◆亡霊たちの舞台
レシィは大人しく崩れた壁に背を向けた。
父親探しの旅は終わった。これ以上はどうしようもないのだ。
キットの背を追う。行きよりもやや遅めに歩いてくれているのは自分を思ってのことだろう。
出来る限りの最後まで探させてくれた。間違いない。遺品――認めたくは無いが――も見つけることが出来た。今この場で感謝の言葉は出なかったが、地上に上がったら三人には何度も頭を下げるつもりだ。それだけ世話になった。
まだ遺跡の中に入って二日と経っていないはず――実際のところはわからない。何しろ外を感じるものが何もないのだから――だが空が恋しかった。この無機質な異世界からは飛び出したかった。
その後のことは考えていない。父親探しが終わった以上、オーネを去らなければならない。もしかしたら、キットが甘えを許してあの家においてくれるかも知れないが、実際はどうだかわからない。そういうところは律儀に、ちゃんと帰れと言いそうな気もした。帰れば祖父母が待って――はいないが、いるだろう。帰らないのも手かもしれない。
(パパがいない家なんて……)
父親と帰れると漠然と思っていた。一人で打ちのめされてオーネを去ることは考えてはいなかった。遺跡に入って自分も探せば、何か、もう少し、スッとして終わると思っていた。ところが現実は違って、見つかったのは父の衣服と短剣。そして、父が人殺しをしたかも知れないと言う推測だけ。
(なんで……)
ちっとも優しくない異世界からは出てしまいたい。警戒して進むキットとジェラルドの間でぼんやりとレシィは地上を思った。
その時だった。
ばちん。そんな音がレシィの耳に入った気がした。それは本物の音だったのか、それとも急に背後から感じた魔法の気配を耳が勝手にそう捉えたのか。
いずれにしろ、魔法の気配と音が同時にした。いくらぼんやりしてようが、この気配に気付かないわけがなかった。
キットとレシィは弾かれたように振り返った。
すぐ後ろを歩いていたはずのジェラルドが止まっていた。苦しげに顔を歪めながら。
異変。
レシィの頭にその言葉が思い浮かんだ。レシィの横をキットが駆けて通りすぎる。その後を追った。
「ジェラルド!」
苦悶の表情で唸り、膝をつく彼の元にレシィとキットは駆け寄った。
ジェラルドの足元にいつの間にか不気味に赤く光る陣が敷かれていた。そのせいで彼が苦しんでいるようだった。
何の変哲も無い床に。いつの間に。
レシィは狼狽した。彼が今膝を付いている場所は、今しがた自分もキットも通った場所だ。
「なんで……さっき私達が通ったとき何も……」
「罠だ……! なんでこんなものがいきなり――」
キットが跪いて陣に触れた。小さく息を飲んだ音をレシィは聞いた。
「違う、遺跡の罠じゃない。ジェラルド、絶対に動くな!」
「な、なに? ねぇ、キット何の罠なの……?」
「魔法使いによって作られたものだ。魔法だ。魔法の陣だ。遺跡のものじゃない。マナが一切扱えない者のみに発動する……――獣人を標的にしている。待て、時間はかかるが解除は出来る。動かないで待ってい――」
キットの言葉は、下から突き上げるような低い音によって遮られた。音だけではない。僅かに身体が振動していることがレシィにもわかった。
次にシュッと空気が抜けるような不思議な音がした。その音は四方から聞こえた。レシィは振り返り、息を詰まらせた。
部屋を埋めていた筒型の容器が下の方から溶けて床に沈んでいっていた。レシィにはそう見えた。理解できず固まってみていたが、確かに容器は床に吸い込まれるかのように次々沈んでいっていた。容器で作られていた通路が徐々に広がっていった。
筒が消えていく。
代わりに中身だけが列を作ってすっと立っていた。まるで今でも容器の中にいるかのように焦点の合わない瞳をぼんやりと輝かせながら。
そして、突然。
魔灯で燦々と照らされた部屋の中、その中身たちはやや俯き加減だった顔をこちらに向け、そして焦点を自分達が囲っている三人の人に合わせた。
「ひっ!」
レシィは悲鳴を漏らした。
人形だ。
部屋中の容器の中にあった全ての人形が動き出し。一斉にこちらを向いた。容器の中身だけではない。天井に人一人分ほどの穴が開くと、そこからも次々に人形が降ってきた。
足音もした。自分達が来た方からだった。
見れば大穴からも多くの人影が見えていた。先頭を歩く何体かはキットが先ほど作った守りの壁付近まで来ていた。壁が突破されるまでの時間はどれほどだろうか。
逃げようとするが、すでにサイのいる部屋への道は人形によって埋め尽くされていた。
唖然としているうちに自分達の周りには人形の山が出来た。レシィにはその総数がどれほどだかわからなかった。ただとにかく、のっぺりとした整った笑み、笑み、笑み。見渡す限り、人形たちしかいないのだ。
圧迫感。レシィの息は詰まりかけていた。
人形たちが一斉に、手を人に向けた。優雅な動作だ。現実味のない光景にレシィは息を止めた。キットが立ち上がり、叫ぶ。
「レシィ! ジェラルドの側にいろォ!」
叫び声と共に、頭上、天に向かいキットの魔法が放たれた。レシィはハッと我に返り、言葉通りにジェラルドに寄った。考える間もなかった。魔法がキットたちを中心に展開された。刹那。
(来る――!)
キットの魔法の壁に人形たちの鋭い矢のような魔法が着弾した。鼓膜を突き破るような炸裂音が連続で鳴り響く。
ようやく置き去りになっていた思考が戻ってきた。
「いやぁぁぁぁぁあ!」
レシィは悲鳴を上げてしゃがみ込んだ。恐怖からだけではない。ひどい炸裂音の合間に、一度遭遇した赤毛の女が歌っていた、妙な音が幾重にも重なって聞こえてきたのだ。両手で耳を塞いで堪えながら薄目を開ければ、マナを放った人形以外に口を開けて歌っている人形もいることが確認出来た。
(頭が、おかしくなる!)
音は幾重にも、立て続けにレシィの耳と頭を揺らす。どんなに耳を塞いでも入ってきてしまう。抵抗する術はなかった。
キットが立て続けに魔法を放っている姿を捉えるや否や、レシィは激痛に耐えかねて意識を落としてしまった。
◆◇◆◇◆◇◆
やはり幸せな時は長くは続かないのだ――。
ようやく見つけた彼がいなくなってしまった。彼がいなくなってしまった。些細な――いや、些細ではない。本当ならばもっと前からしっかりと向き合うべきだった。でも、もう遅い。彼はいなくなってしまった。私は過ちを犯し、そのせいで彼はいなくなってしまった。すべて、私自身の過ちだ。彼は最後まで優しかった。
終わりの見えない約束と人生に、ようやく探しあてた宝物。私はどうしていいかわからなかった。直視して壊さないように、優しく撫でていただけだった。ずっとずっと逃げていた。
苦しくて死んでしまう。死だけが別れではないと知ったから。死が終わりではなく、縁を切られるのが終わりだと知った。背を向けられるのが終わりだと知った。だから、優しく包んでいたものにいつまた突き放されるか怖くて、結局逃げてしまった。
苦しくて痛くて頭がどうにかなってしまいそうだった。激痛が頭を襲い、涙は際限なく出てきた。気がどうにかなってしまいそうだった。頭が割れる。苦しい。絶叫をしたいが声も出ない。朝が来たらもう気が触れてしまうのだと思うほどに苦しい。正論ならわかっている。何度も何度も聞いてきた。人の何倍も聞いて見てきた。知っている。しかし、正論ではどうにかならぬ部分を、ギリギリのところで耐えている。ただ自分が愚かなのだと、わかっている。正論で崩される。頭が割れる。呼吸が苦しい。
いっそ気が触れぬ前に、命よ終われ。やり直しなどどうでもいい。『私』の時点で物事の終着点が見えている。気がどうにかなってしまいそうだ。頭が痛い。
救いはまだか。それとも狂人に救いはないのか。
苦しい。ああ、苦しい。
私はいつまで生きればいい? いつまで一人で生きて、いつまで頑張れば孤独じゃなくなる? 次は過ちを犯さない保証がどこにある?
誰かが問う。私は誰なのかと。
誰だったか。私は、誰だったか。
どうでもいい。誰でもいい。私が誰でもいい。誰でもいい。私を殺してくれ。死なせてくれ。終わりにしてくれ。もう死にたいのだ。消えてしまいたいのだ。この命を散らしてしまいたいのだ。すべての奇跡も、過ちを犯して崩れる前に、私を終わらせたいのだ。いや、違う。私は――――。
◆◇◆◇◆◇◆




