枷
ピンと張ったワイヤーが高速で巻き取られるのに合わせて壁を走り上がる。構造上、右腕を伸ばしっぱなしで走ることになるが、その走りづらさをカバーするかのように力強く引っ張られた。というか歩幅が1mをゆうに超えてた。
下ではどたどたと何人かが走る音が聞こえた。階段にしろエレベーターにしろ、こちらのほうが早い。
柚樹は窓を何枚か避けつつ、ワイヤーの先端が刺さったところまで走り切ると左手を伸ばし建物の端を掴む。そうして今までの慣性に乗せて体を浮かせ、屋上へと登りきった。
ワイヤーを最後まで巻き取り回収し、右手の装備を解除する。
屋上だと思ったそこは、何棟かあるうちの一つのようで、見渡せる全体の構造はまるで西洋の遺跡か何かを思わせる。
要塞を監獄にでも改装したのだろう。
(しかし、素材が石や木、ガラスなど破壊可能なものというのは妙だ。脱獄しろと言っているようなものだが...)
まあ、そのおかげでこうして出られたのだから何も言うまい。きっと入獄者の種類でも制限してあるのだろう。だから軍用プラグインを宿した自分は抜け出すことが出来た、そう考えるのが妥当。
屋上への出入り口がある。すぐに登ってくるだろう。
反対側へ視線を向けて、目が合った。
「……」
「……」
無言で対峙する。何時からいたのだろうか。多分ここに登る前からだろうけど。
綺麗な金髪であった。それには見覚えがあって、もしかすると降下時のあの金色かもしれない。
相手は自分より、姫乃よりも年下の女の子…とはいえ、場所が場所だけに警戒するに越したことはない。
身につけている服装はどこかのパーティーにこれから行くのかと聞きたくなるようなそんなドレスのようなものである。
柚樹としては、出来ればこれ以上何も接点を持たずにここから離れたかった。超ビビってた。
そのまま、ゆっくりとその青い瞳から目を逸らさずに移動しようとしたところ。
「…だれ?」
うわあしゃべった。
「...言えないんだ、ごめん」
名前は言わないほうが無難だろう。寝ている間にプロファイルを解析されて個人情報がバレているとしても、うかつに口に出すと動きにくくなるだけだ。
「...むー」
拗ねた。
「じゃあ、わたしのなまえもおしえてあげない」
「あ、うん」
ふーんだ、と言わんばかりに拗ねられた。
どうしたものか。
「...あ!」
このまま通りすぎていいかなと考えていると、突然、少女が声を上げる。
「わかった! あなた、わたしのきしさまでしょ!」
ビシィと指差されてそんなことを言われた。
(きし...なんだって? 騎士? ...護衛ということ?)
柚樹は混乱する。護衛、ということは彼女は要護衛対象か何かであって、ここに何かしらの用で来たVIPの娘...という筋が妥当?
騎士というのは、この年齢の女児によくあるものだろうか。姫乃も、おままごととか人形遊びに一時期ハマっていた時があった。ほんの1ヶ月も経たない内に、彼女曰く「家庭内環境が崩壊した」と言ってやめてしまったが。彼女の中の家庭に何が起こったのかは今でも謎のままである。
思考を戻そう。依然として、目の前の少女は「どう? どう? あたった?」とでも言いたげな顔でこちらを見上げている。
考える。ここで否定すれば柚樹に対する質問は深まるばかりだろう。今にも背後のドアが開かれ、柚樹を捕まえんとする男共がなだれ込んでくる状況なのだ。こういう時は、話を合わせておくのが得策だろう。
「...ええ、そうです」
どこかのサイトで見たように、恭しく。内心、焦りでいっぱいである。
「きしさまはね、ちかわなきゃいけないの」
なんか変な設定持ち出してきた。
その女児は得意気に言う。
「おそばをはなれることなく、こころからあいし、なににかえてもおまもりします、って...おかあさまがいってたわ」
なんでそげなこついわんばんとですか。
たっ、たっ、たっ、たっ
「....!」
今立っている石畳の下から、硬い足音が伝わってきた。
離れなきゃ。捕まる。
「お側を離れることなく、心から愛し、何に代えてもお守りします...お姫様」
少し早口になりながらも口にする。なんだかフレーズが重いように感じられたけれども、まあ小さい子の遊びだからと柚樹は思った。ついでに最後にお姫様とかつけた。このくらいの年齢の子はそういう願望があるって以前聞いたから。
すると少女のそれまでのふわふわした雰囲気は身を潜め、ただ、柚樹の目を覗いていた。
ゾッとした。
眼の奥の、頭まで覗かれているような気分になる。果たしてそれが、軽い気持ちで口にしたのを見抜いた故か、これからその真意を見抜こうとしているのかわからない。
その幼い外見に似合わないことは確かであった。
小さな手が、柚樹の胸に触れる。 ―――心臓のあたり。
「我、汝を騎士とす。 我に、我だけに忠誠であれ」
無音であった。
否、その少女の言葉以外に音をたてる物がなかった。
自分の呼吸音でさえも聞こえない。
なんとか声を発しようとして、自分の口がかすかに開くだけであるのをもどかしく感じる。
「君は...」
...何をした?
その声と、目と、言葉。女児の遊びにはあまりにも似つかわしくなく、まるで、そう。
(...呪いのようだ)
体の真ん中にあるものを握り締められた様な感覚になって、そしてやっとこの子に合わせたことを後悔し始めた。
皮肉なことに、その感覚から柚樹を解放してくれたのは背後の扉が勢い良く開かれる音であった。
「い、いらっしゃいました...! そ、そこの方! どうかお待ちを...!」
「....!」
その声を背中に受けながら、もう柚樹は走りだしていた。女児の手を振り切って。後ろで何か叫んでいるが、風音で聞こえない。
扉の反対側へ、そして少しでも助走を。恐らくこの高さなら塀を越えてこの建物の敷地外へ飛ぶことが可能だろう。
視界に再び"-THRUSTER SYSTEM-"の文字。
モードをLandからGlideへ。
"THRUSTER SYSTEM enable."
「お願い、待って!」
ボイスと声が重なる。柚樹にとってみれば、脳内神経に直接入ってくるボイスの方がよく聞こえる。
(捕まるものか...!)
自分を引き止める声が、囚人に対するそれとは違うということさえ知らずに柚樹は跳ぶ。
ただ、この場所から逃げるというために。
**
「あのお方は?」
私は靴音をたてるのも気にせず、スカートを持って走る。
お父様は詳しくは話してはくださらなかった。けれど、この城の中にいらっしゃることは確か。お父様は酷な人ではない。むしろ、もし彼が来なければ私はどうなっていたことか。
突然私に声をかけられ、言い淀む使用人に見切りをつけて自分の直感だけで部屋を当たる。何しろ、数が多い。
いない、いない、いない、いない!
「お、王様ァ! 姫様ァーっ! お目覚めになられました!」
そんな声が耳に届くやいなや、私はその声の主に詰め寄った。
「どこ? どこにいらっしゃるの!?」
私の腕はその女中を掴みがたがたと揺する。
「ひっ...、お、奥から3番目のお部屋でございます」
引きつった顔と口から聞くと、私が突き放したせいで彼女が転びそうになるのも構わずその部屋へ走りだした。頭の中はあの人のことでいっぱいだった。
もう一度、もう一度会いたい。話をしたい。閉じられたその瞳を、覗いてみたい。
会いたい、会いたい、会いたい。
開けっ放しの扉から部屋の中に飛び込んだ時、窓枠に足をかけて振り向く彼の横顔を見た。




