第9話 「しっかりつかまれ」って、どこにつかまればいいんですか!?
三度目のことだった。
皇帝陛下は、今度は私を直接、狩場へ呼び出した。
その理由は――
「太子の騎射はまだまだ未熟だ。もっと練習が必要だろう」
私はその場で固まった。
騎射?
私が?
冗談でしょう?
前世で私が馬に乗ったのは、会社の慰安旅行での一度きりだった。
あのとき上司が、「若者なら、自分に挑戦しろ!」なんて言うものだから、何も考えずに馬に乗った。
結果、馬が走り出すより先に、私は馬の背中から落ちた。
そして、そのまま半月も病院のベッドで過ごす羽目になった。
それ以来、馬を見るだけで、どうにも憎らしく思えてしまう。
せっかく転生して太子になったのだから、身分を利用してのんびり生きられると思っていた。
まさか。
古代の太子は、勉強だけしていればいいわけではなかった。
馬にも乗らなければならないらしい。
私は狩場の端に立ち、目の前にいる大きくて立派な黒馬を見つめた。
顔が、みるみる青ざめていく。
一方、皇帝陛下はすでに馬の背にまたがっていた。
黒を基調とした騎装に身を包み、すらりとした姿は堂々としている。降り注ぐ陽光を受けたその姿は、鋭さと気品を兼ね備え、まさに天下を治める皇帝そのものだった。
そんな陛下が、馬上から私を見下ろす。
「乗れ」
私:「……」
私は動かなかった。
皇帝陛下が眉を上げる。
「どうした?」
私は目の前の馬を見る。
馬も私を見る。
私たちはしばし、無言で見つめ合った。
その瞳から、私は四文字の言葉を読み取った。
――来いよ、この役立たず。
私はますます決意を固めた。
乗らない。
絶対に乗らない。
だが、皇帝陛下はどうやら私を逃がすつもりなどないらしい。
「怖いのか?」
私は黙った。
当然、怖い。
死ぬほど怖い。
しかし、天下の太子ともあろう者が、皇帝の目の前で「高所恐怖症です」……いや、「馬恐怖症です」なんて言えるわけがない。
私は深く息を吸い、必死に平静を装った。
「……はい。少し、怖いです」
私はてっきり、皇帝陛下に笑われると思っていた。
ところが、陛下はただ私を一瞥すると、静かに尋ねた。
「なぜだ?」
私:「……」
まさか、「前世で馬から落ちたことがあるからです」なんて言えるわけがない。
だから私は、曖昧に答えた。
「……馬というものは、どうにも気性が読めませんので」
皇帝陛下はしばらく黙っていた。
そして、ふっと笑った。
「朕がいる」
私:「……え?」
「朕がいるのだから、怖がる必要はない」
私は一瞬、言葉を失った。
その意味を理解するより早く、皇帝陛下が突然、身をかがめた。
次の瞬間。
陛下の手が、私の腕をつかんだ。
「父上――?」
私がそう呼べたのは、たった二文字分の時間だけだった。
次の瞬間には、体が地面から軽々と引き上げられていた。
「きゃああああ――!」
視界がぐるりと回る。
そして、ようやく我に返ったとき。
私はすでに馬の背に乗っていた。
正確に言えば――
皇帝陛下の腕の中にいた。
背中は陛下の胸にぴったりと密着している。
背後から伝わってくるのは、男の温かな体温。
耳元には、すぐそばから聞こえる呼吸。
私は一瞬にして全身を硬直させた。
「!!!」
な、何これ?
私は恐る恐る自分の姿を見下ろした。
それから、皇帝陛下が手綱を握っている手を見る。
そして、もう一度、自分がいる場所を確認する。
私はついに確信した。
これは馬に乗るという行為ではない。
――これ、完全にセクハラでは?
いや。
違う。
これは皇帝陛下が私にセクハラしているのだ!
なのに、当の本人は何食わぬ顔をしている。
まるで、これがごく当たり前のことだとでも言うように。
陛下の両腕が私の体の両側から伸び、私を包み込むようにして手綱を握る。
胸はほとんど私の背中に触れている。
そして、頭上から低く落ち着いた声が降ってきた。
「しっかりつかまれ」
私:「……」
何につかまれっていうの?
あなたに?
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