第17話 深夜、妃が朕に会いに来た。しかも秘密の共犯者を連れて
「蘇貴妃をお通ししろ」
福海がそう告げた瞬間。
寿康宮は、しんと静まり返った。
静かすぎて、揺れる蝋燭の炎がパチパチと燃える音まで聞こえてくる。
太后は、そっと目を閉じた。
終わった。
結局、止められなかった。
この一日、太后はありとあらゆる手を尽くした。
まずは嬷嬷に書物を届けさせた。
次に淑妃を御花園へ向かわせ、皇帝の足止めをさせた。
さらに賢妃まで動員して、あれこれ理由をつけて時間を稼いだ。
最後には自ら皇帝を寿康宮へ連れ込み、二刻もの間、延々と話し続けた。
しかも途中で、皇帝が幼い頃に七歳までおねしょをしていたという、とんでもない昔話まで掘り返した。
それなのに。
結局どうなった?
蘇貴妃のほうから、自ら皇帝の懐へ飛び込んできたではないか。
太后はゆっくりと目を開け、複雑な表情で息子を見た。
皇帝も、まさか蘇貴妃がこんな夜更けに突然やって来るとは思っていなかったらしい。
椅子に座ったまま、指先で卓を軽く叩いている。
だが、その瞳にはすでに深い色が宿っていた。
ここ最近。
誰も彼もが、あの手この手で自分と蘇貴妃を会わせまいとしていた。
それなのに。
今度は蘇貴妃のほうから、自分に会いに来た。
……面白い。
実に面白い。
「通せ」
皇帝は淡々と命じた。
ほどなくして。
殿の扉がゆっくりと開かれた。
そこから、一人の細身の女が入ってくる。
蘇貴妃だった。
今夜の彼女は、いつもよりずっと気楽な格好をしている。
そして、その腕には――
見るからに丸々と太った橘猫を抱えていた。
蘇貴妃……いや、その身体に宿る小満は、寿康宮にこんなにも人がいるとは思っていなかったらしい。
猫を抱えたまま、のんびりと中へ入ってくる。
そして太后の姿を見つけた瞬間。
ぱっと顔を輝かせた。
「太后様!」
その瞬間、太后の表情が一気に柔らかくなる。
「まあ、そんなに急がなくてもいいよ」
蘇貴妃の姿をした小満は、すっかり慣れた様子で太后のもとへ駆け寄った。
そして、太后の隣にある椅子へ腰を下ろす。
その一連の動作は、あまりにも自然だった。
どうやら、ここへ来るのは今回が初めてではないらしい。
――だが。
そこでようやく、小満は気づいた。
隣に、もう一人いる。
小満はぱちぱちと瞬きをした。
そして首を傾げる。
「……あれ?」
視線の先にいる皇帝を見て、何気なく口にした。
「陛下のおじさんもいるんだ」
皇帝:「……」
福海:「……」
太后:「……」
寿康宮の空気が、一瞬で凍りついた。
皇帝がゆっくりと顔を上げる。
「……陛下の、おじさん?」
その瞬間、小満は自分が呼び方を間違えたことに気づいた。
しまった。
ママ……いや、蘇貴妃として宮中にいる以上、変な呼び方をしてはいけないと、何度も言われていたのに。
小満はそっと肩を縮めた。
そして、ちらりと皇帝を見る。
皇帝と目が合いそうになり、慌てて視線を逸らした。
だが。
皇帝は、その一瞬の仕草を見逃さなかった。
目の前にいるのは、紛れもなく蘇貴妃だ。
だが。
今日の彼女は、どこか妙だった。
皇帝の目に、探るような光が浮かぶ。
「……蘇貴妃」
低い声が落ちる。
「朕に会いに来たのか?」
小満は、こくこくとうなずいた。
「うんうん」
「何か用があるのか?」
「あるよ」
小満の顔が、途端に真剣になる。
「すっごく大事な話」
皇帝の眉がわずかに上がった。
「ほう?」
小満は真面目な顔でうなずく。
そして、周囲をちらりと見回した。
「でも、誰にも聞かれちゃダメなの」
皇帝も周囲を見渡す。
太后は黙って茶を飲んでいる。
福海は扉のそばに立っている。
侍女や嬷嬷たちも、皆その場にいる。
そして今や、全員の視線が皇帝と蘇貴妃に集まっていた。
皇帝は目を細めた。
「なぜだ?」
小満は声をひそめる。
「だって……秘密だから」
皇帝:「……」
なんとも率直な答えだった。
皇帝はしばらく蘇貴妃を見つめた。
この女。
一体、何を考えている?
やがて。
皇帝は静かに立ち上がった。
「なら、朕と一緒に来い」
小満はすぐに椅子から立ち上がった。
そして、当然のように腕の中の橘猫を抱き直す。
皇帝の視線が、猫へ向いた。
「……その猫も連れていくのか?」
「もちろん」
即答だった。
皇帝は眉をひそめる。
「なぜだ?」
小満は当然のことのように答えた。
「こいつは、僕の秘密の共犯者だから」
皇帝:「……」
福海:「……」
太后:「……」
寿康宮に、再び奇妙な沈黙が落ちた。
皇帝は目の前の蘇貴妃を見つめた。
腕の中には、丸々とした橘猫。
その顔には、悪びれた様子など一切ない。
――秘密の共犯者。
一体、何の秘密だ?
皇帝の目が、ゆっくりと細められた。
「……なるほど」
その声には、かすかな笑みが混じっていた。
「では、その秘密とやらを――」
皇帝は蘇貴妃を見下ろす。
「朕に聞かせてもらおうか」
蘇貴妃の姿をした小満は、橘猫を抱いたまま、満面の笑みを浮かべた。
「うん!」
そして二人と一匹は、誰にも聞かれない秘密の話をするため、偏殿へと向かっていった。
その背中を見送りながら。
寿康宮に残された太后は、静かに茶杯を置いた。
――嫌な予感しかしない。
いや。
もしかすると。
一番危ないのは、蘇貴妃ではない。
あの皇帝のほうかもしれない。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
今回の小満の登場、いかがでしたか?
皇帝の前で「秘密」を抱えて現れた蘇貴妃。
そして、秘密の仲間として連れてきた一匹の猫。
この二人が一体何を話すのか。
皇帝は蘇貴妃の秘密に気づいてしまうのか。
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