第71話 別れ
旅立ちの日。
私たちは、誰にも知らせなかった。
見送りに来てもらったのは、皇太后、賢妃、淑妃、そして福海だけ。
寿康宮には、どこか静かな空気が流れていた。
皇太后は目を赤くしながら、小満の腕に大きな包みを押しつける。
「道中で食べなさい」
少し声を詰まらせ、それでも笑おうとして続けた。
「向こうへ帰っても……哀家のことを忘れないでおくれ」
「忘れないよ!」
小満は皇太后の首にぎゅっと抱きつき、その頬へちゅっとキスをした。
「皇太后様が一番大好き!」
「ウルトラマンに変身できるようになったら、また戻ってきて怪獣から守ってあげるね!」
その一言で、皇太后はついに涙をこぼした。
「……ふふっ。本当に」
笑いながら涙をぬぐう。
「約束だからね。哀家は待っておるよ」
賢妃は私の前へ分厚い冊子の束を差し出した。
「殿下。これは臣妾の生涯最高傑作です」
「向こうへ帰られたあと……もし機会がございましたら……」
「本にしていただけませんか?」
私は一冊を開く。
一ページ目には、大きく――
『龍陽東宮』
の四文字が躍っていた。
「……考えておくよ」
淑妃は一番ひどく泣いていた。
小満の手をぎゅっと握ったまま、どうしても離そうとしない。
「貴妃様ぁ……」
「臣妾、寂しくてたまりません……」
小満は首を横に振る。
「もう貴妃じゃないよ」
「ぼくは小満!」
それから真面目な顔で続けた。
「淑妃様も、今度はちゃんといい皇帝を見つけてね」
「それから恋愛小説ばっかり書いちゃダメ」
「小説じゃ、お金はあんまり稼げないから」
「…………」
淑妃は泣きながらも思わず固まってしまった。
福海は床に跪き、額を畳につけたまま全身を震わせていた。
「陛下……殿下……」
「この福海……この福海は……」
嗚咽で、その先が続かない。
皇帝は自ら手を差し伸べ、彼を立たせた。
「福海」
「この三年間、本当に世話になった」
福海は涙も鼻水もぐしゃぐしゃのまま首を振る。
「もったいないお言葉でございます……!」
「陛下にお仕えできたことは、この福海にとって八代積んだ徳よりもありがたい幸せにございます……!」
皇帝は穏やかに笑った。
「もう、仕えなくていい」
福海の肩を軽く叩く。
「朕は遺詔を一通残してある」
「新しい皇帝が即位したら、お前は宮中を出ろ」
「屋敷も用意してある。良田三百畝も残しておいた」
「これからはゆっくり余生を過ごせ」
福海は呆然と目を見開き――
次の瞬間、子どものように声を上げて泣き崩れた。
皇帝は私の手を握り、
もう片方の腕で小満を抱き寄せる。
三人で寿康宮の中央に立つ。
そのとき、頭の中にシステム音が鳴り響いた。
【帰還までカウントダウン開始】
【10……9……8……】
小満がふいに顔を上げる。
「パパ」
「また、この世界に来られる?」
皇帝は娘を見下ろし、優しく微笑んだ。
「……帰りたくなったら、夢の中で帰っておいで」
「夢の中なら――」
「私たちは、いつだって一緒だから」
【3……2……1――】
眩い白い光が、世界を包み込んだ。




