第61話 鎖
東宮に閉じ込められて、三日。
影七の姿は消えた。
隠密たちも全員引き揚げられ、賢妃からの伝言さえ届かない。
東宮はまるで、美しく飾られた墓だった。
四角く囲われ、外の風ひとつ入ってこない。
四日目の夜。
小満が熱を出した。
寝台の上で身体を丸め、蘇貴妃の絶世の美貌は熱で真っ赤に染まり、うわ言を繰り返している。
「……ママ……寒いよ……」
「パパ、いつ帰ってくるの……」
私は彼女を抱きしめ、濡れた布で何度も額を拭いた。
薬はない。
太医も来ない。
熱い湯一杯すら、誰も持ってきてくれない。
食事を運ぶ宦官は、食籠を門の前へ放り投げるだけ。
その目は、まるで死人を見るようだった。
「……ママ……」
不意に、小満が私の手をぎゅっと掴む。
うっすら目を開け、小さく囁いた。
「……悪い人の匂いがする……」
「え?」
「いっぱい……いっぱい来る……」
「刀を持ってる……」
背筋が凍りついた。
その瞬間――
遠くで鈍い衝撃音が響く。
まるで宮門が破られたような音。
続けざまに二度、三度。
そして。
怒号。
金属がぶつかり合う鋭い音。
抜刀の音。
叫び声。
それらが、どんどんこちらへ近づいてくる。
私は窓へ駆け寄り、そっと隙間を開けた。
宮城の外は、真っ赤な炎に包まれていた。
……宰相が、ついに兵を挙げた。
しかも、私の予想より早い。
毒で私を始末するのを待つ気などない。
今夜、このまま王朝そのものを乗っ取るつもりなのだ。
「ママぁ……」
背中で小満が震える。
「……怖いよ……」
振り返る。
高熱で意識は朦朧としているのに、それでも必死に私のほうへ這って来ようとしていた。
大人の女性の顔に。
五歳の子どもの涙が流れている。
胸が締めつけられた。
私はしゃがみ込み、小満を背中へ負ぶう。
その上から厚い外套をぐるりと巻きつけた。
「大丈夫。」
震える声で、それでも言い聞かせる。
「ママが、パパのところまで連れて行くから。」
その瞬間。
――ドンッ!!
扉が勢いよく蹴破られた。
私は小満を背負ったまま、後殿へ身を引く。
雪崩れ込んできたのは禁軍。
だが先頭に立つ男だけは、宰相府の私兵の装束を身につけていた。
手にした刀からは、まだ血が滴っている。
男は冷たく笑う。
「太子殿下。」
「宰相様が金鑾殿でお待ちです。」
私は静かに問い返した。
「断ったら?」
男は刀を構える。
「その場合は――」
「殿下の首だけを、お持ち帰りいたします。」
言い終わるより早く、刀が振り下ろされた。
私は反射的に目を閉じ、身体をひねる。
刃風が耳元をかすめ、
髪が一房、宙へ舞った。
――ヒュンッ!!
次の瞬間。
窓の外から一本の矢が飛び込み、男の喉を正確に貫いた。
男は目を見開いたまま、その場へ崩れ落ちる。
天井の梁から、一つの影が降り立った。
影七だった。
全身血まみれで、
手にはまだ弓を握っている。
息も荒い。
それでも彼は私を見ると、かすれた声で短く告げた。
「殿下……」
それから素早く手で合図を送る。
――密道へ。
――陛下は、承乾宮に。
「影七!」
私は思わず叫ぶ。
「あなたは?」
影七は静かに首を振った。
そして門の外を指差す。
そこからは無数の足音が迫ってくる。
一人、また一人。
敵兵が次々と集まっていた。
影七は何も言わず振り返る。
血に染まったその細い背中が、
たった一人で入口を塞いだ。
私は唇を強く噛み締める。
そして小満を背負ったまま、
寝台の奥に隠された暗扉を開き、
闇へと身を滑り込ませた。
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