第10章 「彩りの星が奏でる間奏曲」 第4話
夕暮れの道を、朱と葵、そして結依が歩いていた。
3人の手には、コンビニの袋が持たれていた。
第2部の終盤を終えたあとの、短い買い出し。百合々咲の坂は、立風館の竹林より街灯が多い。
「悪ぃ、葵 結依」
「もう、財布を寮に忘れてコンビニ行くなんて」
数分前、コンビニで買い物していた朱は、
財布を寮に忘れたことに気づいた。
レジの前でポケットを探り、もう一度探り、
双剣の片割れが電話をかけた。
呼び出されたのは、いつもの妹だった。
近場のコンビニであったが、
道案内で結依もついてきてくれた。
「電子決済もあるんだから、覚えなさいよ」
「機械ってめんどいじゃん?」
「あさひさんでも、電子決済使えるのに……」
葵は肩を落とす。
立風館いちの箱入り娘と言われた子でさえ、電子決済は使える。
竹林の学校で大切に育てられた少女が、画面ひとつで支払いを終える。
なのに朱は、財布を忘れ、機械を嫌い、
妹の足を夕暮れに引き出した。
「せっかくだから、少し寄り道していいですか?」
結依が、そう提案してきた。
2人に、断る理由はなかった。
財布を忘れた姉と、支払った妹と、道案内の空。
夕暮れの坂を、もう少しだけ延ばすことはできた。
「いいぜ、行こう」
住宅街を抜け、高いビルも目立つ大通り。
百合々咲の丘から下りてきた街が、ここで音を増やす。その一角に、結依が行きたかった場所があった。
「ここって……」
葵が、建物を見上げた。道順的にまさかとは思ったが、予想が当たるとは思っていなかった。
「うん、大帝都劇場」
大帝都歌劇団が拠点である巨大シアター。
それが、大帝都劇場。過ぎ去りし流星たちのSNOW WHITEが上演された劇場であり、自分たちが立つ劇場。
「でも、今日は閉館日らしいぞ?」
朱が看板を見る。
確かにそこには「休館日」の文字がある。
「見学しに来たの?」
葵がそう聞くと、結依は首を横に振った。
「違います。目的は、こっちです」
結依は、劇場の石段の脇へ視線を移す。
劇場より、その隣に立っているものの方を見ていた。
劇場横には、1本の桜の木が植えられている。
大帝都劇場、初代花組の5人娘によって植えられた桜。100年を超えて、石の箱の脇で季節を外した花を持つ。
「すげぇ桜」
「もう5月も末なのに、まだ桜って残ってるのね」
3人の頭上には、溢れんばかりの桜が広がっていた。閉館日の劇場は暗い。
木だけが、夕暮れの残り火を花びらに拾っていた。
「2人にも、見えてるんだね。この桜」
結依の声が、少しだけ軽い。
軽いのは、確認が怖くなかったからだった。
その同じ木が、立風館の双剣の目にも入っている。
「ん?当たり前だろ?普通の桜じゃん」
朱には、意味が分からなかった。
目の前に、当たり前に桜がある。
見えていない理由がわからない。
葵が、木の横にある石碑に視線を移す。
妹は、花より先に文字を読む。
「太正桜……なるほど、これが噂の?」
「うん……」
結依は頷く。春以外の季節に、この木の桜が見えた人は、運命の舞台に導かれる。
そういう噂は誰もが知るものだった。
「あの日……私が舞台から落ちた日も、この桜を見にきたの……。でも、咲いてなかった。桜、見えなかった」
朱と葵は、静かに聞いていた。
雨の中、傘も差さず歩いた日。
空から堕ちた、と言い残した日。その足は、ここまで来ていた。
花は、その目に入らなかった。
「でも、舞台に戻ると決めた日……不死鳥になるって決めた日に、もう一度見に来た。その時、この桜、初めて見えたの」
立風館の仲間が羽になってくれたあと。また飛べると言えたあと。
結依は同じ木の前に立ち、今度は花を見た。春ではない季節に。運命の舞台へ導く、と言われた花を。
結依には、この桜がどんな存在か分かる。
見えなかった日は、まだ堕ちていた。
見えた日は、戻ると決めた日だった。
「きっと上手くいくな、SNOW WHITE」
朱が、花を見上げたまま言う。
双剣の荒い声が、ここでは小さい。
「あの時、結依が見えていたなら、上手く行くはず」
葵が続ける。姉の言葉に頷ける距離にいた。
花びらが、結依の肩に落ちる。
落ちた日には見えなかった桜が、
戻ると決めた肩の上で、5月の末にまだ咲いていた。
「もうすぐ日が暮れます。そろそろ、寮へ戻られたらどうです?」
3人に、声をかけられた。
振り向くと、いつからいたのか。白のチャイナドレスを着た女性が立っていた。
「あ、すいません」
朱が平謝りをするが、葵の異変にすぐ気づいた。
「葵?」
「始……妹蘭……」
3人の前にいたのは、始妹蘭。過ぎ去りし流星たち、元フラウ・ヴァッサー。
アジア最高峰の歌劇団「大帝都歌劇団」の花組のトップスタァとして立つ人。
葵の、憧れの人だった。
妹蘭は、劇場の中に入ろうとしていた。
「私は、」
妹蘭が、足を止めた。
「私たちは、あなたたちに憧れを抱いてここにいます。私は、あなたたちを越えたい」
葵の声は震えていない。震えていないまま、
超えたいと言う。朱が横で息を呑む。
結依は、見えた日の桜を背に、
その宣言を遮らなかった。
妹蘭は振り返り、3人を見た。
哪吒に水の集まりを語った目と、同じ静けさ。
「その思い、大切になさってください。そして、私たちを超えてください。憧れは、越えるためにありますから」
そう言い残し、妹蘭は劇場の中へ消えていった。
重い扉が閉まる。太正桜だけが、
5月の末の風に残った。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
世界を知る物語である。
第4話 完わ




