第9章 「交わる星は星座となる」 第9話
翌日、ロゼは日本に戻っていた。
連れを連れて——。
成田の空気はロンドンの霧と違う。
案内板の日本語が学院までの距離を測らせる。
「日本は、何気に初めてだね」
メガネの青年——イラムが、静かに言った。
「ったく。本当に着いてくるやつがいるか。アンダルシアの公演もあるんだろ」
「次の公演は、定期公演のチャリティー公演。僕がいなくても、なんとでもなるよ。それに……」
言葉の続きを、別の声が切った。
「イラム、待ってよ〜」
大きなトランクケースを押して、
2人の少女が走ってきた。
まだ中学生くらいの、2人の少女。
世界最高峰の歌劇団の子役が、
空港の床で車輪を鳴らす。
イラムは、2人の目線に腰を下ろし、
「君たちは初めての海外なんだから、離れちゃだめだよ」
優しく注意する。
「はーい」
元気に返事をする。
「なんでガキも一緒なんだよ」
「2人は、この前の公演で主演をやってくれたから。そのご褒美みたいなもんだよ。それに、日本に行きたがってたし」
「俺は面倒見ないからな」
「君の仕事の邪魔はしないよ」
「イラム〜、アキバってところ、行ってみたい」
「メイド?って人に会いに行きたい」
少女たちの目が、学院でも舞台でもなく、
電気街の方を向く。
ロゼは舌打ちし、出口へ歩きだした。
百合々咲に、ロゼが戻ってきた。
レッスン室の扉が開いた瞬間、空気が一気に張り詰めるのを、肌で感じる。
3日間、空席だった演出席。その席に、ロンドンから戻った男が立つ。鋭い眼差しは変わらない。
ただ、後ろにメガネの青年と、中学生くらいの少女が2人、扉の外で小さく手を振っているのが、普段と違っていた。ロゼは振り返らず、その存在を「無視」で処理した。
「この3日間、ちゃんとやったんだろうな?」
全員が、ロゼをまっすぐ見る。
エーデルも、矮星も、1年も。昨日までスマホの映像を見返し、動線を身体に落としていた人間たちの目が、一斉に演出席へ向く。
侑樹が一歩、前へ出た。
バインダーを抱えた腕は、少し震えている。
それでも声は、3日目の終わりに自分で置いた言葉の続きだった。
「私の……私たちのSNOW WHITEを、作ったつもりです」
その言葉に、迷いはなかった。
光葉の翻訳が減ったこと。リナに過去を渡したこと。死なない動線。砂月と翠月とプラナが残した映像。全部が、その一言の内側にあった。
ロゼは、一瞬だけ目を細めた。
「赤尾、指揮を取れ。五幕を見せてみろ」
「はい!みんな、位置へ!」
侑樹の声が、レッスン室に落ちる。
生徒たちが動く。遅れはない。朱と葵が剣の幅を確認し、翼が半歩ずれ、リナが森の手前で立ち、結依が位置を取る。光葉がインカムに指を当る。
空席だった演出席の隣で、赤尾侑樹が指揮を取る。
ロゼは腕を組み、黙ってその幕を見ていた。
戻ってきた男の前に、3日分の骨が、
今いる人間の歩幅で立ち上がろうとしていた。
5幕が、動いた。
侑樹の合図で照明が落ち、
森の手前の暗がりが床に広がる。
ロゼは腕を組んだまま見つめる。
隣でイラムが静かに息を整え、扉の外の少女2人は、ガラス越しに中を覗いていた。
最初に立ったのは、リナだった。
森に来る前のゴルド。
まだ身分も地位も失っていない、
何も知らなかった日々。
ただ純粋に、自由気ままに、
舞台の上で生きていた。
抑えられていた未熟さが、光の中へ出る。
完成された王の輪郭がほどけ、子どもの声が、
森の手前で止まる。
マナは出てこない。
出てこなくていい場面だと、身体が知っていた。
白雪姫が、半歩ずれた場所から入る。
翼の足は、3日前の衝突位置ではない。
死なない動線の上で、物語の中心へ戻る。
半歩の遅れが、今度は呼吸になっていた。
朱と葵の剣筋が、輪の外で収まった。
力強い太刀筋は変わらない。
流れる剣舞も変わらない。
刃の美しさを捨てずに、「合わせる」側に立っていた。
結依が視線を送り、二乃が風のように間を埋め、
八重が型を守ったあとで初めて揺れ、
砂月が笑える温度で地を踏み、
哪吒が1人の強さのまま、輪に合わせる。
黎夏がアドリブを飲み込み、翠月が合図を拾う。
太陽が、勝手に走らない。
翡翠が、その光を幕の拍に戻す。
光葉がインカムに指を当て、転換の5秒が、
映像で確認した通りに落ちる。
砂月と翠月とプラナが残した画面の中の静止が、今、生身の身体で再現される。言なかった。
ロゼは、何も言わない。
腕を組んだまま、5幕の骨が肉をまとうのを見ていた。
3日間、空席だった席の隣で、
赤尾侑樹が指揮を取っている。完璧ではない。
それでも、未完の伝説の写しではなかった。
今いる人間の歩幅で、幕は前へ進んでいた。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
世界を知る物語である。
第8話
完




