第8章 「黄金宿りし気高き王」 第8話
翼とマリナ——今はリナが、ゴールドエーカー邸の庭園が見えるところに用意された椅子に座っていた。
テーブルの上には紅茶とケーキ。
「食べていいんだよ?」
リナは大きく口を開けて、パクっと食べる。
「おいひー」
クリームが口の端につく。
カリスティックの王が、今、子どもと同じ食べ方をしている。
翼はフォークを持ったまま、
その光景を見失いそうになった。
「マリナさんは……」
「そうそう、そのマリナって名前、嘘だよ」
「嘘?」
「この子の本当の名前は、マナっていうの。
マナが私と一緒に生きるって決めてから、マリナって名前を名乗ってるの。ちなみ名付けてくれたのは、妹のハナちゃんだよ」
マナとリナだから、マリナ。
安直だけど、どこか納得のいく名前だった。
欠けた妹を、自分の名の中に残す。
王という異名より先に、2人分の生を1つに縫った名前。
「マナさんは……」
「なんだ?ここにいるぞ」
急に、目つきも口調も、いつもの感じに戻った。
背筋が伸び、フォークを置く指先が整う。
庭園の光の中で、完成された顔が一瞬だけ表に出る。
「今、リナが話してるから、マナは向こう行ってて」
言い切った瞬間、また目が丸みを帯びる。
王は、席を外すように内側へ退いた。
テーブルの上の紅茶が、小さく揺れる。
翼の前に残ったのは、ケーキを頬張るリナと、
名前の縫い目だけだった。
マリナは1人ではない。
マナとリナが、同じ椅子に、交代で座っている。
空が夕焼けから夜に変わるころ、
白いリムジンがゼロタイムの前に止まった。
商店街の灯りが点き始め、
店の看板がいつもの色を取り戻す。
昼間のタピオカも、おもちゃ売り場も、
白い屋敷も、この小さな喫茶店の前では少し遠い話に見える。
「送ってくれて、ありがとうございます」
翼が頭を下げると、車内から短い声が返った。
「いや、リナも十分に満足したようだ。こちらこそ礼を言う」
マナの声だった。
丁寧で、距離のある、いつもの王の声。
すると——
「翼ちゃん、学校でも一緒に遊ぼうね」
リナの元気な声が出てきた。
同じ口から、別の温度が重なる。
窓越しに見える顔はひとつなのに、
呼びかけだけが子どものまま残る。
「はい、リナさん」
翼が答えると、リムジンは走り去っていった。
白い車体が夜の通りに溶け、ゴールドエーカー家の1日が、ゼロタイムの前から引いていく。
あの後、リナとたくさんお喋りいhした。
庭園のケーキが終わっても、話は終わらなかった。
リナだけじゃなくて、妹のハナまで一緒に話に加わってきた。
ぬいぐるみを抱いたまま笑うハナ。
リナの裏で、マナの呆れた顔がなんとなく想像できた。
弟のギナは、話の輪には入ってこなかった。
少し離れたところから、本を読みながら、
見守るような感じだった。
客を連れてきた姉を、止めもしない。
信じている、と言った言葉の続きのようだった。
タピオカから始まり、墓石で折れ、
ケーキでまた繋がった休日。
カリスティックの王の中に、
死んだ妹が生きていることを知った1日。
翼の長い1日が、終わった。
今日は色々あって、なんか疲れた感じだった。
翼はベッドに倒れ込んだ。
まぶたが落ちかけたとき、
スマホに着信音が鳴った。
画面を確認すると、侑樹だった。
「はい?」
翼が電話に出る。
声は、もう少しで眠りに落ちそうな温度だった。
「翼、お疲れ。さっきゴールドエーカーさん、寮に帰って来てね。今日どうだった?」
演出補佐は、現場の空気を拾うのが早い。
課題の結果を、先に確認しにきている。
「もう!気疲れ、半端なかったんだから」
「ごめんごめん。でもこれも、役作りの一環みたいなもんだからさ」
舞台の外で人を知ることも、
役の内側に入るための道だと言っている。
ロゼの課題は、稽古場だけでは終わらない。
「でも……今日1日、色々あったけど。仲良くなれた気がするよ」
墓の話も、リナの名前も、
ここでは全部は言わない。
それでも「仲良くなれた」は嘘ではなかった。
「それなら、よかったよ」
電話を切って、翼は疲れて眠りに落ちかけていた。
そのとき、スマホの通知が響いた。
画面を確認すると、
メッセージアプリの通知には、マリナの名前。
(連絡先、交換したっけ??)
記憶の端に、屋敷を出る前の短いやり取りがある。
リナが勝手に入力したのか、
マナが黙って許したのか。
今となっては、どちらでもよかった。
開いてみると、写真が1枚送られてきていた。
ゴールドエーカー邸の庭園で、一緒に紅茶とケーキを食べている時の写真だった。
テーブル。花。午後の光。
フォークを持った自分の横顔と、
隣で大きく口を開けた少女。
写真に映る少女は、王ではない。
年相応に、友達との時間を楽しんでいる、
ただの少女だった。
マナでも、マリナでもなく。
リナが残した1日の証拠。
翼は画面を暗くせず、しばらくその1枚を見ていた。
それから、小さく息を吐いて目を閉じた。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
世界を知る物語である。
第8話 完




