第3章 「空白の席は誰が為に」 第5話
練習中、結依は周りの生徒全てを見ていた。
動き、ダンスのフォーメーション、細かな細部に至るまで——
彼女の視線は、まるでひとつの物語全体を俯瞰する演出家のように、 静かで、鋭く、深く注がれていた。
百合々咲自体はレベルが高い。
入学できるだけでも、
個々のレベルは相当高いはずだった。
しかし、結依の目には、エーデルと他の生徒たちの差が、はっきりと映っていた。
二乃のダンスについていけているのは、僅か一部。
八重の殺陣にもついていけているのも、僅か一部のみ。
彼女たちが突き抜けているというのもあるが、
それでもついていけている者もいる。
最低限ついていけるまで必要。
結依は静かに見つめていた。
かつて自分が立っていた場所。
そして、今はもう自分の居場所ではない場所。
そこに集う後輩たちの姿は、
懐かしくもあり、切なくもあり、
そして——どこか愛おしかった。
レッスン室の空気は熱を帯び、
汗の匂いと木刀の音、息遣いが混じり合う。
エーデルたちは、矮星たちの技術に刺激を受けながらも、 自分の役割を果たそうと必死だった。
一方で、1年生やアンサンブルの生徒たちは、
その差の大きさに圧倒され、
表情が少しずつ曇り始めているのが見て取れた。
(この差を、どう埋めればいいのだろう)
結依は心の中で静かに問いかけた。
立風館で学んだこと、仲間たちと過ごした日々、
そして自分が失ったものと得たもの——
すべてが、今この瞬間に繋がっている気がした。
彼女はそっと息を吐き、
再び視線を練習する生徒たちに戻した。
百合々咲の未来を、
この目で、静かに見守り続けていた。
「……ちゃん……結依ちゃん」
気づくと二乃が結依の前に立っていた。
「あ、ごめん。考え事してた」
「何考えてたの?」
二乃が結依の隣に座る。
結依は今の練習の現状を二乃に話した。
それは二乃自身も薄々勘づいていたことだった。
「結依さんの見る目は昔から変わらないみたいですわね」
砂月がやってきて横に座った。
「アドバイスしてあげたいんだけど、エーデルである私たちからなんてアドバイスすればいいのか」
「難しいところですわよね」
結依は静かに頷いた。
練習室の空気は、熱気と同時に、
重たい緊張感が漂っていた。
その時——
「何故、セリフがまだ頭に入っていない」
レッスン室が一瞬にして静まり返った。
声のした方向を見ると、そこにはマリナ・ゴールドエーカーと数人の生徒がいた。
どうやら生徒の1人が、自分のセリフをまだ覚えきれていなかったのだろう。
「本番まで時間がない中での練習は1分1秒を無駄にしてはいけないはずではないのか? これは、あなたたち百合々咲の舞台のはずだ。時間を無駄にする暇などないはずだ」
マリナははっきりと言った。
現実問題として、公演までそう時間はない。
「ゴールドエーカー、言い過ぎだ。この子にもこの子なりのスピードがある。それにここは百合々咲だ。カリスティックの当たり前をここに持ち込むな」
哪吒が庇うように前に出た。
「……ならば問う。あなたたちが目指すものは何?」
マリナの気迫に一瞬怯んだ哪吒だったが、すぐにマリナを見つめ返した。
「流星を……過ぎ去りし流星たちを超えることだ」
マリナはまっすぐ哪吒の目を見た。
「……それなら尚のこと。流星を超えるなら生半可な舞台じゃ通用しない」
そう言い残すとマリナはレッスン室から出て行った。
レッスン室は嵐が去ったような静けさに包まれていた。
誰もが言葉を失い、ただ互いの顔を見合わせるばかりだった。
マリナの言葉は、鋭い刃のように全員の胸に突き刺さった。
確かに、技術の差は歴然としている。
しかし、それを指摘する言葉は、
百合々咲の誇りを、静かに、しかし確実に揺るがせていた。
翼はステージの袖からその光景を静かに見つめ、
胸の奥で小さく息を飲んだ。
これが、外部の才能を迎え入れた代償。
そして、成長への痛みだった。
「何故、あの7人を招き入れた」
ロゼが鋭く尋ねる。
理事長室には重たい空気感が包まれていた。
「流星を越えたいというあんたの望みは分からんでもないが、 百合々咲で完結せずに何故外部の7人を招いた?」
ミリーは紅茶を一口啜った。
「またあんたの“気まぐれ”か」
ミリーは気まぐれが多かった。
ミリーはカップを静かに置き、
窓の外に映る夕陽を見つめた。
「ロゼ、あなたは“世界の広さ”を知っていますか?」
「あぁ?」
いきなりの変な質問。
ロゼは腕を組み、眉を寄せたままミリーを見つめていた。
彼の表情には、苛立ちと、
わずかな理解の兆しが混じり合っている。
ミリーは穏やかに微笑みながら、
窓の外に広がる学院の景色を静かに見つめ続けた。
「百合々咲は確かに優れた学校です。しかし、それは箱の中の優れ方。外の世界を知らなければ、
本当の意味で“頂点”には立てません」
ロゼは鼻で笑った。
「だから俺やあいつらを呼んだってわけか。
てめぇらしい気まぐれだな」
「気まぐれではありません。これは、必要な一手です」
ミリーの声は静かだったが、
その瞳には確固たる意志が宿っていた。
「流星を超える—— それは単なる技術の向上ではない。世界を知り、世界に挑むこと。
七つの矮星は、そのための触媒です」
ロゼはしばらく沈黙した後、
小さく舌打ちをした。
「……分かったよ。だが、失敗したら全部あんたの責任だからな」
ミリーは静かに微笑んだ。
「ええ、責任は私が取ります」
理事長室に、再び静けさが戻った。
夕陽が、2人の影を長く床に落としていた。
百合々咲の新たな挑戦は、
今、静かに、しかし確実に動き始めていた。
これは、トップスタァを目指す少女たちの物語。
そして……
世界を知る物語である。
第5話 完




