第33話:頭の上の賢者(?)
村の中央付近の小川に架かった橋を通りかかった時、川辺の木陰に赤い翼の生えた猫の姿が見えた。
ロバートじいさんだ。相変わらず緊張感の欠片もなく、腹を天に向けて無防備に寝そべっている。
その姿に気づいたルシュは、好奇心に弾む足取りで小走りに駆け寄っていった。
彼女が傍らに腰を下ろしても、ロバートじいさんは薄目を開けることすらなく、泰然自若としたまま微動だにしない。
「ヨウヘイ、この子は何?」
ルシュが興味津々な様子で尋ねてきた。
「ああ、その猫はロバートって言うんだ、みんな『ロバートじいさん』って呼んでるんだ」
「へぇ~…」
ルシュはロバートじいさんを覗き込んでいたかと思うと、そっと抱き上げた。
「ふにゃ!?」
不意に浮遊感を与えられた結果、ルシュに抱き上げられたロバートじいさんがビクっと跳ねる。
「ご、ごめんなさい」
驚いて腕を解きかけたルシュからロバートじいさんが飛び降りた。
止めなかったのは、あれくらいで怒る人ではないと分かっていたからだ。
ロバートじいさんはルシュをじっと見上げてから俺に気付く。
「見慣れないおなごとヨウヘイ……件の竜族の娘はその子の事かの?」
「ああ、そうなんだ。この子はルシュ、今俺が村を案内しているんだよ」
ロバートじいさんがルシュを見て話しかける。
「ほほう、わしはロバートじゃ、よしなにな」
「ロバートじいさんが宜しくってさ、ルシュ」
「うん、さっきはごめんなさい。私はルシュ、ロバートじいさん宜しく」
ルシュはしゃがんでロバートじいさんに目線を合わせながら話す。この子はそういう子だ、と思った。
「さっきはごめん、ルシュからも宜しくって」
「うむ、素直なおなごでワシも嬉しいぞ」
***
それからしばらくの間、俺たちは木陰に腰を下ろし、ロバートじいさんと語らって過ごした。
今度は正式な合意を得たのか、ロバートじいさんはルシュに抱き上げられることを許し、あろうことか彼女の頭の上に陣取って丸まっていた。
数百年の時を生きる賢者(?)が、幼い少女の頭頂部で寛いでいる光景は、なかなかにシュールなものがある。
のどかな休憩時間に声をかけてきたのは、少し離れた場所に立つ人物だった。
「そこにいたのですね、ヨウヘイ。ロバートさんも」
振り返ると、そこには見覚えのある、気品漂う紫色の髪の女性が立っていた。
「ああ、村長。おかえりなさい」
「おかえりじゃの、村長」
俺とロバートじいさんの声が重なる。
その様子に、メラニーは慈しむような笑みを浮かべた。
「ただいま戻りました。
マーテンでの滞在は満喫できたようですね、ヨウヘイ」
メラニーがゆっくりと木陰へ歩み寄ってくる。
俺とルシュは立ち上がって彼女を迎えたが、ロバートじいさんだけは器用にルシュの頭の上に乗ったままだ。
「ええ、とても。俺の知らない物事がたくさんあって、楽しかったです」
一呼吸置き、俺は本題を切り出そうとする。「……それで、この子が……」
村長の許可なく、独断でルシュを倉庫から連れ出してしまった引け目があり、言葉がわずかにつかえる。
咎められる覚悟もしていたが…
「ええ、聞き及んでいます。竜族の女の子ですね」
彼女は、いつもと変わらぬ穏やかな調子で応じた。
とりあえずルシュを紹介しようと思い、「はい、村長。この子がル……」と言いかけたところで、メラニーがそっと手を挙げて俺を制した。
俺とルシュ、そして頭上のロバートじいさんが固唾を呑んで見守る中、メラニーはルシュの目の前まで歩み寄る。
そして、少しだけ腰を屈めて視線を合わせると、静かに、だがはっきりと語りかけた。
「こんにちは。私はメラニー、この村の村長を務めています。
……あなたが竜族のルシュね?」
通訳をしようとルシュの横顔を見た瞬間、俺は息を呑んだ。
ルシュの瞳が、これまでにないほど大きく見開かれていたからだ。
……驚愕。それも、ただの驚きではない。
ルシュが震える唇を恐る恐る開き、声を漏らす。
「言葉が……話せるの……?」
「ええ。少しだけね」
そう言って、メラニーはルシュに優しくウインクしてみせた。




