7 逃走劇は終わりました
「痛い……」
おしりが痛い。
幸い落ちた先は通路だった。高さにして三階くらい、だと思う。周囲には何かの破片が散らかっている。たぶん、箱とか何かで、資材を入れていたのだと思う。それが落下した私を受け止めてくれたらしく、粉々に砕けていた。
上を見上げると警備竜の影が見えた。隣には人影。竜導騎士だ。
「下だ! 落ちたぞ!」
下を覗き込みながら叫んでいる。ここに留まってはいられないすぐに移動しないと。幸いこのままどこかに身を潜めればなんとかなりそう。
などと考えていたら目の前に何かが落ちてきて私の足元で砕け散った。周囲に淡い緑色に輝く液体が飛び散る。そして強烈なにおい。かび臭いし腐ったような強烈な臭いだ。砕けた容器は筒だったみたいだ。
「目印をつけたぞ!」
印? なんの? ふと足元を見る。緑色の液体が足についてる。暗闇でよく見える輝きだ。これって……やられた! 目印ってこれのことか!
飛び散った輝く液体と臭い。こんなのがついていたらどこにいても人目を引くし警備竜はつられてやってくるよ! こすって落とすか。だめだ臭いがある。そのための臭いだ。絶対に逃がさないぞって。
いよいよ捕まるかもしれない……そしたらどうなる? 牢屋に入れられるのは間違いない。卵を盗んだ人がどうなったかなんて聞いたこともないけどこれだけは確実だ。一生を牢屋で過ごすことになる。そしたら家に帰れない。家……私の家。父さんと暮らした私たちの家。そこに帰れないのは、無くなってしまうのは……そんなの嫌だ。
発光する液体に触れた靴は幸いに片方だけ、急いで脱いで投げた。ズボンにも液体がついているから裾を破いた。とにかく何もしないよりはいい。少しでも隠れるまでに時間が稼げれば!
立ち上がる。とたんに左足に痛みが走ってがくんと体がよろけた。捻ったか折れたか、とにかくすごく痛い。走るのはおろか、歩くのだってきつい。
「帰らないと……」
痛くてたってられないけど、なんとか壁に手をつきながら足を引きずって歩く。大丈夫、まだ進める。
「どうか、誰も追いつて来ませんように……」
願いながら通路の角に手をかけた。においがした。獣の臭いだ。そして唸り声。
「うわ!」
暗闇から姿を表した警備竜は身を低くし、今にも飛びかかろうとする唸り声が牙の間から漏らしていた。漏れ出る息は熱く、寒い空気が白く染める。
怖がって私がゆっくりと後ずさると、警備竜もそのぶんだけ距離を詰めてくる。もう逃がさない。そういっているかのように赤い瞳で私を睨んでいた。捕まるよりも最悪なことがあるかもしれない。それは目の前にいる警備竜に噛み殺されるかもしれないってことだ。
「ごめんね。いい子だから……ね?」
グアと吠える竜。私は驚いて足がもつれて後ろに倒れ込んでしまった。もう、ダメだ。怖くて思わず目をつぶってしまった。でも何も起きなかった。
目を開けると相変わらずそこに警備竜はいるのだけど唸るばかりで近づいてこない。まるで見えない壁があるかのようだ。
「どうして……?」
さっきと警備竜の様子が違う。何かに怯えるように体を小さくしている。すぐにでも逃げたいって雰囲気だ。それでも主人の命令を果たそうと私から目を離さずに威嚇を続けている。
「こっちだ、来てくれ!」
男の人の声が聞こえた。間もなく警備竜の背後、暗闇から一人の男が姿を現した。まっすぐと竜骨銃を構え私を狙う。若い男の竜導騎士。
「ついに捕まえたぞ、このコソ泥めが」
聞き覚えのある声。それにどこかまだ少年の面影のある顔。
「リューイ……?」
「おまえ……ラキか?」
幼馴染の青年。新人竜導騎士のリューイがそこにいた。
「リューイ……」
どこか気が抜けけてしまった。でも瞬時に、そうじゃないだろ、と。体はこわばって、緊張して冷汗が吹き出す。
逃げているときうっすらと考えてはいた。もしかしらた追いかけている人の中にリューイがいるかもって。でも必死だったし見つからないって思っていた。きっと上手くいくって。あまかった。なにもかも。
「おまえが盗んだのか?」
「これは、その」
なんと言い訳する。どう説明すればいい? 私は無実って言えば信じてもらえる?
リューイの視線が私のすぐ後ろへと向いた。そこにはなにがあるか振り向かなくてもわかる。私が脱ぎ捨てた靴がそこにはある。塗料が付いてしまって緑色に光る靴だ。そして布の切れ端。片方だけの靴。破けたズボン。私に向かって唸る警備竜。彼の目に映るすべてが私がその犯人だと告げている。
「違うよな……?」
「こんなことになるなんて思ってなくて。その……盗むだなんて知らなくて」
盗む。という単語がこれほど重い響きがあるとは。リューイの私を見る目に浮かぶものが、戸惑いから失望にかわるのがわかってしまった。
「ごめんなさい……」
「謝られても……こまるよ」
リューイは声をなんとか絞りだしているようだった。いつも一緒にいた幼馴染が犯罪に手を染めていたのだから。そうだよね。そうなっちゃうよね。ごめんね。
リューイはくちびるを嚙み締めた。そして決心して何かを振り払うようにして素早く懐から警笛を取り出した。鋭い音が夜空に鳴り響いた。ここに竜導騎士が集まってくる。
「卵は?」
「リューイ、ごめん――」
「卵はどこにある!」
大声にぎくりとして体の中の血がさっと引いていくようだった。怒鳴られたことなんてなかったから。
「背中に……」
「見せろ。ゆっくりと。妙なことをするなよ」
震える銃口が私に向いていた。この瞬間、目の前にいるのは竜導騎士リューイだった。幼馴染ではない。
私は言われたとおりにゆっくりと背負子を片からはずし、箱を胸に抱え、そっと見せた。リューイの顔を見たくなくて私は目を逸らしていたた。
「……おい。卵は?」
リューイの声が震えている。
「ここに、ずっと背負ってたから」
「そこに無いじゃないか!」
無い? そんなはずはない。しっかりと背負子で背負って、箱は開けたりしなかったもの。
しっかりと見ると箱は潰れていた。中から液体が漏れている。粘り気のある液体で、暗くてよくわからないけど透明なようで私が投げつけられたものとは違う。箱に何か残っている。これは……殻? 卵の? 無い。無い? 卵が! 飛竜の卵が! 潰れちゃってる!
「これは……まって! 違う! 私、そんなつもりじゃ!」
「飛竜の卵だぞ! 何年ぶりだと思ってる! 三百だぞ! 俺らのずっと前の時代から生まれてなかったのに!」
「運ぶだけっだって言われて。もちろん中身を知らなくて。知ってたらこんなことしなかった。でも気が付いたらこんなことになって。だから必死に逃げて。だって変えるとこがなくなったら……私」
「うるさい!」
尻もちをついて座り込んだままの私。いつもだったら手を差し伸べていただろうリューイ。でも彼は立ったまま私を見下ろしていた。距離がある。違う。距離ができてしまった。私の行いのせいで。
「いや、なんだそれ……」
「ごめんなさい……」
「違う。そうじゃない」
見上げるとリューイの顔がゆがんで見えた。彼が怒ってるから。というのもあるけど涙が溢れていたのがわかった。ようやく自分が何をしたのかわかった。
遠くから警笛の音が近づいてきている。
「おまえの後ろ」
「……え?」
リューイが指をさす。彼の傍にいた警備竜は身を低くして尻尾を丸め、さっきうよりもさらに怯えた様子だ。警備竜がリューイの後ろに隠れた。
言われて初めて、私の後ろに何かの気配がすることに気が付いた。熱くて白い息が耳にかかる。ふんふんとした鼻を鳴らす音。どこか甘くて香ばしい匂いがする。
「それは、雛……か?」
リューイがめいっぱいに目を見開いて、私は何かわからず硬直していた。
「飛竜の雛がいる?」




