第39話 俺には無理だ......
太后はしばらく彼を見つめていた。
そして最後には、小さく手を振る。
まるで一瞬で十歳も老け込んでしまったかのような、そんな疲れた仕草だった。
「……もうよい。」
「食事にしましょう。」
その後の食卓は、何を口にしても味がしなかった。
東宮へ戻る道すがら。
歩き疲れた小満を、皇帝は黙って背負っていた。
小満は彼の肩に頬を預け、今にも眠ってしまいそうな声で小さくあくびをする。
俺はその隣を歩きながら、ぽつりと口を開いた。
「……さっきのは、言わない方がよかった。」
「どの言葉だ?」
「『見たければ見せておけばいい』って。」
皇帝は足を止めた。
ゆっくりと振り返る。
月明かりが彼の横顔を照らし、その端正な輪郭をくっきりと浮かび上がらせていた。
「では、お前はどうしてほしかった?」
静かな声で問いかける。
「お前を隠せばよかったのか。」
「お前たち親子を隠し、互いに知らないふりをして、この宮中で怯えながら生き続ければよかったのか。」
俺は口を開きかける。
けれど、何も言えなかった。
皇帝は小さく息を吐く。
「……俺には無理だ。」
「前の人生でも無理だった。」
「この世界でも、それだけはできない。」
その時。
背中の小満が小さく身じろぎし、眠そうな声で呟いた。
「……パパ……」
皇帝はすぐに優しく応える。
「ああ、ここにいる。」
「安心して眠れ。」
その声は、皇帝のものとは思えないほど穏やかで、優しかった。
俺はその場に立ち止まり、彼の背中を見つめる。
月明かりに照らされて、
親子二人の影が長く伸び、
ぴったりと重なり合っていた。
まるで、一枚の絵のようだった。
気づけば俺は足を速め、
彼に追いつくと、そっと袖をつまんだ。
皇帝が振り返る。
「……少しゆっくり歩いて。」
「俺、追いつけない。」
彼は一瞬だけ目を丸くした。
そして、ふっと笑う。
小満を背負ったまま片手をこちらへ差し出した。
俺はその手を握る。
彼は何も言わず、ぎゅっと握り返してくれた。
三人で並んで、宮道をゆっくり歩く。
夜風は冷たかった。
けれど、その手だけは驚くほど温かかった。
太后とのあの夕食以来、
後宮は数日間、不気味なほど静かだった。
だが、その静けさは――
嵐の前の静寂にすぎない。
そんな予感だけは、ずっと胸の奥にあった。
そして七日後。
その予感は、現実になる。




