パートワン 2/4
その4
(とある出来事、不審な情報、ソースが怪しげ。SNSのコメント、近頃よく聞くようになってきた言葉、なんだっけ?)
彼女は、ボーッとした気分。
「亀井閑子さん!」
「閑子さん!何ぼーっとしているの?」
彼女は、知らぬうちに、別の世界の住人になっていた。
これは、最近の彼女にはよくあることだった。
(よりによってこんな時に、何年も疎遠であった。友だちが、何年ぶりかで顔を合わせることができたというのに)
「昔から、あなたは、自分が自分であることを忘れて、ぜんぜん別の世界の私たちの知らない誰かさんのような、そんな風に見えることが確かにあったわ」
吉田暢子は、憤慨していた。
(亀井閑子、かめいしずこ、呼ばれたときに、それが自分のことだとは思えなかった。私は、誰だったのだろう? 不思議な気持ちだった)
「ごめんなさい」
亀井閑子は、言い訳めいたことは言わない。
(自分のことながら笑える、私は亀井閑子以外にはあり得ない。そんなことで戸惑うなんて、笑える)
(随分、会っていないうちにみんな変わってしまった。とくに、自分は……)
昔は、若かった頃はこんなにひどくガタが来た覚えはなかった。
だから、亀井閑子は、クリニックに行ったときクリニックで起こったことの話をした。先程まで、彼女は左右の足に別々の靴をクリニックを出るまで履いていた。そして、それでも感覚的に違和感を覚えないでいた。
「左右別々の靴で、それでカウンセリングの診療所に行ったの?」
喜多真知子が聞いた。
(診療所で、カウンセリング!)
仮にとはいえ、そんな事態が元々聡明であった自分に訪れることになろうとは彼女は、自分では思ってもみなかった。
(あの頃の私であったら! 三十年とは言わない。二三年前でも自信が持てた。その頃の私であったなら)
* *
「惚けちゃったかも」
帰り、駅までの道、彼女、亀井閑子は久しぶりに合った友だちに改めて聞いてみた。その時、亀井閑子は真顔だった。
「……」
「いえ、別に」
吉田暢子は、深くは気にとめてはいなかったようだ。
しかし、喜多真知子は違った。
亀井閑子が、意表を突くように、真面目な口ぶりで話したため、喜多真知子は、たじろぐと昔の記憶が真知子の記憶がよみがえった。真知子は、確かめたのだが、亀井閑子は、確かに昔とはずいぶんと違った人のように思えてきた。
喜多真知子の心にある感情があふれてきた。
亀井閑子は、喜多真知子の顔を見つめた。
「昔のことが思い出せて安心したよ」
そう喜多真知子は答えたのだが、まさに喜多真知子の表情にはなにかうろたえたものが消しようもなくあった。
喜多真知子の頭には、最近話題になっている事件のことがあった。最近街では、ふつうの健康な人が、突然、生気を失い、正気を失い、心を失ってしまう事件が、頻発しているという。こうして心を失った人たちは、容姿までも人とはかけ離れたものになってしまっていた。
喜多真知子は、もう自分の気持ちを抑えきれなくなっていた。
「あなたには言っていなかったけど、あなたが何百羽、何千羽というカラスの群れに襲われて、そのカラスたちがあなたのことをどこかに連れ去ってしまった、そんな夢を見たのよ。一昨日の晩。そして、吉田暢子さんも同じ夢を見てしまったの。あなたにはこの夢のことは秘密にしておきたかったけど、やっぱり出来ない」
「……」
「あなたのことをお祈りしているのよ。いろんなことを毎晩」
* *
この土壇場で、亀井閑子は、何も聞こえていなかったように言った。
「変だよね。このたくさんの荷物。この荷物を抱えて、電車に乗ろうというのだから。でも、さすがにタクシーは、時間はあてにできなくなるし……」
亀井閑子は、ショッピングバックを両手で何個もの抱えると、おどけて見せた。
「とにかく、今なら、間に合う時間!」
閑子は、すぐに責任のある人間の顔に戻った。
「あまり無理しちゃだめだよ」
喜多真知子は、閑子の目を見て別れる際に言った。
(そうだよね。亀井閑子のいつも間にかビジネスの心配ごとが心に戻ってきた。いやな、最悪の顛末。なにか不幸が迫りくる予感がした)
(あまり無理しちゃだめよってか)
喜多真知子の言葉は、とても意味深だった。
が、亀井閑子は、すぐに頭を入れ替えて、次のスケジュールをこなすための準備に取りかかった。
そして、亀井閑子のスマホに会社から連絡が入った。
その6
閑子は、二人の友だちと分かれて、帰りの電車に乗っていた。
とりとめのない想いが、閑子の頭に浮かんできては、消え、また次の考えが頭に浮かぶ。
(そうだ、確かにそうなのだ。恐れるようなことは結局は何も起こらない。マトモな企業同士のビジネスというものは。まともな人間が、まともな人間と顔を合わせ、挨拶をし、世間話をして、一緒に食事をし、そして、挨拶をしてビジネスはまとまりまともな者同士は、また挨拶をして、別れる。ビジネスをまとめるには、用意された契約書に同意のサインをすれば用が足りるはずなのだが、マトモな人間とマトモな人間とのビジネスには、一定のしきたりというの、セレモニーが欠かせない)
しかし、閑子は、このセレモニーのたびに、ひどく神経をすり減らし、ひどく疲れてしまうのだった。
道というものを考えた場合には、それを味方に付ける事をまず考えておくべきである。
今日も、仕事を済ませると、閑子は、家に帰った。
閑子は、家族との夕食を済ませると、シャワーを浴び、パジャマを着て寝支度を済ませると、そそくさと自分の部屋に引っ込んでしまった。
閑子は、買い物を片付けるのも本当に億劫になっていた。
亀井閑子は、すぐにベッドに潜り込むと、眠りが、亀井閑子の頭を支配した。
(後は野となれ山となれ)
そんなヤケクソの気持ちが亀井閑子の心には確かにあった。
その7
翌朝、亀井閑子は気分良く目覚めることができた。
昨日のビジネスミーティングは、うまく行った。亀井閑子の状態が完全と言えないものがあったとしても、亀井閑子の部下たちが面倒を見てくれた。そして、日頃から彼らのやることにとには間違いがなかった。
(余計な口を挟まない)
部下たちの仕事をまず信じること、円滑な会社の運営にまず大事なことであった。
(今日と言う日は、そんなつまらない日ではなかった)
家にたどり着くと、亀井閑子の調子は戻っていた。
というのも、家には、亀井閑子の娘、遙とその子供が遊びに来ていたからだ。
娘の遥は、旦那は名の知れた写真家として働いていた。旦那は、いつもカメラを抱えていた。娘、遥の住まいは、マンションで近くにあるので、時々子供を連れて泊まりに来ていた。
娘の遙は、朝食の用意をしてくれていた。
そして、亀井閑子は少し遅くまで寝ていることができた。
亀井閑子が、朝食を食べているときに、娘が話しかけてきた。
「ねぇ、お母さん」
娘、遥は、体全体を使い亀井閑子にテレビを観るように勧めてきた。
テレビでは、朝のニュースワイドショーをやっていた。
テレビでは、話題の疑獄事件を取り上げていた。そして、画面は何やらその事件に関わる重要な場所から中継を行っていた。
娘がテレビを指さして、興奮気味に言った。
「変でしょう。コレ!」
亀井閑子は、娘が何が言いたいのかすぐにわかった。それで、答えた。
「確かに! テレビ局はどういうつもりでやっているのか聞いてみたいわ」
テレビカメラは、番組の進行を無視して、ひとりの男の挙動を執拗に追いかけていた。
テレビカメラが、追いかけている人物は、今度の事件と大いに関わりがあったのだろう。
しかし、この番組では、テレビカメラが追いかけているこの男のことについては、まったく説明しようとはしなかった。
このテレビ番組が言おうとしていることが全く伝わらず、観ているととにかくいらだちが募ってくる番組であった。
「イライラしてきたわ。他の局に変えちゃいなさい」
亀井閑子は、怒っていた。しかし、娘の遙はしずかの思わぬことを言った。
「ちょっと、待って。テレビカメラが追っているこの男のことをよく見て! お母さん、この男のことに見覚えない?」
その8




