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文学という名の軽さ

 昭和19年。秋。

 児童文学作家・間宮リカが始めに派遣されたのは羽田である。ここは1941年昭和16年10月より、海軍の飛行教育隊である霞ヶ浦海軍航空隊の一部が移り訓練を続けていた、民間・陸・海軍共用の空港であった。

 霞ケ浦の訓練部隊と言えば、夫の蒼太郎が第一期生として合格し、横須賀に移転するまで勉強をした所である。リカは不思議な縁を感じながら、海軍情報部員と共に取材に赴いた。中国戦線に派遣された女性作家もいた中、近場の東京飛行場への取材に留まったのは、小さい子がいる事に対する配慮なのかもしれない。

 同行の若い情報部員も、始めは高圧的な態度や皮肉を向けていたが、ふとした拍子にリカの夫が元海軍の飛行士だと分かると態度を変えた。筆名は旧姓を使っていたから、彼女が作家・碧生蒼太郎の妻だとは気づかなかったのだろう。


 一行は基地の担当士官の案内で、ひとまず広い基地内を歩いて回り、滑走路の端から駐機してある練習機の機影を眺めた。練習用の基地とは言え、思った程には訓練飛行はしていない。自分のような部外者が来たから警戒しているのだろうか。


「もう燃料も油もないのですよ。訓練機も空襲や特攻に駆り出されて、数が減っている。ろくに訓練も受けさせられずに戦地に派遣される飛行士ばかりなんですよ」


 お目付け役の情報局員の目を盗み、ベテランの整備班長に話を聞いてみると、彼は悔しそうに語った。随分率直な物言いだと不思議に思っていると、整備班長は自分は碧生の同期だとリカに告げた。

 リカは小さな取材メモ帳に、見聞きした事を詳しく書き込んでいたが、ふと目をあげると、練習機の陰や格納庫の隅、滑走路の端から幾つもの幼さの残る眼が、彼女を見詰めていた。


「あいつらは少年兵に毛の生えたような奴らです。手練れの飛行士達は皆南方へ送られて帰って来ないか、戦死してしまった。もうあんな子供達しかいないのです。それでもここは守らなけりゃなりません」


 碧生蒼太郎と同期だという事は、彼は30歳前後なのだろうか。こんな自分が今では最古参の年齢ですよ、と班長は苦く笑った。


「霞ケ浦第一期生の奥様が来るというので、心待ちにしていた奴らが大勢います。出来たらそいつらの話も聞いてやってください」

「分かりました。情報局の方にお願いしてみます」


 女流作家の頼みに情報局員は大層渋い顔をしたが、若い兵士達の意気込みを聞くという目的を提示され、渋々作家と兵士の直接対話を許した。

 先輩兵士達に隠れてこっそりと手紙を託す少年兵は


「従妹にです」


と言いつつ小さく固く畳んだ、封筒に入った手紙をリカに託した。周りの兵士達が、なにが従妹なものか、絶対に恋人だろうと冷やかした。

 近々母の誕生日なので、とやはり手紙を託す者、ずっと年下の妹が貴女の本を何時も読んでいました、と言ってくれる兵士もいた。


「確かに子供向けかもしれないが、私も勉強の合間に読んでいました。この戦争が始まる前の東京の光景が幾つも描かれていて、私は大好きでした」


 自分も大学生だという新米飛行士の若者は恥ずかしそうに言った。海軍の中では『碧生蒼太郎の妻』という眼でしか見られないだろうと思っていたリカは、思いもかけぬ愛読者に心が温かくなった。

 だがその笑顔も、自分に手紙を託す若々しい武骨な手も、敵の飛行機と戦って負ければ、銃弾に裂かれ炎に包まれて亡くなってしまう。誰にも秘密ですよ、と目を輝かせて、故郷でこっそりと付き合っていた少女の話をする兵士と、それを羨ましがる若者達をリカは胸塞がる思いで見つめていた。


 この若者達は皆10代や20代前半。人生の波乱も恋の甘美さも苦悩も知らず、漠然とした憧れだけを抱えて死に赴く青年達だ。その彼らを前にして自分は何が言えるのか。死は隣にいるというよりも、脱げない上着のように常に覆い被さってくる。その中でも最も死に近いこの若者達に、自分は何を聴き何を書こうというのか。

 抜け出せない蟻地獄のような状況の前には、ペンと声は圧倒的に無力だ。表現の手段を失った時、自分には一体何が残るだろう。


「大丈夫。皆様のお手紙は全部手帖に大事に挟んで、誰にも見せないでお渡しします。すぐにというわけにはいかないけれど、必ず届けますから」


 リカの声に安心した様にうなずく若者達。その童顔が傷ましく、リカは細かい文字で埋め尽くされた取材手帖に目を落とした。今はまだ、幸いなことにペンは残されている。そして、はるかに厳しい環境の外地で取材をした夫の心身を、リカは心配した。 

 

 夫の蒼太郎は、春から初夏にかけて外地の海軍航空隊基地の取材に行った後、軽く体調を崩していた。大丈夫だよ、何でもないよ、と家族には笑顔を向け、防空訓練に参加し配給の列に並び、ペンをとって従軍記を書いていた。だがその背中は大層辛そうだった。

 わかる。分野は違っても同じ『書き手』として、妻のリカには夫の辛さと、それでも書かずにはいられない作家の劫が理解できた。自分も国内の基地を幾つか取材して得た情報を基に、国威高揚の為の作品を求められているのだ。


「蒼太郎先生、お作、進んでいます?」


 リカは夕飯を作りながら、一息つきに二階の書斎から降りてきた夫に尋ねた。自分はこうして家事や手仕事をやれば気分も替えられるが、仕事人間の夫はそうはいかない。根を詰めすぎている。


「いや、なかなか。思ったようには書き進められないものだね。現地で書いてきた取材ノートの半分も文章にできない」

「私もです。求められているものと書いておかねばと思う事って、違うものですね」

「それが自然だよ。僕もそうだ」

「先生、無理して書いて、また体調を損ねませんように」

「大丈夫だよ。それより帝都の空もだいぶきな臭くなって来た。君も子供達も外出する際は気をつけなさい」


 11月、サイパン島が米軍の手に落ち、お隣テニアン島の滑走路が米軍機の離発着に使われるようになると、日本全土が新型爆撃機や戦闘機の攻撃範囲になった。間もなく本土空襲が本格的になり、東條英機内閣は総辞職した。

 代わって就任したのは陸軍の元朝鮮総督、小磯國昭である。


 昭和19年12月。

 体の芯まで冷える空っ風の吹く冬が巡ってきた。微熱が続き食欲もなくますますやせ細った碧生蒼太郎の元に、郵便屋が一通の郵便を届けた。差出人は元目白台の司教座聖堂に居た湯浅神父。投函された住所は長崎県長崎市になっている。

 

 『主の平和

 私の住所に驚かれた事と思います。私は今修道院を離れ、長崎の地に司牧の機会を得てこちらに住んでおります。

 異動の内示が示されたのは秋、万霊節の直後の事です。私は友人の片桐惟人君を失った某事件の後、修道会管区長の計らいで長く修道院にて保護を受けていましたが、命を受け長崎に派遣されました。

 蒼井先生、間宮先生のご活躍もしばしば耳に致します。文章の依頼があるという事は素晴らしい事です。新しい事に挑戦し、その分野の勉強をし、実地を積み経験を活かすのは、若いお二人の作家生活において必ずお役に立つと存じます』


 長崎と言えばカステラ、金平糖、ちゃんぽん。甘かったり魚介がたっぷりだったりでお腹がすくものばかりだね。蒼太郎とリカは娘を両側から抱きしめて笑った。神父の手紙は続いた。


『先日、地元の信者に船を出してもらい五島の島々に行きました。江戸初期のキリスト教の迫害厳しかりし時代に家族もろとも処刑されたガスパル西、ジュアン坂本ら、多くのキリスト教徒が信仰を捨てず命を落とした所です。私の疲れ切った心はその海と空の青、岩に囲まれた地でひたすらに祈り、勇気と力を得ました。

 今はキリスト教徒にとって大層困難な時代です。今に至る数十年前から、ゆっくりゆっくり世の中の困難さは増してゆき、人々の物言う力、立ち上がる気力は挫かれ、ついに困難を耐え忍ぶという方便で黙り込むようになりました。

 だが私は『神様はきっとわかってくださる』という言い訳を、神様に対して、何より自分の内なるご聖体に対してしたくなかった。例え友を失い人間関係を断たれても、悔いなく生きたいと思っていました。

 古い友人の多くは志半ばにして天に召されましたが、私はたまたま生かされ、まだ息をして大地を踏みしめながら信徒達と共に祈り、人の世に留まる猶予を与えられました。自分のこれまでしてきた事に後悔はありませんが、友人達を志半ばの無念の死に追いやった者達も、それを止められなかった私を含めた者も、誰も恨み憎む事はできません。

 自分のした事もされた事も、その結果は全て神が判断されるもので、人は人を裁き断罪する事はできません。そして人間のやる事は全て、天の御父にとっては愚かしくも愛しい事なのです。その愚かしさを叱りつける事ができるのも御父だけです。例え人の為した事が最悪の愚かな所業であっても。

 平戸から帰ってきた後、私は待降節に向けて、信徒達と心穏やかに準備に専心できるようになりました。今派遣されている教会は長崎の司教座聖堂である浦上天主堂のすぐ近くです。小さな教会で、時局がら色々と困難な事はありますが、熱心な信徒達が温かくも厳しく私を見守ってくれます。

 いつかまた、皆さんにお目にかかる日が来る事を願っております。碧生さん達のお子さんも、柘植夫人のお子さんもだいぶ大きくなられたでしょう。東京の地で皆さんと親しく交わる事ができたのは真に天のお恵みだったと噛みしめている毎日です。

 それでは。皆様に豊かな恩寵がもたらされることをお祈りしつつ』


 手紙には浦上天主堂の壮麗なスケッチが同封されていた。


「綺麗な建物ね、お父さん、お母さん」

「そうだねえ。でも父さんと母さんが出会った病院のすぐ隣にも、これと同じくらい美しい教会の建物があるのよ。亜希子もヨハネおじちゃんを迎えに行く時に行ったでしょう」

「そこはここみたいに華やかじゃなかった」


 確かに長崎の浦上に比べれば、子供の目に東京の司教座聖堂は渋くこじんまりと見えるかもしれない。蒼太郎とリカは苦笑した。若い頃その隣のサナトリウムの庭で、緑と花に囲まれてニンフに扮した娘と朴念仁として、二人は出会ったのだ。その日々と司教座聖堂は切っても切れない大事な記憶だ。


「今はとても寒いから、戦争がひと段落して世の中が落ち着いたら行こうねえ」


 蒼太郎は『勝ったら』という言い方は避けた。代わりに『ひと段落したら』と娘に言った。

 先日帰国して今執筆中の、外地の海軍航空基地の取材記事。克明な取材メモを読み返し文章にしていくにつれ、軍情報局の望む戦意高揚、銃後の家族の士気を高める為の文章にはなりようがない。

 外地へ赴いた碧生蒼太郎だけでなく、国内航空基地の取材に留まった妻のリカも、自分の周りに集まってきたあどけない顔つきの少年兵や若者達をどう書いていいのか苦しんでいた。


 生きる為には書かなければいけない。配給切符の配布を受け原稿料をもらい、子供を護り生き抜く為には、信条に沿わない文章も書いていかなければならない。だがそれがどれほどの役に立つのか。蒼太郎とリカの二人の作家は、この時ほど自分の持つペンが軽く感じられた事はなかった。

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