第6章 「翡翠の衣は天を舞う」 第4話
廊下の隅で、翠月が電話をしていた。
窓際に寄り、声を少し落としている。
受話器の向こうから聞こえるのは、
翠月の母の声だった。
「大丈夫だって。百合々咲の人たちには迷惑かけてないから」
少し間を置き、また続ける。
「黎夏?あー大丈夫、私がみてるから。じゃあ、子供たちによろしく伝えといてね」
電話を切る。
お母さんは心配性だな、と翠月は小さく息を吐いた。
母親からしたら、娘たちが心配な気持ちも分かる。
自分だって、黎夏が何かやらかさないか、
常にヒヤヒヤしている。
もしかしたら、そういうところはお母さんに似てるのかな——
翠月はそう思った。
窓の外の中庭を見ると、黎夏が寝ていた。
ベンチの上で、陽だまりを全身で受けている。
腕を枕代わりにし、口をわずかに開けたまま。
ただでさえアカデミアの練習着は目立つというのに、その無防備さはさらに目立った。
「あの子ったら……」
呆れと、慣れ親しんだ愛情が混ざった呟きだった。
「まるでお母さんみたいですね」
砂月と哪吒が、静かに歩いてきていた。
砂月の足音は軽く、哪吒のそれは真っ直ぐだった。
二人は窓の外の黎夏を見て、
それから翠月の横顔を見る。
「柊は性格からして自由奔放。裏表がないように感じる」
哪吒が淡々と言った。
「あの子は、それがいいところでもあり、直して欲しいとこでもあるんですよね。真っ直ぐすぎるから」
翠月は苦笑いを浮かべる。
「翠月さんは、なんであの子のお世話をしているの?」
砂月の問いは、率直だった。
「え?」
「家族といっても、元はお友達なのでしょ?」
廊下に、短い沈黙が落ちる。
窓の外では、黎夏が小さく寝返りを打ち、
陽光の中でまた眠り直す。
その背中を見ながら、翠月は言葉を探した。
家族。友達。姉。ブレーキ。
どの呼び方も、少しずつ当たっていて、
どれも足りない気がした。
昔、そのことで黎夏と喧嘩したこともあった。
園の庭だったか、廊下だったか。
夕方の光の中で、黎夏が振り切るように叫んだ声だけは、今も残っている。
「翠月は私の姉ちゃんじゃないんだから、ほっといて!!」
黎夏は多分、忘れているだろう。
でも翠月は、覚えている。
あの時の黎夏の目は、怒っているようで、
少しだけ怖がってもいた。
近づかれすぎることへの、子供らしい拒絶。
それでも翌朝には、いつものように「みづき〜」と甘えてきた。
「あの子は我儘だから、それを止めるブレーキが必要なんですよ。 本当はあの子のお父さん、お母さんの役目かもしれないですが、震災で亡くなって、止めてくれる人がもう私しかいませんから」
翠月の声は、静かだった。
窓の外では、今も黎夏が陽だまりの中で眠っている。
無防備で、明るくて、誰に対しても真っ直ぐな子。
その真っ直ぐさが、時に人を傷つけ、
時に自分を危うくする。
砂月何も言わなかった。
哪吒も腕を組んだまま、窓の外の小さな背中を見ていた。
家族といっても、元は友達。
それでも、止める人がいなくなったあと、
残ったのは自分だった。
翠月は窓枠に指を置き、小さく息を吐いた。
「だから、見てるんです。 あの子が、ちゃんと笑っていられるように」
中庭の風が、黎夏の髪を軽く揺らしていた。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
世界を知る物語である。
第4話 完




