ウラジオストックの青年・1
1860年、清国から北京条約で奪い取った海辺の土地を、ロシアは開拓してこう呼んだ。ウラジオストック。不凍港を欲していたロシアが金族の支配するこの地を手に入れ、美麗な港町を築いた当初から日本とは交流があった。「浦塩」「浦塩斯徳」こう漢字で表記され、都市建設の11年後には早くも長崎との間に電信ケーブルが建設された。明治大正を通じて多くの日本人が商売のために渡り、また住み着いた。
シベリア出兵時、各国の軍隊が行進する目抜き通りが当時の写真で残っているが、アジアの一角というよりもレニングラードやモスクワのような、華麗な西洋建築の街である。
住民はほとんどロシア人やウクライナ人だが、満州族や朝鮮民族も多数いた。それら民族には数で及ばないが、日本人も漁業や貿易業で一旗揚げようと大勢渡って来た。特に日露戦争後に敦賀港との間に定期航路が設けられると多数の日本人が移り住み、一時は6000人と言われる日本人街が形成された。当時の銀行等の建物は今も残り、活用されている。
初夏。
徳永医師のサナトリウムを辞めた槇村と佐田は、官憲の目をかいくぐり、手配された切符で東京駅から国際鉄道に乗った。当時、敦賀港出発のウラジオストク航路に接続する、国際列車が運航していた。
二人が絵師片桐経由で受けとった船の切符でウラジオストックに渡った夏の時点、実は日本人の数は最盛期より大幅に減っていた。革命後間もなくは、ソビエトもこの地一帯に日ソ緩衝のための傀儡国家・極東共和曲を設けて、駐留する各国の厳しい目を和らげようとしていたのだが、1922年に最後の駐留外国人部隊が撤退すると本格的に赤軍の統治下に入れた。
その頃からソビエトの秘密警察の監視と密告が厳しくなっていったのだが、粛正の手はまずロシア人に伸びていたし、モスクワと違い当地では秘密裏に拘束や追放が行われていたのか、地元日本人にさほど同様はなかった。たまに拘束されて『裁判にかけられたそうだ』と噂が流れても、あいつは国内で食い詰めてきた悪人だからと不安を打ち消すような噂が流され、市民生活は一見平穏だった。
槇村と佐田がウラジオストックに渡ったのは、そんな時期だった。
美人女優の佐田と、舞台周りや日常の雑事一般得意な槇村の二人がまず職を求めたのは、住み込みの大衆演劇小屋だった。
日本を脱出しわざわざウラジオストックへ働きに来る日本人は、多かれ少なかれ「ソビエトは労働者主体の国」という平等幻想を抱いてやって来る。そうした日本人達に元プロレタリア劇団に居たという二人は歓迎され、演芸場兼務の温泉施設に住み込みで雇われた。演目は彼らが東京で目指したいわゆる新演劇とは対極を行く人情もので、かかる小屋も田舎の温泉の演芸場のような所だ。彼らが住み込みで興行をうっている大衆演劇小屋は、大きな浴場施設の二階にあった。
汗を流し、労働の疲れを取りに訪れる客向けに上演される興行の客に、インテリ気取りや文人崩れはいなかった。皆漁師や港湾労働者、仲買人、商店主に店員。そんな人達に万国の労働者よ団結せよと思想演劇を見せても楽しまない。生き別れの母子の再会もの、若き浪人と町娘の悲恋、店のお嬢さんとの縁談の決まりかけた大店の番頭と芸者との心中。おっかさんを探してさすらう女郎。そんなある意味下世話な、ストレートなお涙ちょうだいの劇が観客の感情を揺さぶり、涙を絞った。
東京の劇団で主役を張っていた佐田芳子の演技力と美しさは最大の売りで、幕が下りた後は客席からお札がおひねりになって飛んだ。演目は季節や市場の景気によって企画の槇村が替えるので、ほぼ日替わりだったが、じっくり稽古をする東京時代と違い朝から慌ただしく場当たり、剣劇のあわせ、演出の段取りを決め午後から夕方にかけて三回公演。
佐田は演出の槇村や俳優達の予想以上に器用だった。天性の勘と努力で台詞をすぐに体に入れ、同じ演目でも相手役によって声音や表情を幾つも使い分け、アクシデントにも臨機応変に対応し、しかもその姿には匂うような色香を立ち上っている。
東京から来た美人女優はたちまち評判になり、入浴施設の主で興行主でもある日本人は喜んだ。
彼らは施設の一角に他の団員たちと共に住み込んでいたが、槇村は佐田との二人の生活を望んだ。佐田がいつの間にか男性恐怖症を克服しスタッフや男優と平気でしゃべっているのを見て、内心穏やかではなかったからだ。
それに槇村はヒロイン佐田より明らかに軽んじられていた。興行主が日本から持ち込んだ台本が尽きネタが無くなると、槇村は記憶を頼りに人情話を切り貼りし、何本もの話を捻りだした。便利な何でも屋。そして女優のヒモ。それは日本にいた頃から呼ばれ慣れてきた、槇村にとっては一種の称号だが、今はそう見られる事は彼にとって耐えがたく、なけなしのプライドがちりちりと引っかかれる。
誇りや自尊心など間宮夫人との生活の中でとうに捨てたはずなのに、いつの間にか生まれていた。東京の劇団での成功体験が復活させたのだ。
逃亡生活に入る前、自分で書いた無軌道に殺人を繰り返す若者達の無知な悲劇。アンコールに揺れ人びとで溢れた満員の観客席。そして脚本家としての自分に祝福と期待を寄せる論客達の言葉。その火花のような華やかな経験が、彼に演劇の世界でのし上がりたいという欲望を植え付けた。
「こんにちは槇村さん」
爽やかな若い声が背後からかけられた。
市の中心街・スベトランスカヤ通りの華麗な石造りの西洋建築から、奥に奥にと入った貧民街の市場である。団員の夕飯材料、ニシンと鮭を買い求めている槇村は振り返った。日本人街から一歩出たロシア人と満州族の入り混じった地域・ミリオンカの市場。そこで売り子以外から日本語を聴く事自体が珍しい。
「こんな所でお会いするなんて奇遇ですねえ」
少女のように頬まで垂れた柔らかくうねった髪、長身に明るい茶色の瞳の青年が長いコートを着て立っていた。
「お忘れですか? 以前築地でお会いしたレフという者ですが」
ああああ、と阿呆みたいな声をあげて槇村は驚いた。そして自分のみすぼらしい格好を軽く恥じた。
レフ少年は初めて会った時の旧制中学の制服と違い、大人のようなソフト帽とコートの下にはサージの三つ揃いを着ている。靴も磨き上げられ別人のように大人に見えた。緯度的には北海道とほぼ同等なので夏は概して東京よりかなり涼しいが、さすがに三つ揃いは暑いのではないか。槇村はそう思ったが自分のいい加減に羽織った薄汚れたシャツへの言い訳のように感じて黙っていた。代わりに少年の成長に驚いた風を装った。
「レフ君、日本では助けてもらって本当に有り難かったよ。こんな所で会うなんて。しかしえらく大きくなったなあ」
街を行き交う大柄なロシア人と比べてもひけをとらない長身で、しかもすらりと細身の体は、コートの上からでも体内に流れる異国の血を感じさせる、日本人離れしたバランスの良さだ。大勢の役者を見てきた槇村の眼には、彼が人を魅了するタイプだという事が一目でわかった。まるで愛する佐田芳子のように。
「10センチくらいずつ急に伸びて、どんどん服が小さくなっていくんですよ。仕立て直してはまた小さくなるものだから、みかねえにはいつも苦労掛けています」
乳母のようにいつも付き従う女中の名を、レフは笑顔で口にした。
「君はヨーロッパに留学すると言っていたけれど、今は乳母様と一緒にソビエトに?」
「ええ。パリ、ロンドン、ベルリンと回って今はモスクワから一時こちらに来ています。こちらに父の関係の会社があるので。夏の長期休みを利用して外国人向けの大学に短期入学中なんですよ」
その学校の存在は槇村も知ってた。東洋学院という革命前のロシア政府が語学や技術の専門家育成を目指し、アジア人にも門戸を開いて創立した学校が前身だ。アレウツカヤ通り39番に赤いレンガと白い石で建てられた三階建ての可愛らしい建物で、大勢のロシア人、モンゴル人、極東の学生達が通っている。
革命後には極東国立総合大学と改組され、よりポリシェビキによる支配が厳しくなっていた。日本人生徒はあまりいないはずだがと槇村が疑問を抱いた瞬間、レフ少年はグッと顔を近づけ息がかかる程の距離で囁いた。
「ここでは混み入った話ができない。ホテルのカフェに行きませんか?」
雑踏のざわめきをかいくぐり、女の声が槇村の名を読んだ。帰りの遅い彼を心配し市場まで出てきた佐田であった。
「何なら奥様も一緒に」
「そうだね、ヨーロッパの話も色々聞きたいし、一度この買物を持って帰って、戻って来るよ」
流石に両手に魚の包みを下げてはホテルに入れない。ついでに多少ましな服に着替えたい。
「家はこの近くなんだ」
それは槇村と佐田がこの貧民街・ミリオンカ地区に根を下ろしてしまったという事だ。
「ええ。僕はホテルで待ってますから」
それじゃ、と槇村はぼろアパートに向かった。その姿を見送るレフ青年は行き交う男たち数人にそっと目配せをした。
白夜のように明るい、夏の極東沿海州の夕刻。
レフ青年が槇村と佐田を招待したのは、アムール湾からすぐの歴史的地区に佇むウラジオストック最古のホテル、ベルサイユである。1909年創業の革命前の建物と佇まいを残し、シベリヤ鉄道のウラジオストック駅からも徒歩10分とかからない立地に、くすんだ白い大理石と絶えず吹き付けるアムール湾からの潮風に洗われた外観は、メインストリートであるスベトランスカヤ通りの起点にもなっている。由緒あるホテルだった。
帝政ロシア時代に多くの外国要人も泊まったという建物は天井も高く、白い大理石と真っ赤な絨毯、きらめくシャンデリアも健在で、共産主義の下にあっても当時の豪奢を漂わせていた。実際共産党の上層部もバカンスに訪れるという。
きらめく洋酒の瓶が壁一面に並ぶバーの、磨き抜かれたマホガニーのカウンターにレフ青年はいた。バーテンにロシア語で二言三言告げると、奥のソファに深々と座る槇村と佐田の前に戻った。
手持ちの一番良いスーツを着込んだ槇村と、日本から大事に持ってきた着物と帯で装った佐田に強い酒を勧め、彼は自分は未成年だからとイチゴのヴァレーニエを添えたお茶を飲む。
「今はモスクワの大学で、色んな国の生徒達と親しく交わりながら学んでいるんです」
レフ青年が名前を出した大学、モスクワの国際レーニン学校は、槇村は名前すら聞いた事がなかった。聞けば各国の共産党から選り抜きの幹部候補生が送り込まれ、徹底したポルシェビキ教育を施される、最高幹部クラスの養成校である。日本からも多くの共産党員やシンパがモスクワに行っているが、この最高教育機関に入る事ができたのは一握り。槇村は眩しい思いで目の前の若者を見上げた。
紅茶にウォッカでも入っているのか、白い頬をほんのりと桃色に染めた美青年は、ポリポリとロシアクッキーをかじった。
「今モスクワはとても面白いんですよ。槇村さんと佐田さんは演劇畑の方々ですよね。ならばエイゼンシュテイン監督をご存知ですか?」
その名がまだあどけなさを残す青年の口から出た事に二人は驚いた。日本でも話題になった革命ソビエトの大監督で、ヨーロッパ帰りの同志達から監督作「戦艦ポチョムキン」の素晴らしさは存分に聞いていた。
「もちろん知っています。映画を見る事は出来ないのですが、ドイツやフランスの同士が写真を送ってくれて、それを見ました。凄まじいものでした……」
「そのエイゼンシュテイン監督が今、新作を撮っているんですよ。しかも2本」
「それは素晴らしい!」
槇村と佐田の顔は輝いた。久々に聞く『芸術』的な言葉の響きに心奪われたのだ。
「一つは汚職を働く悪を摘発する少年の話、もう一つは外国の侵入からロシアを護った13世紀の英雄の話なんだそうです。素晴らしいでしょう」
そして声を潜めて言った。
「アジア人の演出助手も大勢募集しているという事なんです。槇村さん、佐田さんどうですか」
「え?」
佐田は美しい瞳を大きく見開いた。
「レフ君、君はどうしてそんな情報を」
「学校には党から色んな募集の情報が流れるのですよ。エイゼンシュタイン監督は大の日本贔屓で、若い頃歌舞伎を見て漢字や日本の芝居に大変感銘を受けたのだそうです。お二人にいい機会だと思いますよ」
「しかし……」
「僕は夏休みでこちらに来ているんですが、新学期近くになったらモスクワに帰ります。一緒に行きましょうよ。こんな所で才能を腐らせているのはもったいないですよ」
レフ青年の確信に満ちた言葉はキラキラと輝いて槇村と佐田を誘惑した。だが彼らもすぐに青年を信じる事はできない。モスクワに渡った外国人は不当逮捕されて投獄される、という噂が流れていたからだ。
「そんなの嘘ですよ」
青年は明快に否定した。
「第一日本人の僕が無事にふらふらしていられるじゃないですか、それが何よりの証拠ですよ」
レフ青年は屈託のない笑顔でクッキーを齧り、紅茶を啜った。
「それにここだけの話、演劇の重鎮メイエルホリド氏も、本学に出入りしているんですよ。素晴らしいじゃありませんか。よい事と言うのは全部繋がっているんです」
「あのメイエルホリドが!」
「そう。国立映画学校時代のエイゼンシュテイン監督の恩師です。日本人何人かが彼と一緒にいるのを見ました。お二人とも何をぐずぐずしているんですか」
現代演劇最高峰と言われた役者にして演技コーチ、演出家のフセヴォドロ・メイエルホリドの名声は、当時既に全世界に広まっていた。日本人でもプロレタリア劇団の関係者である佐野碩、土方与志など彼に教えを受けた演劇人がいる。
尊敬する人物の名前を次々に聞き、槇村と佐田の瞳は生き生きと輝きだした。
「お二人共、僕と一緒にモスクワに行きましょう。ここからすぐのウラジオストック駅から大陸鉄道に乗れば、そのまま行けるんです。世界に出て日本人の気迫を見せましょう。僕も及ばずながら応援させて頂きますよ」
槇村と佐田は夢心地でホテルを後にした。脳の奥を痺れさせる言葉が飛び交い、酔ったようになって歩いたのは、勧められた強い酒のせいだけではない。自分達が本当に欲し、日本を捨てるまでに求めたものが見えた気がしたのだ。
「槇村さん行きましょう。ここまで来たらもう失う物もないわ。命と体と心だけ持って、あの坊やの言う通り電車に乗りましょうよ」
「佐田さん、一緒に行ってくれるか」
「ええ。二人で行きましょう。明日坊やの連絡先に電話を入れて……」




