第18話 朕が怖い? 太子殿下は、そう思っているのか
偏殿。
扉がゆっくりと閉じられた。
外の気配が、すっと遠のいていく。
皇帝は上座に腰を下ろした。
その向かいには、蘇貴妃の姿をした小満がいる。
腕の中には、あの丸々と太った茶トラ猫。
一人と一匹。
向かい合ったまま、しばらく沈黙が続いた。
皇帝はふと、妙な感覚に襲われた。
なぜだろう。
目の前の光景が、どこか懐かしい。
まるで昔。
こうして自分の前に座り、真剣な顔でとんでもないことを言っていた誰かがいたような――。
皇帝の目から、ほんの一瞬だけ光が消える。
「もう誰もいない」
低い声が落ちた。
「話せ」
小満はこくりとうなずいた。
だが、すぐには口を開かなかった。
まず扉のほうをちらりと見る。
本当に誰も聞き耳を立てていないことを確認してから、声を潜めた。
「……私のママが、もう大変なんです」
皇帝の手にあった茶杯が、ぴたりと止まった。
「……ママ?」
小満の顔が凍る。
しまった。
危うく、いつもの呼び方が出てしまった。
母親の姿をしている今なら、なおさら怪しまれる。
「ち、違います!」
小満は慌てて言い直した。
「ママじゃなくて……太子殿下です!」
皇帝は何も言わなかった。
ただ、じっと小満を見つめている。
蘇貴妃の顔をした小満は、その視線に妙な居心地の悪さを覚えた。
それでも、今日ここへ来た目的を思い出し、意を決して話を続ける。
「太子殿下、最近ぜんぜん眠れてないんです」
皇帝の眉が、ほんのわずかに動いた。
「眠れていない?」
「はい」
小満は指を一本ずつ折りながら訴える。
「ご飯もろくに喉を通らないし」
「毎日ずっと心配してるし」
「このままだと髪の毛まで全部抜けちゃいそうです」
皇帝:「……」
小満はますます腹を立てた。
「全部、陛下のせいですよ!」
皇帝が片眉を上げる。
「朕のせい?」
「そうです!」
小満は堂々と言い切った。
「陛下は太子殿下を呼びすぎなんですよ!」
「今日は御書房」
「明日は御苑」
「その次の日は……皇帝陛下の寝台で寝かせたりまでして!」
皇帝の指先が、机を軽く叩いた。
トン。
静かな音が、妙に大きく響く。
そして次の瞬間。
皇帝がふいに尋ねた。
「……あの子は、なぜ朕を怖がる?」
小満の動きが止まった。
「それは……」
危うく口から出そうになった。
――陛下が、僕たちの秘密に気づいたから。
だが、寸前で飲み込む。
言ってはいけない。
ママ……ではなく、太子殿下と自分の秘密は、絶対に誰にも知られてはいけない。
ましてや、この皇帝には。
小満は必死に頭を働かせた。
「それは……」
どうにかして、もっともらしい理由を探す。
そして。
「……太子殿下が、陛下に首を斬られるんじゃないかって思ってるからです」
皇帝:「……」
偏殿の空気が、しんと静まり返った。
二秒。
三秒。
やがて。
皇帝の口元が、わずかに緩んだ。
「……あの子は、そんなことを考えているのか?」
「はい」
小満は真剣な顔でうなずいた。
「毎日、自分はもうすぐ死ぬって思ってます」
「朕は、そんなに恐ろしいか?」
小満はしばらく考え込んだ。
皇帝の顔を見る。
蘇貴妃の顔で、じっと見る。
そして。
「……ちょっとだけ」
皇帝:「……」
なるほど。
どうやら。
自分の太子は、朕に対してかなり不満があるらしい。
だが、皇帝は知らない。
目の前にいるのが、蘇貴妃の姿を借りた「誰か」だということを。
そして小満も、まだ知らない。
自分の何気ない一言が。
この男の中に、ある一つの疑念を植えつけたことを。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます!
陛下の前で、うっかり秘密を漏らしそうになる小満。
しかも、太子殿下のことを心配するあまり、陛下にまで「ちょっと怖い」と言ってしまいましたね。
果たして、陛下は太子殿下を本当に怖がらせているだけなのでしょうか?
それとも……陛下が太子殿下に向ける視線には、別の意味があるのでしょうか?
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