第53章:炎獄の神獣の王ー2
「……国が一つ、一振りで? ちょっと、冗談でしょ」
俺のすぐ横で話を聞いていたラナが、思わず絶句して、掠れた声を漏らした。
国を一つ、消し去る一撃。
それはもはや、剣術でも魔法でもない。文字通りの広域殲滅兵器だ。
防げる、防げないという次元の話ではない。もし、そんなものをまともに一発でも撃たせれば。俺が死ぬとかそういう個人の問題ではなく、周囲の地形ごと、サーシャもシャリンもラナも、すべてがガラス化して完全に終わる。
「……なるほどな」
俺は、背もたれからゆっくりと身体を起こした。
その顔には、絶望も、恐怖もなかった。
「触れれば焼け焦げて蒸発し、剣を振られれば国ごと消し飛ぶ。
……神王獣。本当に、どいつもこいつも、笑えないくらいふざけたバケモノだ」
俺の口角が。
自然と、極めて獰猛に、醜く吊り上がった。
「国を一振りで、か……。絶望的な情報だな。だが、不思議と恐怖はない」
あまりの狂気的な被害数値に、会議室の学者たちが恐怖で息を呑む中。
俺の脳内はすでに、この絶対的な理不尽をどうやって力でねじ伏せ、蹂躙するかという殺戮の数式を、猛スピードで組み立て始めていた。
「サーシャ」
俺は、視線を隣へと向けた。
「お前の防壁で。その、国を消し飛ばす炎の剣とやらを、真っ向から完全に防ぎ切ることは可能か?」
俺の問いに、サーシャはしばらく深く黒い瞳を閉じた。
自身の持つ膨大な魔力量と、スルトの出力を、頭の中で極めて冷静に計算した後。静かに、重い口を開いた。
「……まともに広域で受ければ、いくら私の唄でも大陸ごと消し飛ぶわね。
でも。もし、展開する防壁の範囲を、私とシャリンちゃん、そしてラナちゃんの周囲数メートルだけにまで極限まで圧縮して、一点に強度を集中させれば……理論上は、防げるわ」
彼女は、確かな自信を持って頷き、そして、少しだけ不安そうに付け加えた。
「でも。そうしちゃうと……。 あなたを守るための防壁の余裕は、ゼロになるわよ?」
「ああ。……それでいい」
俺は、にこりと、凶悪に笑った。
「お前たちは、戦闘が始まったら俺から徹底的に離れろ。下手に近くにいると、巻き添えを喰らう。
……俺は、手に入れたばかりのフェンリルの影移動で、スルトの死角、あるいは影の隙間に直接潜り込む。
そして。奴が、あの国を消す炎の剣を振るうという思考をするよりも早く。コンマ数秒の神速でムラマサを突き立てて、一瞬で首を落とす」
「マグマの体は!? 剣が届く前に溶けるって――」
ラナが叫ぶ。
「ヤマタノオロチの絶対装甲に、フェンリルの神速を加える。一瞬の接触なら、溶け切る前に刃が届くはずだ」
俺はさらに、円卓に広げられた羊皮紙の地図を、ドスッ!と強く指で叩いた。
「万が一、俺の神速が間に合わず。あの炎の剣を振り下ろされる最悪の未来が来ても、問題ない。
シャリンの未来視で、その最悪のタイミングを察知してくれ。それを合図に、俺が魔剣ムラマサの巻き戻しを発動し、時間を過去へ戻す。
……殺せるまで。何度でも、何十回でも、何百回でも時間を戻して。奴の隙を突いて殺す。ただ、それだけだ」
静寂。
最高戦略会議室に、水を打ったような、痛いほどの沈黙が落ちた。
完璧な、そして狂気に満ちた神殺しのプロセス。
宮廷魔導士や第一級の歴史学者たちは。
俺が、この世界において生ける神獣の王、不可侵の天災として恐れられている神王獣を。
ただの効率的に処理すべき討伐対象として淡々と解体し、作戦を立てているその圧倒的な狂気に触れ。
完全に声を失い、魂を抜かれたように青ざめていた。
「殺し方は決まったな。……おい、馬車を出してくれ。今すぐ南へ向かうぞ」
俺の冷酷な命令に、誰も異を唱える者は存在しなかった。
アリス王都を出立し、南へと強行軍で装甲馬車を走らせること、約二週間。
王都近郊の豊かな緑や生命の気配は、南へ進むにつれて完全に消え失せた。
大地は、至る所から高熱の有毒ガスが噴き出す、ひび割れた黒い岩肌へと変貌している。
頭上の空は、分厚い火山灰と黒い噴煙で常に赤黒く濁り、太陽の光を遮っている。代わりに、雪のように白い、だがひどく熱を持った灰が、絶え間なく地上へと降り注いでいた。
馬車の分厚い鉄の扉を一歩開ければ。
呼吸をするたびに、肺の粘膜が内側から焼け焦げるような凄まじい熱気が、喉を激しく焼いた。
「あ、あついよぉ……おにいちゃん……お水、お水飲む……」
シャリンが、汗をだらだらと流しながら、馬車の中で俺の背中に力なくもたれかかっている。
エルフという森の種族にとって、この極端な熱と乾燥の環境は、人間以上に苛酷なのだろう。
「大丈夫よ、シャリンちゃん。すぐ楽にしてあげるからね。――冷涼の唄」
サーシャが、シャリンの額の汗をハンカチで拭いながら、その透き通るような美しい声で、静かにハミングを口ずさんだ。
その瞬間。
彼女たちの周囲にだけ、大気中の異常な熱を完全に遮断する、薄い氷の膜のような涼しい結界が球状に展開された。
馬車の中の温度が一気に下がり、シャリンが「はぁ……すずしい……」と安堵の息を漏らして、すぐにすやすやと眠りについた。
本当に。
サーシャの防壁とサポート能力は、この世界においても破格の利便性と信頼性を誇っていた。彼女がいなければ、スルトの縄張りにたどり着く前に、俺たちは熱中症と有毒ガスで全滅していただろう。
「……見えてきたよ、相棒。……あそこが、地獄の釜の入り口だね」
馬車の窓から外を窺っていたラナが、細い指先で前方を鋭く指差した。
黒い火山山脈の中心。
そこには、大地が直径数キロにわたって大きくすり鉢状に陥没した、巨大なカルデラがあった。
その底で。
ドロドロとした赤黒い、数千度を超える巨大なマグマの海が。
まるで、地球の血液のように、ボコボコと不気味に煮え滾っている。
そこはまさに、王城の文献に記されていた通りの、生ける天災の巣窟――【地獄の釜】だった。
「……ここで馬車を降りる。全員、持ち場につけ。準備はいいな」
俺は、馬車の扉を蹴り開け、熱風の吹き荒れる黒い岩肌へと降り立った。
俺は、腰のベルト――ヤマタノオロチのバックルにそっと手を当て。
同時に、右足首の靴の踵にある、フェンリルの銀翼の装飾品に全意識を集中させた。
ゴォォォォォォッ!!
肌を、装甲の隙間を直接焼き殺さんとするほどの、圧倒的な熱風が吹き荒れる。
だが。俺の瞳の奥、網膜の裏側で渦巻いている魔族への復讐の殺意は。
この地獄の釜のマグマすらも、一瞬で凍りつかせるほどの、絶対零度の冷たさを秘めていた。
「もたもたしてんじゃねぇよ、神王獣スルト」
俺は、マグマの海に向けて、魔剣ムラマサを抜き放ち、声を張り上げた。
「……お前のその、国を滅ぼす自慢の炎ごと。俺の魔剣ムラマサで、切り刻んでやる。さっさと出てこい」
俺の放った、剥き出しの狂気的な殺気に呼応するように。
――ボゴォォォォォォォォォォォォンッッッ!!!
ブクブクと泡立っていた眼前の巨大なマグマの海が。
不自然に、まるで巨大な山が一つ海面から浮上するかのように、大津波となって上空へと隆起し始めた。
世界を、この時代のすべてを焼き尽くす炎の巨人が。
今、その絶望的な威容を、現そうとしていた。




