第41話 高難度イベントが間もなく発生します
出征の日――
空はどこまでも青く、雲ひとつなかった。
皇帝は漆黒の鎧をまとい、愛馬の上に凛然と座している。
その背後には、十万の大軍。
旗が風を裂き、甲冑が朝日に鈍く輝いていた。
俺は皇太子の朝服をまとい、城門の楼閣の上からその光景を見下ろしていた。
隣には、小満。
貴妃の宮装を身にまとい、風に裾を大きくはためかせている。
小満は目を輝かせながら、小さく呟いた。
「パパ、かっこいい……」
「……うん。」
しばらくして、小満が俺の顔を覗き込む。
「ママ。」
「目、赤いよ。」
俺は視線を逸らした。
「風のせい。」
小満は唇を尖らせた。
それ以上は何も言わない。
見抜いているくせに、あえて追及しなかった。
その優しさが、少しだけ胸に痛かった。
楼閣の下。
皇帝がふと顔を上げた。
これほど離れているのに――
なぜか、その瞳の奥に浮かぶ笑みまで見えた気がした。
次の瞬間。
彼は右手をゆっくり持ち上げ、一つの合図を送ってくる。
それは――
前世の俺たち夫婦だけが知る約束のサイン。
「必ず、生きて帰る。」
俺も迷わず手を上げる。
同じ合図を返した。
「待ってる。」
皇帝は静かに笑った。
そして手綱を引く。
馬が向きを変え、
次の瞬間には土煙を巻き上げながら駆け出していた。
十万の軍勢も、それに続く。
やがて、
無数の軍旗は地平線の彼方へ消えていった。
小満がそっと俺の手を握る。
「ママ。」
「パパ、大丈夫だよね?」
「……大丈夫。」
「本当に?」
俺は小さな手を強く握り返し、
遠ざかる軍旗を見つめながら静かに答えた。
「約束する。」
「必ず帰ってくる。」
その瞬間。
頭の中に、久しぶりの電子音が響いた。
【ピコン! 重要イベントを検知しました。】
【任務Ⅱの進行状況を更新します。】
【残り生存期間:八か月】
【隠し任務を解放しました。】
【《帝位を守れ》】
【警告:高難度イベントが間もなく発生します。十分注意してください。】
俺は眉をひそめた。
……高難度イベント?
どういう意味だ。
その時、小満が袖をくいっと引っ張る。
「ママ。」
「見て。」
俺は彼女の視線を追った。
城楼の角を、一人の宦官が慌ただしく立ち去っていく。
その後ろ姿には見覚えがあった。
――福海。
皇帝の最も信頼する側近だ。
だが、
彼が向かっている方角は北疆ではない。
皇宮でもない。
後宮だった。
胸がどくりと鳴る。
福海は皇帝の人間だ。
その彼が戦場へ同行せず、
このタイミングで後宮へ向かう理由は一つしかない。
……まさか。
俺は小満の手をぎゅっと握り締めた。
ようやく理解する。
この戦いは、
突厥との戦だけでは終わらない。
皇帝が都を離れる、その瞬間を待っていた者がいる。
皇帝が――
帰ってこられないことを望んでいる者が。
そして今、
俺が守るべきものは。
この国だけじゃない。
あいつが命懸けで守ろうとした――
俺たちの「家」だ。
「行こう。」
俺は小満の手を引いた。
「どこ行くの?」
「東宮へ戻る。」
俺は静かに答える。
「それから――」
「片づけるべき奴らを、一人残らず片づける。」
小満はぱちぱちと目を瞬かせたあと、
ふっと笑った。
「ママ。」
「今の顔、パパそっくり。」
「……どこが?」
「前にぼくがアイスをこっそり食べたとき。」
「ママ、あの時も同じ顔してた。」
「……」
言い返せなかった。
小満は楽しそうに笑いながら俺の隣へ駆け寄る。
腕の中では橘猫が顔だけをひょこっと出し、きょろきょろと辺りを見回していた。
陽光が朱塗りの宮壁を照らし、
眩しさに思わず目を細める。
あと八か月。
残された時間は、あと八か月。
俺は静かに息を吸い込み、
宮門をくぐった。
この先に何が待っていようと構わない。
俺たち家族は――
誰一人、欠けさせない。




