第4章 「葵花にとどまる朱雀の尾羽」 第3話
百合々咲の道場で、八重は精神統一をしていた。
木の床に正座し、目を閉じたまま、
静かに呼吸を整える。
道場に差し込む夕陽が、
彼女の影を長く伸ばしていた。
今、八重の頭の中にあるのは、
立風館の双剣——朱と葵の殺陣だった。
力強い朱と、受け身の葵。
朱の太刀筋は重く、一振りごとに空気を裂くような迫力があった。
葵の剣は流れる水のように柔らかく、
しかし決して崩れることのない芯を持っていた。
2人のコンビネーションは、力と優雅が完璧に噛み合い、 八重自身、あの2人を超えることができるかどうか、確信が持てなかった。
物語上、八重が演じる“ゼクス王子”は、
あの2人に殺陣で勝たなければならない。
演出でどうにでもなるかもしれない。
だが、ロゼの演出は本物を追求する。
型だけの勝ち負けではなく、
本気のぶつかり合いを求める。
それにあの2人は、
答えてきて本気でぶつかってくる。
その本気に、自分は答えられるかどうか。
八重はゆっくりと目を開けた。
道場の空気が、静かに張りつめている。
「や~えちゃん!」
明るい声が道場に響いた。
八重が振り返ると、
そこには黎夏と朱が立っていた。
黎夏は黄色のショートヘアを弾ませ、
手を振っている。
隣の朱は、いつもの調子でニヤリと笑っていた。
「どうしたの?」
「そろそろ練習再開だから探してきてって、翼ちゃんが」
「今行く」
八重は立ち上がり、
黎夏と朱のいる出口へ向かった。
木の床を踏む足音が、静かに道場に響く。
夕陽が差し込み、3人の影が長く伸びていた。
朱とすれ違ったその時。
「私たちを越えられるか、今心配になってんだろ」
朱が、ごく自然に言った。
その言葉に、八重はドキっとした。
まるで心を見透かされていたかのように。
「なんで、それを……」
「匂いでなんとなく分かる。言っとくけど、いくらやられ役であっても、舞台上は本気で行くから」
朱の声は軽かったが、
その瞳には確かな闘志が宿っていた。
八重は一瞬足を止め、静かに息を吐いた。
「……分かってる」
黎夏がキョトンとした顔で2人を交互に見たが、
朱はもう背を向け、先に歩き出していた。
道場の空気が、わずかに熱を帯びる。
八重は拳を軽く握りしめ、
その後ろを追いかけた。
舞台の上では、本気でぶつかる。
その覚悟だけは、すでに決まっていた。
「今まだ動きの確認ではあるが。通し練を想定して動け」
演出席から、ロゼの低い声が響いた。
「では、みなさん。9ページのゼクス王子の殺陣のシーンの動き確認をしていきます。裏方の方々は3年の高瀬の指示に従って準備してください。この幕に出るアンサンブルの方々は木刀を持って、それぞれの位置に行くようにお願いします」
演出補佐の侑樹が、的確に指示を出していく。
生徒たちは速やかにそれぞれの位置に着き始めた。
照明が落ち、レッスン室の空気が一気に引き締まる。
一息をついて、八重が出てくる。
アンサンブルの雑兵を、
八重の太刀筋で次々と斬っていく。
洗練された動き。教本通りでありながら、
無駄のない軌道。
雑兵役の1年生たちは、
息を切らしながら次々と倒れていく。
そして、その先にいた朱と剣を交えた。
舞台の外から見る朱の殺陣と、今全身で受けている殺陣では、見え方が全く違う。
打ち込むところが全くない。
隙が全く掴めない。
力強い一刀流の圧力が、正面から押し寄せてくる。
木刀がぶつかるたびに、腕に重い衝撃が走る。
八重は歯を食いしばり、必死に受け流した。
(あれ……)
一瞬、何かが引っかかった。
「ストップ」
ロゼの声で、全員の動きが止まった。
「神代朱はそのままでいい。バートン、押され気味だ。もっと前に出る様にしろ」
「はい」
「もう一度行くぞ。準備しろ」
生徒たちが再び動き回る中、八重は先ほどの殺陣で感じた違和感が気になっていた。
朱の殺陣は間違いなく神代一刀流。
しかし、朱の動きの根幹にあるものと近いものを、八重は知っている気がした。
でも、それが何かは分からなかった。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
世界を知る物語である。
第3話
完




