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漆黒の銃声  作者: ゆみ。
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6話 嘘

鞄の金具が外れる音に、聖菜は思わず肩を震わせた。


中には、姉が普段着ているものとは違う、質の良い黒いドレスやコートが収められていた。けれど、それらよりも先に聖菜の目を引いたのは、クローゼットの隅に、まるで隠すように置かれていた一通のクリアファイルだった。


「……これ、『カフェ』の?」


そこには、千聖が働いていると言っていたカフェの運営会社、**『ラ・ペ・ホールディングス』**の雇用契約書や、福利厚生の案内が綴じられていた。

ロゴマークは上品なコーヒーカップを模しており、千聖が持ち帰る紙袋のロゴとも一致している。千聖が「この会社、すごくしっかりしているのよ」と笑っていた、その証拠がここにあるはずだった。


聖菜はスマートフォンを手に取り、画面をタップする。

安心したかったのだ。自分の疑念がただの取り越し苦労で、姉は本当に普通の、少し忙しいだけのカフェ店員なのだと信じたかった。


「……ない」


検索結果に、その会社名は現れない。

全国の企業情報を網羅するデータベースや、住所として記載されている青山の一等地をマップで調べてみる。しかし、そこにあるのは古い空きビルだけで、『ラ・ペ・ホールディングス』などという組織の影も形もなかった。


「……完璧すぎる。ロゴも、規約も、全部本物みたいに見えるのに……」


聖菜の背中に、じっとりとした嫌な汗が浮かぶ。

姉は、偽の会社が発行した精巧な書類を用意してまで、自分の正体を隠そうとしている。

松濤にいた頃、父の書斎で本物の契約書をいくらでも見てきた聖菜には、その書類の「整いすぎた不自然さ」が、逆に取り繕われた嘘のように見えてしまった。


その頃、千聖は新宿の冷たい雑居ビルの陰で、標的の男を追っていた。

男は中堅商社の幹部。かつて父の会社が不自然に倒産へと追い込まれた時期、その裏で多額の資金を動かしていた疑惑がある。


千聖は建物の陰に溶け込み、耳元の無線機を調整した。


「……対象、三軒目のクラブへ入店。接触相手を確認します」


『了解した。そのまま待機しろ。深追いは不要だ』


佐伯の声が低く響く。千聖は冷徹に、獲物を待つ蜘蛛のように動かない。

しかし、その脳裏の片隅には、家を出る時の聖菜の曇った表情が焼き付いていた。


_____________



千聖は、万が一聖菜が自分の持ち物を調べた時のために、複数の「偽の真実」を仕込んでいた。プロの偽造屋に作らせた「本物より本物らしい」カフェの書類。それを見れば、一般人の妹なら「お姉ちゃんはちゃんとした会社に雇われているんだ」と信じるはずだった。


だが、千聖は気づいていなかった。

聖菜の知性と、姉を想うがゆえの執念が、その「完璧すぎる防壁」の隙間を突き、崩し始めていることを。


アパートの自室で、聖菜はファイルを元の場所に戻した。

指先がまだ微かに震えている。


「お姉ちゃん……あなたはどこで、誰に、何をしているの?」


かつて松濤の家が差し押さえられ、父母が死を遂げたあの日。

路頭に迷いかけた自分たちを救った天園家の人々に、千聖が「対価」として何を差し出したのか。


聖菜は静かに立ち上がり、使い古した紺色のコートを羽織った。

「今日は……ただ待っているなんて、できない」


姉を信じたい気持ちと、真実を知らなければ姉を永遠に失ってしまうという恐怖。

聖菜は、姉がいつも使うバス停とは逆の、闇がより深い夜の街へと足を踏み出した。


それが、二人の危うい平穏が終わりを告げる、最初の一歩になるとも知らずに。

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