第7章 「銀河に広がる我の夢」 第5話
練習が終わったあと、
哪吒とプラナはレッスン室の隅に残っていた。
他の生徒たちは水分を取り、
帰宅の準備をしていた。
残ったのは、まだ熱を帯びた木床と、
開いたままの台本だった。
「……悪くなかった」
哪吒が短く言った。
ズレは、完全には消えていない。
それでも、プラナの星のような声に、
哪吒の低い声が一度は重なった。
親友の娘を案じる言葉が、ようやく「役」ではなく「関係」に近づいた瞬間があった。
「哪吒ちゃん、無理して合わせなくていいよ」
プラナが台本を閉じながら言う。
「無理ではない。足りないだけだ」
哪吒の答えは、いつものように厳しい。
自分に向けた厳しさだった。
プラナはそれを否定しなかった。
代わりに、窓の外の空を見た。
「マリナに負けた話、まだ引きずってる?」
「……引きずるも何も、事実だ」
「事実は事実。でもさ、今やってる舞台はあの時のオーディションじゃないよ」
プラナの声は軽かったが、逃げてはいなかった。
かつての刃は、黄金の輝きの前で折れた。
今は、銀の星の隣でセリフを合わせている。
「お前は、負けてなお隣に立とうとする」
「うん。負けた場所で勝とうとは思ってない。
別の場所で、横に並びたいだけ」
2.5という世界。
伝統の頂点ではない場所で、
トップスタァになるという選択。
哪吒には、まだ遠い考え方だった。
「私は、負けた自分を許せない」
「それも哪吒ちゃんらしい」
プラナが小さく笑った。
「でも、ズィルバーは哪吒ちゃんの敵じゃないよ。
味方なんだから、もう少し頼ってくれてもいい」
哪吒は黙って、台本の頁を指で押さえた。
次のセリフ。亡き友の娘を案じる言葉。
それを、今夜もう一度、自分の声で置いてみる。
「……もう一度、やってもいいか?」
「よし」
プラナが台本を再び開く。
レッスン室の照明が、銀髪と黒髪をそれぞれ違って照らしていた。
星と水。
同じ舞台の上で、まだ完全には混ざらない2つの色が、それでも隣に座っていた。
その練習風景を、翼と二乃たちが見ていた。
レッスン室の2階吹き抜け。
手すりに身を預け、下の照明の中でセリフを合わせる2人を静かに眺める。
プラナの声が明るく跳ね、哪吒の声が低く受ける。
先ほどまでの噛み合わなさが、
少しずつ形を変え始めているのが分かった。
「噛み合ってきてるね」
二乃が小さく呟いた。
先ほどまでのズレは、確かに薄れている。
プラナの明るい声が先に飛び、
哪吒がそれを低い温度で受け止める。
完全な調和ではない。
それでも、「拒んでいる」感じは、
さっきより少なかった。
「哪吒さん、顔が少し柔らかい」
翼も目を細めた。
フラウ・ヴァッサーの哪吒は、
いつも結果と実力で場を測る。
隣に立つ者を「合わせる対象」ではなく「超える対象」として見てしまいがちだ。
その哪吒が、今はプラナのセリフの間を待っている。
「珍しいね。ナタちゃんから『もう一度』って言ってるし」
二乃が腕を組む。
下では、プラナが頁を返し、哪吒が短い息を吸う。
ズィルバーと、亡き友の娘を案じる役。
星の光と、水の静けさ。
違う色同士が、ようやく同じ物語の線に乗ろうとしていた。
「よかった」
翼の声は、安堵に近かった。
矮星が来てから、哪吒の肩はいつも少しだけ上がっていた。
マリナという名前が、どれだけ彼女の刃を重くしているか。
翼には、全部は分からない。
でも、今の光景は、少なくとも「1人で握りしめている」ものではなかった。
「翼、次うちらの番だよ」
二乃が肩を軽く叩く。
「うん」
2人は手すりから離れ、階段を下り始める。
下の照明の中で、プラナが小さく笑い、
哪吒が短く頷いた。
その一瞬を、翼は忘れないように目に収めた。
舞台は、1人では完成しない。
そのことを、今日もまた、誰かの練習が教えてくれていた。
「翼ももっとがんばらなきゃ」
階段を下りながら、二乃がそう言った。
下のレッスン室では、
まだ哪吒とプラナの声が続いている。
星と水が、ようやく同じ間合いを探し始めている光景。
それを見ていた余韻が、
二乃の言葉に乗っていた。
「?」
翼が横顔を向ける。
「誰よりも、矮星の人たちと関わる役なんだから」
白雪姫。
物語の中心に立ち、小人たちとも、王子とも、
森の影とも言葉を交わす役。
第1部で夢を掴み、第2部ではその夢の重さを、
より多くの相手と分け合う立場。
「プレッシャーかけないでよ」
翼は苦笑いを浮かべた。
歩幅が、少しだけ速くなる。
自覚はあった。
結依、朱、葵、黎夏、翠月、プラナ、マリナ——
七つの矮星の誰とでも、舞台の上では繋がらなければならない。
どの学校の流儀も、どの子の過去も、
自分1人の「好き」だけでは受け取れない。
二乃が、後ろから翼の背中を指先で突く。
「かけてるんじゃないよ。期待してるの」
「それ、同じに聞こえるんだけど」
階段の踊り場に、午後の光が落ちていた。
誰より関わる役。
逃げる場所ではない。
だからこそ、今の哪吒とプラナのように、
自分もまた、隣に立つ練習をしなければならなかった。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
世界を知る物語である。
第七章 「銀河に広がる我の夢」完




