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第7章:朧な剣と虚ろの心ー2

 最初から、純粋な力を求め、魔剣オボロのためなら他人の命など塵芥ほどにも思っていない、正真正銘のクズだ。


「ウルシア王国の連中の足掻きも、なかなか見ものだったぞ」


 カシアンは、何一つ痛痒を感じていないような軽快な足取りで、ラナの遺体の周りをゆっくりと旋回しながら言葉を紡ぐ。


「目の前でエドラの三人が一瞬で肉片に変えられ、勇者様であるラナは絶望で完全にフリーズした。……そんな中で、Sランクのオルドだけは、コンマ一秒で事態を把握していたよ。

 即座に俺の間合いから飛び退き、リュグナと女パラディンの前に立ち塞がって叫んだ。『構えろぉ! 魅了だ! カシアンが魔剣に魅了された!』ってな」


 想像が、嫌でも脳裏に鮮明に浮かび上がる。


 オルドのことだ。どんな地獄の中でも一番に危険を察知し、自分の命を盾にして仲間を庇う位置へ跳んだに違いない。


「はははっ! 魅了だと? 失礼なヤツだ。俺は正気だよ。オボロの美しさに魂を捧げているだけだ。……まあ、あいつがそうやってカッコつけて仲間を庇う姿が、無性に癪に障ったんでね」


 カシアンの三白眼が、冷酷に細められる。


「俺は、リュグナの喉元に刃を当てた」


 ――ッ!


 喉の奥が、ぎしりと不快な音を立ててすくんだ。


「……どうやって……そんな一瞬で……ッ」


「オボロの第二の能力だよ」


 カシアンは、自分の右手をひらひらと振ってみせた。


「オボロの放つ黒い気配は、斬撃を殺すだけじゃない。使用者自身の身体そのものに『朧』を纏わせ、他人の認識から完全に消し去る。視界、足音、気配……果ては『今そこに奴が立っていた』という直前の記憶すら、一時的に脳から削り落とす。だから、オルドが剣を構えた時には、すでにリュグナの喉元にオボロの切っ先が深々とめり込んでいたのさ」


 カシアンは、自らの喉元に指を突き立てる仕草をして見せた。


「ほんの少しの命乞いすらしないリュグナの頭越しに、俺はオルドと女パラディンに提案してやったんだ。『おい、どちらか一人が自殺しろ。そうすれば、残った二人は生かして外へ返してやる』ってな」


 吐き気が、激しい酸の味となって喉元までせり上がってくる。


「リュグナは『やめろ! 俺を殺せ!』と狂ったように叫んでいた。オルドは歯を食いしばり、血管が切れそうなほど血走った目で俺を睨み、何かを言いかけ……。――だが、その前に、一番最初に動いたヤツがいた」


 分かってしまった。


 聞きたくない。だが、カシアンの残酷な声が耳を塞ぐことすら許さない。


「女パラディンだ」


 カシアンは、笑いを必死に押し殺すような、歪んだ声で囁いた。


「あいつ、ほんの少しの迷いもなかったなあ。リュグナを心底愛していたんだろうな。顔を見れば一目瞭然だった。俺の条件を聞いた数コンマ一秒後には、自分の銀の長剣を逆手に持ち替え、躊躇なく、自らの喉笛に深々と突き刺した」


 胸が締め付けられるように痛む。


 旅の道中、無口で無愛想だったが、リュグナが料理を褒めると、頬を赤らめ嬉しそうに少しだけ頷いていた、あの女パラディンの横顔が脳裏を掠めた。


 カシアンは笑い声を堪えるたような声色で言う。

「血を大量に吐き散らしながら、何か満足げに呟いていたが喉を刺したから声なんて出ていなかった、リュグナを見つめて倒れかけた……その最中にな」


 カシアンは、ついにこらえきれなくなったように、大口を開けて「ヒャハハハッ!」と狂気の爆笑を吹き散らした。


「俺は、リュグナの首を、その場で豪快に跳ね飛ばしてやったんだよ!!」


 時間が、完全に停止した。


「絶望のエンディングとしては、最高の演出だろ? 『自分が死ねば愛する男は助かる』と信じて、自らの喉を斬り裂いた女の、まさに視界が暗転する直前! あの世に逝っちまう直前にだ! 目の前でその愛する男の首がポーンと空を舞うんだぜ? 

 意識が消え去るコンマ数秒の間に、全てが絶望と嘘だったと理解しながら死んでいく……。あの女の死に際の目! あの目ぇ!! あんな素晴らしい表情が拝めるなら! あんな極上のご馳走を味わえるなら! ……多少の下処理なんて安いもんだろ……違うか?」


「……」


 拳を握り締めすぎて、爪が手のひらの皮膚を突き破り、鮮血がボタボタと土に落ちた。


 だが、身体が動かない。脚が、金縛りに遭ったように地面へ縫い付けられている。


「オルドはな」


 カシアンは、少しだけ真顔に戻り、つまらなそうに鼻を鳴らした。


「目の前で仲間を二人同時に弄ばれて殺され、一瞬でブチ切れたよ。

 あいつは頭の回る奴だが、あそこまで己の存在理由を踏みにじられたら、正気でいられるはずもない。理性を完全に捨て、全ての力を大剣に束ねて斬りかかってきた。……今まで見たどんな冒険者よりも、鋭く素晴らしい踏み込みだったよ」


 想像できる。


 仲間を何より大切にしていたオルドが、どれほどの怒りと血の涙を流しながら大剣を振るったか。


「だがなぁ……オボロの前では、どれだけ凄まじい一撃も、ただの真っ直ぐな線でしかないんだよ」


 カシアンが、片手を横に小さく払う。


「太刀筋に朧を纏わせ、オルドが俺の至近距離まで踏み込んだ瞬間……あいつの身体は、上半身と下半身で二つにズレた。滑るように斜めに切断されて、そのまま床を転がっていったよ」


 俺は、強く目を閉じた。


 見たくない。想像したくない。なのに、脳が勝手にオルドの最後の顔を描き出してしまう。


「オルドの死に際の顔は……そうだなー。 嘘だろって顔をしてたな。自分という最高の武力が、何の手応えもなく切り刻まれたことが理解できなかったんだろう。頂きに立った者なんてのは、得てして惨めなもんだ」


 カシアンはそこまで一気に語り尽くすと、ふぅと満足そうに息を吐き出した。


「で……最後に残ったラナだが。あいつの絶望もまた、最高に美しかったぞ」


 ラナの名前が出た瞬間、俺の身体がピクッと過剰に反応した。


「最初は、何が起きたか一切理解できていなかった。エドラの仲間三人が一瞬で輪切りになり、ウルシアの頼もしいパラディンの首が飛んで、最強のSランク冒険者が真っ二つになる。

 ……十七歳の小娘の脳みそじゃ、それを現実として処理しきれなかったんだな」


 当たり前だ。誰がそんな理不尽な地獄を、即座に受け入れられるというのだ。


「だが、オルドの身体から溢れ出た血が自分の靴を濡らした瞬間、ラナは顔を凄惨に歪ませた。ボロボロと溢れ出る涙を拭うこともせず、震える手で聖剣ラナを握り直し、絶叫したよ。『カシアン!!』ってな。……師匠の名を叫ぶ、実に素晴らしい悲鳴だった」


 殺したい。


 この男の首を絞め上げ、その腐り切った臓物をすべて引きずり出して踏み潰したい。


 なのに、俺の身体は恐怖と絶望の過呼吸で、指一つ動かせない。


「ラナは、周囲に潜んでいた無数の神獣たちを一斉に呼び出した。聖剣ラナの第一の能力――神獣召喚と従属を全開で解放したんだ。遺跡の広い空間が、龍や怪鳥、巨獣の群れで足の踏み場もないほど埋め尽くされた」


 カシアンは、呆れたように首を振った。


「だが、あれは完全に悪手だった。狭い空間を味方で埋め尽くせば、自分自身の死角も増え、戦況の把握が遅れる。……そして、そういう混戦の死角こそが、我が魔剣オボロの独壇場なんだよ」


 姿も、気配も、記憶からも消して、死角から無慈悲に急撃を叩き込むオボロの朧化。


「神獣どもが叫びながら襲いかかってくるのを、俺は順番に後ろから首を跳ねてやった。所詮は野生のバケモノ、正面や左右しか見えていないからな。背後に回り込んで一閃するたび、神の獣たちの首がポロポロと転がったよ」


 数々の神獣たちが、ラナの目の前で次々と血の海に倒れていく。


 それを、彼女はどんな思いで……どんな恐怖で看取っていたのか。


「そして――最後の締めくくりだ」


 カシアンの目が、妖しく光る。


「お前は知らないだろうが。 って、ほとんど知らねえか……。 聖剣ラナの真の能力。使用者自身を、神王獣クラスの人型モンスターへと変貌させる第二の能力。……ラナは最後の最後、追い詰められてそれを行使しようとした」


 俺のみぞおちが、ドクンと激しく脈打った。


「変身の過程は、実に痛々しかったぜ。慣れていないからな。骨がミシミシと軋み、背中から巨大な翼が生えかけ、半分人間で半分神獣の、歪で美しい姿へとなろうとしていた。……フハッ、ポテンシャルだけで言えば、あの状態のラナには俺も苦戦したかもしれん」


 カシアンは、そこで酷薄に唇を歪めた。


「だがな……あいつはもう、心が完全にぶっ壊れていたんだよ」


 信頼していた師匠に裏切られ、目の前で仲間全員を惨殺され、絶望と怒りで精神がぐちゃぐちゃに砕け散っていたのだ。


「そんな不安定な精神状態で、聖剣の神聖な力が正しく応えてくれるはずもない。

 だから、俺は変身の途中で……身体が完全に神王獣に成り代わる直前の隙を突いて、オボロで正面からあいつの胸を貫いてやった」


 短く、残酷な宣告。


「半人半獣の中途半端な姿のまま、穴の空いた心臓を押さえて、あいつは倒れた。……かわいそうだろ?」


 カシアンは、足元のラナの物言わぬ遺体を、愛おしそうにつま先で突いた。


◆


「……なんで……なんでそんなこと、全部……楽しそうに……話せるんだよ……ッ!!」


 俺の絞り出した声は、血の味がしていた。


 カシアンは、当然の疑問を聞かれたかのように首を傾げた。


「?? 楽しかったからに決まってるだろ。何を聞いてたんだ? お前は」


 狂気の一言。


「俺は、魔剣オボロが欲しかった。この世の何よりもな。……そのためなら、国を売ろうが、師匠のフリをしようが、弟子を殺そうが、何だってする。全部、この最高の一瞬のための暇つぶしと準備だ」


 最初から。出会ったその瞬間から、すべてが折り込み済みの殺戮劇だったのだ。


「ラナのことは、別に嫌いじゃなかったぜ。素直で、筋が良くて、俺を信じ切っていた。……だからこそ、最高の絶望を咲かせる踏み台になってくれた」


 俺の胃の奥で、ドロドロとした黒い炎が爆発した。


「ウルシアもエドラも、魔族も八咫烏も関係ねぇ。俺は俺の欲しい力だけを貪る。……そしてな」


 カシアンの粘着質な視線が、ゆっくりと俺の身体を舐め回す。


「お前の持つ得体の知れない異能も、俺がいただく」


 心臓が跳ね上がった。


「ミリアの激戦。神獣二体の死骸のすぐ側で無傷で生き残った、不自然すぎるFランク。……お前、道中で何か隠していたろ?

 ただの雑用係にしては、俺やオルドの殺気にすら慣れたような、異様な目をしていた。……俺の勘は絶対に外れない。お前、何か面白い力を隠し持っている」


 見抜かれていた。


 俺が死体を貪り、武装化する異端の存在であることを、この怪物は本能で嗅ぎ取っていたのだ。


「まあ、何も隠していないただの鈍感で間抜けゴミなら……ここで首を跳ねて終わりだがな」


 カシアンはゆっくりと、魔剣オボロの柄に手をかけた。


 ドス黒い刀身が、鞘からわずかに覗く。


 周囲の空間が、それだけで熱を失い、歪んでいく。


「最後に、お前に一つだけ選択肢をやろう。今ここで俺の足元に土下座し、靴を舐めて命乞いをしてみろ。……気が向いたら、お前を俺の奴隷として生かしてやらんでもないぞ?」


 ふざけた条件。命乞いをしたところで、こいつが俺を惨殺して愉しむ未来しか存在しない。


 だが――恐怖で硬直した俺の脚は、冷たい地面へと屈しそうになっていた。


 その時だった。


『――ねぇ』


 脳裏に、直接、鮮明な声が響き渡った。


(……え……?)


 耳からではない。魂の根底に響く、懐かしく、そして生意気な少女の声。


『そんなヤツ相手に、土下座とかしないでよね。ダサすぎでしょ』


 俺の足元。


 血に塗れて冷たくなっていたはずのラナの遺体から――ふわりと、あまりにも清らかな蒼と金の光の粒子が立ち上り始めた。


『ふふっ、びっくりした? 死んじゃったけど……魂の端っこだけ、まだ残ってるんだよ』


(……ラナ……!? お前、生き……て……!?)


『うーん、正確には死んでるよ。でもね……聞いて、ちゃんと説明するから』


 ラナの声が、脳内で溢れ出す。


『聖剣ラナの第二の能力は融合。所有者の身体と魂を、神王獣クラスのモンスターへと強制進化させる力。……本当はね、あの時、私……変身を完成させかけてたの。でも心が折れて、隙ができて殺されちゃった』


 ラナの胸の傷口から、一筋の眩い光が溢れ出す。


『でもね、命が消える最後のコンマ一秒だけ……私の身体は、完全に神王獣として完成してたの。……だから、今のここにある私の身体は、人間じゃない。――【神王獣ラナという、死んだ一頭のモンスターの死骸】だよ』


(――ッッ!!!!)


 俺の頭の中に、稲妻が走り抜けた。


 俺の武装化が発動する絶対条件。


『人間以外の生物』。


『完全に死んでいること』。


 目の前に横たわっているのは、ただの少女の遺体ではない。


 聖剣と融合し、死の瞬間に完成された――神王獣という、最強のモンスターの死骸!


『そう。だからね……アタシを使って』


ラナの声が、愛おしそうに、そして怒りを込めて響く。


『あいつのこと……絶対に許さないで。アタシたちの仇を……討って!』


「……当たり前だァァァァァァッッ!!!!」


 やっと、俺の喉の奥から、腹の底からの叫びが爆発した。


 怯えていた脚に、全身の血液が逆流するほどの灼熱の熱が宿る。


 俺は膝をつき、最愛の人を撫でるように、ラナの冷たい頭部へと右手を力強く押し当てた。


「カシアン……ッ! 土下座なんて、死んでもするかよ!! ――俺とラナで、お前をぐちゃぐちゃにぶち殺してやる!!」


――触れた、瞬間。


 世界が、激しく裏返った。


『――武装化:神王獣ラナッッ!!』


 ドガアァァァァァァァァァァンッッッ!!!!!!


 暗闇の古代遺跡の前で、神々の怒りを超越した、圧倒的な光の柱が天を突いたのだった。


 ――天を突く光の柱が、古代遺跡の闇を真っ二つに裂いた。


「「グアァァァァァァァァァァッッッ!!!!」」


 俺の喉から、人間としての限界を超えた叫びが轟いた。


 それは俺自身の怒りの声であり、同時に俺の胸の中で脈動する、神王獣と化したラナの叫びそのものだった。


 光が爆ぜる。


 視界が眩い白と純金の色で塗りつぶされ、鼓膜が引きちぎれるほどの衝撃波が、遺跡の石造りの扉や周囲の崖を砕き割った。


 手のひらを通じて流れ込んでくる、圧倒的な力。


 スライム、ゴブリン、クリスタルワイバーン、アークサーペント、そして黒龍。これまで俺が喰らい、纏ってきたどのモンスターとも根本から異次元の、圧倒的な概念の領域。


 人でありながら神の王へと至った存在――神王獣ラナ。


 俺の全身の細胞の一つひとつが、凄まじい熱量によって組み替えられていく。


 骨がミシミシと響き、筋肉の繊維が異光を放ち、毛細血管の端々に至るまで、膨大な魔力が濁流となって駆け巡った。

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