第31話 「父上の心には、大切な人がいる」
皇帝は「うむ」と短く返事をすると、工部の方へ視線を向けた。
「太子の言ったことに、間違いはないか?」
工部侍郎は覚悟を決めたように一歩前へ出る。
「陛下に申し上げます。確かに、今年は秋になってから雨が多く……」
「秋に雨が多いのは、今年だけの話ですか?」
私は彼の言葉を遮った。
声は穏やかだった。
けれど、殿内全員に届くほど、はっきりとしていた。
「三年前も、五年前も、十年前も。秋に雨が降らなかった年などありますか?」
「工期が遅れた理由をすべて天候のせいにするなら、工部は一年中、天の機嫌を伺って仕事をしているだけなのですか?」
「それで朝廷から俸禄を受け取る資格があると?」
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殿内は静まり返った。
遠くに置かれた銅壺滴漏の水音さえ、はっきり聞こえるほどだった。
工部侍郎の額から汗が流れる。
唇を何度か動かした後、ついに頭を下げた。
「……臣の過ちでございます。」
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皇帝は何も言わなかった。
ただ。
わずかに顔を横へ向け、私を見た。
ほんの一瞬。
けれど、その瞳には明らかな称賛が浮かんでいた。
そして再び正面へ向き直る。
「期限は十日。」
「河道工事を必ず完了させよ。」
「できなければ、工部侍郎は一階級降格とする。」
「臣、承知いたしました。」
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私は紫檀の椅子に座ったまま、密かに息を吐いた。
背中には、少し汗が滲んでいた。
これが。
この世界へ来てから初めて、私が朝廷で自分の力を示した瞬間だった。
下から向けられる視線。
驚き。
警戒。
探るような計算。
すべてが私に向けられている。
それでも、私は逃げなかった。
これは、夫が私のために用意してくれた道。
ならば。
私自身の足で、最後まで歩ききらなければならない。
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朝議は一刻半ほど続いた。
その間、皇帝は三度、私へ話を振った。
私はそのすべてを受け止めた。
そして。
朝議が終わる頃には。
満朝文武が私を見る目は、入殿した時とは完全に変わっていた。
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殿を出る途中。
兵部尚書が私の横を通り過ぎた。
だが。
数歩進んだところで、彼は足を止めた。
そして声を落とす。
「殿下。本日の殿下は……以前とは違われますな。」
私は静かに答えた。
「ご忠告、ありがとうございます。」
兵部尚書は私を一瞥した。
しかし、それ以上は何も言わず、そのまま去っていった。
ただ。
彼が歩き出した時。
来た時よりも足取りが速く。
背筋も、以前よりまっすぐ伸びているように見えた。
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東宮へ戻ると。
小満はすでに門のところで眠っていた。
橘猫は彼女の腕の中で丸くなり、長い尻尾を小さな手の甲に乗せている。
眠り方は相変わらず豪快だった。
貴妃の衣の裾は膝までめくれ上がり、白い足が半分ほど覗いている。
守門の宮女たちは、私の姿を見ると明らかにほっとした表情を浮かべ、深く礼をしてすぐに下がっていった。
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私は腰を屈め、小満を抱き上げる。
けれど。
思ったより重かった。
大人の女性の身体は、私が覚えている五歳の子供の重さとはまったく違う。
腕にずしりと負担がかかり、危うくよろめきそうになった。
すると。
小満がぼんやり目を開けた。
私だと分かると。
「ママ……帰ってきた……」
小さく呟き。
そのまま私の胸元へ顔を埋める。
そして。
また眠りへ落ちた。
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私は彼女を抱えたまま殿内へ入り、寝台へ寝かせる。
小満は寝返りを打ち、身体を小さく丸めた。
けれど。
その小さな丸まり方は。
成人女性の細く整った身体だった。
それだけで、奇妙な違和感が胸に残る。
私は布団をかけてやり、指先で彼女の乱れた髪をそっと撫でた。
その時。
「……ママ。」
突然、小満が呟いた。
目は閉じたまま。
声は眠気でぼんやりしている。
「太后様がね……私にもう一つ言ったの。」
私は手を止めた。
「何て?」
小満は小さく息を吐く。
「……『父上を怖がらなくていい』って。」
「『父上の心には、もう大切な人がいるから』って。」
「……でも、その人は私じゃないって。」
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私の指先が、空中で止まった。
小満はそれだけ言うと、完全に眠りへ落ちた。
規則正しい寝息。
穏やかな表情。
まるで。
今の言葉など、ただの寝言だったかのように。
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けれど。
私は寝台の横に立ったまま。
眠る小満の顔を見つめていた。
背中に。
冷たいものが何度も走る。
太后は。
一体、何を知っているのか。
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