席で冒険を見届けられるね!』
ペンダントを通して、ラナの明るい声がダイレクトに脳内に響き渡った。
もう消えることはない。彼女の魂は、俺の胸元で相棒として生き続けるのだ。
「……やかましくなりそうだな」
『ひどい! 命の恩人に向かってその言い草はないでしょ!』
俺は少しだけ、本当に久しぶりに、口元を緩めて笑った。
◆
俺は、古代遺跡の入口の脇に、静かにいくつもの墓標を立てた。
仲間を守るために散った、Sランク冒険者オルド。
最期まで騎士の誇りを貫いた、パラディンのリュグナ。
愛する者のために躊躇なく命を捧げた、女パラディン。
敬愛していた者に裏切られた、エドラのAランク冒険者三人。
彼らの遺品は遺跡の中だ。
冷たい石を積み上げて作った粗末な墓。
だが、カシアンの遺体だけは、どこにも葬らず、野晒しのまま放っておいた。
足元には、静かに転がる二振りの武具。
白銀の光を潜めた【聖剣ラナ】。
そして、邪悪な黒い気を放つ【魔剣オボロ】。
『その魔剣オボロ……素手で長く持たない方がいいよ、相棒』
ペンダントのラナが、心配そうに忠告してくる。
『持ち主の精神を削り落とす悪魔の刃だもん。……カシアンの心も、最初からあの剣に狂わされてスカスカだったのかもしれないね』
「……ああ。布で厳重に包んで、背負っていくよ」
俺は二振りの伝説の武具を堅牢な布で包み、自分の背中へと固く括り付けた。
聖剣と魔剣。千年前の戦争の象徴が、今、ただの雑用係である俺一人の背中に重くのしかかっている。
『ねぇ……王都に帰ったら、みんなになんて説明するの?』
「……オルドたちが、最後まで誇り高く戦って死んだこと。それだけは、嘘をつかずに全員に話す。……俺のバケモノじみた能力のことは、適当に誤魔化すよ」
『ふふっ、相棒らしいね。それでいいと思うよ』
俺は、左耳の黒龍のピアスを優しく撫でた。
背中に生える翼の感覚が、まだ皮膚の奥に温かく残っている。
英雄の栄光なんて、最初から欲しくもない。
俺はただ、生き残るために泥をすすり、逝ってしまった仲間たちの想いを胸に抱いて、この狂った世界を泥臭く歩き続けるだけだ。
遺跡の石門を振り返ると、涼やかな山風が、墓標の間を静かに吹き抜けていった。
「……行くぞ、ラナ」
『うん! 帰ろう、あの騒がしくて、愛おしいウルシア王都へ!』
胸元のペンダントを握り締め、俺は二つの伝説の剣を背負い、再び王都への道を歩み始めたのだった。




