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第51章:神王獣フェンリルー2

 漆黒のオーラを限界まで放つ魔剣ムラマサを構え、大地を砕くほど強く踏みしめて、その時を待った。


 直後。


 先ほどシャリンが視た、そして俺が一度体験した最悪の未来の通り。


 俺たちの真上。


 上空の雲の影から、フェンリルの巨大な顎が、世界のすべてを食い破るようにして出現した。


 空に巨大な大穴を開けるようにして現れた、空間ごと森を飲み込もうとする規格外の絶死魔法。


 ガガガガガガガガガガガッッッ!!!


 無限の大顎が、俺たちを空間ごと消滅させようと、無慈悲に閉ざされようとした。


 だが。


 その巨大な星のギロチンは。


 俺の指示通りに、サーシャが全魔力を注ぎ込んで頭上に展開した聖域に、真っ向から激突した。


 ――ギィィィィィィィィィィィンッッッ!!!


 空間を削り取ろうとする捕食の概念と。


 あらゆる物理・魔法的破壊を拒絶する守護の概念。


 二つの絶対的な理不尽が激突し、凄まじい衝撃波と、大気がガラスのように軋む不快な音が、周囲の木々を木端微塵に吹き飛ばしていく。


「い、っくぅぅぅ……ッ!! くぁぁぁぁっ!!」


 サーシャが、防壁を通して伝わる規格外の重圧に、口元からドクンと鮮血を吐き出した。


 彼女の細い脚が、限界を超えた負荷にガタガタと悲鳴を上げて震える。


 だが。


 彼女は、絶対に唄のトーンを落とさなかった。


 血まみれの唇で、狂気的なまでの執念で、光の旋律を紡ぎ続ける。


「私を……誰だと、思っているのよッ!! 私が絶対守るのよォォッ!!」


 サーシャの命を削った絶対防壁が。


 神王獣の、空間をも消滅させる理不尽な圧殺を、ギリギリのところで完全に相殺して、上空で支え切っていた。


 フェンリルの巨大な顎が、光の壁に阻まれ、それ以上一ミリも下へ降りてこられない。


 顎が、物理的に固定された硬直状態。


 ――この一瞬。この、完璧な死角からの反逆の隙を、俺は待っていた。


「今だ、ラナ!!」


「墜ちろォォォォォォォワンちゃんんんッ!!!」


 防壁の上部。フェンリルの大顎からすれば、完全な死角で待ち構えていたラナが。


 神王獣ラナの神聖なオーラを全身から爆発させ、防壁に顎を止められて身動きが取れないフェンリルの鼻っ柱へ目掛けて。


 自身のすべてを乗せた、極太の光の一撃を全力で振り下ろした。


 ――ガギィィィィンッ!!


 神王獣のオーラを纏った光の剣閃が、フェンリルの強固な防壁を紙のように貫通し、その巨体を、上空から力任せに地上へと叩き落とす。


 ズドォォォォォォォォォンッッ!!!


 無限の大顎を形成していた絶死魔法が強制的に解け、元の白銀の巨体に戻って、無様に荒野の大地へと墜落した神王獣フェンリル。


 数万トンの質量が落下した衝撃で、大気に巨大なクレーターが穿たれるようにして倒れ伏した。


 その、完全に無防備となった真下には。


 すでに、魔剣ムラマサの漆黒のオーラを限界の限界まで練り上げ、一撃の威力を一つの点へと極限集中した。


 五体の深緑装甲の俺が。


 静かに、だが底なしの絶対の殺意を宿して待ち構えていた。


「世界の抑止力だか、十王の監視だか。……そんなものは、知ったことか」


 俺は。


 必死に立ち上がろうとして、その金色の瞳を激しく見開いたフェンリルを真っ直ぐに見下ろし。


 五人の俺が、腰の捻りと、神王獣ヤマタノオロチのバケモノじみた膂力のすべてを込めて、漆黒の魔剣ムラマサを突き出した。


「俺の、復讐のための糧になれッ!!」


 ズドォォォォォォォォォォォッッッ!!!!


 五つの、空間を漆黒に染め上げる閃刃が。


 フェンリルの、最も防御が薄く、脆い喉元の肉を正確に貫き、硬い頸椎の骨を砕き、その首の裏側までを完全に貫通した。


 さらに、刺さったムラマサの刀身から、俺のどす黒い怨念と殺意の魔力が爆発的に解放される。


 刃が、フェンリルの体内を内側から無残に斬破し、内臓を黒い炎で焼き尽くしていく。


「ギ……ガァァァ、ァ…………」


 神狼の喉から、呪詛のような最後の血の泡が漏れた。


 その、周囲を圧倒する威圧感を放っていた金色の瞳から、急速に生気の光が失われていく。


 白銀の巨体が、電気を流されたように数度大きく痙攣した後。


 周囲の森の木々を派手に薙ぎ倒しながら、ズシン、と重い音を立てて。


 天災たる神王獣フェンリルは。


 俺の足元で、完全に沈黙した。


 ――静寂が、再び深淵の森を支配する。


 俺は、フェンリルの死骸から、肉を引き裂く不快な音と共に魔剣ムラマサを乱暴に引き抜き、ヤマタノオロチの全身装甲を解除した。


 ハァ、ハァ、と、過呼吸のように肺が焼けるように痛い。


 脳の血管が切れそうなほどの、五秒遡行の反動。


 だが、その痛みの熱さこそが、俺がまだこの地獄で生きており、魔王の首へと一歩ずつ確実に近づいている証拠だった。


「……やった……おにいちゃん、本当に、勝ったぁ……!」


 シャリンが、足の力が抜けてへたり込み、涙で顔をグシャグシャにしながらも、嬉しそうに、安堵の声を上げた。


「はぁ、はぁ……。本当に、神王獣を倒しちゃったわ……。あなた、本当に何者なのよ……」


 口元の血を手の甲で無造作に拭いながら、サーシャが信じられないというように、呆然とフェンリルの巨大な死体を見上げている。


 彼女の防壁がなければ、俺たちは空間ごと消え去っていた。


「ナイス! 相棒! 完璧なタイミングだったよ!」


 上空から光の翼を消して降り立ったラナが、実体化した温かい手で俺の背中をバシッと力強く叩いた。


 シャリンの未来視による、死の先読み。


 俺の五秒巻き戻しによる状況の反転と、ヤマタノオロチの暴力。


 サーシャの、物理も魔法も通さない絶対防壁。


 そして、俺の指示を信じ切ったラナの神速の追撃。


 この場にいた、誰一人。どのピースが一つ欠けていても、俺たちはあの無限の顎の前に全滅していた。


 この狂った世界で。


 俺たちの手札が、世界の理不尽を、神王獣という天災を、完全に凌駕した瞬間だった。


「……メインは、これからだ」


 俺は、喜びには一切浸らず、ゆっくりとフェンリルの巨体に近づき、その血に濡れた白銀の毛皮に、静かに右手を触れた。


「……喰らわせてもらうぞ、神狼。お前のすべてを」


 俺の異能、武装化を発動する強烈なイメージを脳髄の奥で描く。


 ズゴォォォォォォォォォッ!!!


 瞬間。


 小山のようなフェンリルの死骸が、目も眩むような白光と、ドス黒い瘴気へと変換され。俺の右腕から、身体の奥深くへと激流のように流れ込んできた。


 莫大な、氷のように冷たい魔力が俺のすべての細胞と融合し、体内に魔力回路を形成し、強引に引き裂き、拡張しながら、新たな形を成していく。


 それは、ヤマタノオロチを喰らった時よりも、はるかに暴力的で、力の奔流だった。


「……これが、フェンリルの武装化か」


 光が収まった後。


 俺の全身を覆っていたのは。


 神々しい白銀の毛皮と、無機質で冷たい流線型の機械的な装甲が、極めて複雑に、そして美しく絡み合った、全く新しい全身装甲だった。


 ヤマタノオロチの、あの重厚で圧倒的な質量と膂力を持つ防衛特化の装甲とは、全くコンセプトが違う。


 極限まで空気抵抗と無駄を削ぎ落とした、敵を暗殺し、一瞬で屠るためだけに特化された、異次元のスピード特化型のフォルム。


 俺は、試しに軽く地面に足を踏み込んだ。


 ただ、それだけで。


 バンッ!


 空気が爆ぜ、景色が一瞬でブレ、気づけば三十メートルほど前方の木の上に移動していた。


 身体が、羽毛のように軽い。いや、重力の概念から切り離されたかのようだ。


(……神速。そして……)


 俺が、自分の足元に視線を落とすと。


 俺の落とす真っ黒な影が、俺自身の意思に呼応するように、ゆらゆらと、生き物のように滑らかに波打っていた。


(影移動……。フェンリルの、あの影に潜み、空間を無視して転移する絶対的な機動力。……完全に俺のものになったぞ)


 これなら、いかなる強固な城壁を持った敵拠点だろうが、物理的な距離を無視して瞬時に侵入し、敵の死角から首を刎ねることができる。


「おにいちゃん、かっこいい……! 白い正義の味方みたい!」


 シャリンが目を輝かせてはしゃぐ。


 正義の味方、という言葉に、俺は思わず鼻で嗤いそうになった。


「ほんと、毎回毎回デタラメな能力だよねぇ……。あたし、ちょっと嫉妬しちゃうな」


 ラナが、呆れたように息を吐く。


 俺は一度深く深呼吸をし、全身の装甲を解除するイメージを描いた。


 白銀の毛皮と機械装甲がシュルシュルと形を崩し、フェンリルの一部分を、俺の両足へと収束していく。


 最終的にそれは、俺の右足首に、鋭い銀翼を模した無機質なシルバーのアンクレットとして定着した。


(前の世界の、あの薄っぺらい魔力濃度なら。展開してもせいぜい脚部を覆う、ただの足防具止まりだっただろうな)


 だが、この異常な魔力濃度を誇る過去の環境下では違う。


 いざとなれば、いつでも先ほどの白銀と機械の全身装甲へと、完全顕現させることができるのだ。


 腰のベルトには、八人の分身と絶対の防御力と膂力を誇る神王獣ヤマタノオロチ。


 そして右足首には、神速と影への潜行を可能にする神王獣フェンリル。


 アンクレットが、俺のドス黒い殺意に呼応するように、鋭い銀の光を小さく放った。


 魔族をすべて屠るための、この世界における第一の神王獣討伐。


 俺の狂気に満ちた復讐の旅は。今、圧倒的な機動力という翼を得て、さらに理不尽に加速する。

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