第11章 「七つの矮星が降る夜に」第3話
大帝都劇場のステージは、いつ見ても広く感じる。
伝統と格式の高い、アジア最高峰のステージ。
客席の奥行きが、百合々咲のレッスン室とは違う寸法で奥まで届く。
ステージ上には、着々と舞台装置が設置されていた。
森の緑が、布の中から出てくる。
城の壁が、劇場の床に初めて重みを落とす。
舞台創造科は、慌ただしく動く。
ロゼの指示と、侑樹の指示に加えて、
劇場スタッフの指示まで飛んでくる。
3つの声が、同じ箱の上で交差する。
照明の角度。音響装置の操作方法。
学院で練習してきたが、いざ本番同様の機材となると、どこをどう触ればいいか分からなくなっている者もいた。
レッスン室のスイッチと、大帝都のコンソールは、同じ名前でも別の生き物だった。
そこに、光葉や瑠々たち上級生が、
すかさずフォローに入る。
自分たちが先輩たちから教わったことを、
そのまま1年に教える。
楽屋では、衣裳班がそれぞれの役者に衣装を渡していた。
大帝都の廊下を抜けた先の部屋は、レッスン室より狭い。狭いのに、ハンガーの列が壁を埋めていた。
「みなさん、キツくないですか?」
華が、カーテンの向こうの役者たちに向かって声をかける。採寸や調整は完璧なはずだが、急に成長することだってあり得る。
大丈夫、という声が、カーテンから聞こえてきた。
出てきたアンサンブルの子たちは、ヘアメイクや衣装の簡単な調整を受けている。
鏡の前で、1年が初めて自分の顔以外の自分を見る。見る横で、衣裳班が襟の位置を直す。
直す指は洗練された動きであった。
主役級のエーデルや矮星たちは、着替えに少し時間がかかっていた。白のスカート。赤の剣の衣装。
水の君の裾。カーテンの向こうで、
布が一度だけ鳴る。
翼は、渡された白雪姫の衣装をじっと見つめていた。
またこれに袖を通す。白雪姫として、あの世界に入り込む。白いスカートの裾が、楽屋の照明の下で少しだけ揺れる。
揺れる先に、翼の指が布を掴む。
掴んだまま、離さない。
翼にとって、白雪姫の衣装はその衣装よりも特別なものだった。憧れの席。自
分の名前で埋めた席。そして、
もう1人の自分と約束した席。
布の重みがより一層感じられた。
「翼?まだ着替えないの?」
「え?」
二乃の問いで、ただ衣装を見ていたことに気づいた。二乃たちは、もうほとんど衣装の着替えを終えつつあった。
風の君の袖が、もう風の色をしている。
「下着のままで衣装見てて、緊張してるの?」
翼は、少し下を見た。
制服じゃない。白の下着のまま、突っ立っていた。
楽屋の空気が、肌の温度より先に触れる。
触れた瞬間、翼の耳が熱くなる。
「み、み、み、見ないで!!」
二乃は、小さく笑う。笑う先で、
翼は衣装を胸に抱きしめる。
抱きしめたまま、カーテンの奥へ逃げる。
逃げる足音が、楽屋の床に一度だけ跳ねた。
そして、全ての準備が整った。
森の緑が、ステージの奥に座った。
城の壁が、客席から見て正しい高さで立っている。照明の角度が、学院の数字から劇場の数字に書き換わった。
「これからリハーサルを行う。時間が許す限り、何度でも何度でもやる。全員、集中していけ」
「はい!」
ロゼの言葉に、全員が力強く答えた。
答えた声が、大帝都の残響に一度だけ溶ける。
溶ける先で、1年の背筋が、
上級生と同じ高さまで伸びる。
リハーサルは、今までの練習を確認する場。
本番で失敗しないための、失敗。
だが、このリハーサルさえも、完璧にする。
それが百合々咲。
その思いだけは、1年を含め、誰しも同じだった。
矮星の太刀筋も、エーデルの歩幅も、アンサンブルの一歩も、同じ床の上で同じ密度になる。
劇場の奥の扉に、妹蘭が静かに見守っていた。
花組のトップスタァの視線がリハーサルが始まった途端、その場から離れた。
「妹蘭さん、見なくていいんですか?」
若い劇団員が聞いてきた。
「えぇ、ネタバレは嫌いですので」
妹蘭の声は、柔らかく、静かに扉を閉じる。
閉じた先で、舞台の照明が落ちる。
落ちた闇の中で、白雪姫の一歩が、
再び大帝都の床を踏んだ。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
世界を知る物語である。
第3話 完




