23 接触者追跡地図
午前11時。
ロックダウンくんはカフェ・パンデミックに来ていた。
「いらっしゃい。ロックダウンくん、ずいぶん久しぶりじゃないか」
「どうも。オレンジジュースください」
「トースト食べる? モーニングの時間は終わっちゃったけど、サービスだ」
「はい。ありがとうございます」
「大丈夫? 顔色が悪いみたいだけど」
「え……? あの……大丈夫です」
パンデミックのマスターは、オレンジジュースと一緒にバターと蜂蜜をたっぷりと塗ったトーストをロックダウンくんの前に置く。
コロナちゃんが走り去ってから3時間、ロックダウンくんは思い当たる場所を探したが結局見つからなかったのだった。
朝から何も食べていなかった。
ロックダウンくんは猛烈な勢いでトーストをたいらげた。
「何か悩みごと?」
「え……? どうしてわかったんですか!?」
「ははは。なんかずっと気難しそうな顔で食べてるから」
「あ……。すいません……」
「何があったの?」
「いえ、ちょっと人に嫌われちゃったみたいで……」
「恋人?」
「ちがいます! そういうのではなくて、まだ……」
「そっか」
「何か嫌われるようなことしたかなってずっと考えてて、でもわからなくて……」
「うん」
「でもとにかく彼女に謝らなきゃって思うんです!」
ロックダウンくんの感情が堰を切ったようにあふれ出す。
「何が悪かったのかわからくても、とにかく謝ろうって。それで許してもらおうって決めたんです。でも、それなのに、いまどこにいるのかわからなくて、連絡先も知らないし……マスター……! いったいぼくはどうすれば……! もう二度と、もう二度と彼女に会え……会えなくなると思うと……」
「やあ、坊ちゃん」
いまにも泣き出しそうなロックダウンくんの肩に手をかける者がいた。
黒い手袋。
ペスト氏だ。
「お困りのようだね。いいものがあるよ」
「ちょっとペストさん、彼はまだこどもだよ」
「関係ありませんよ。この店に来ている時点で、大人もこどもも」
「そうは言ってもね……」
「それに、彼はもうこどもじゃありませんよ。恋をしているんだから。ねえ、坊ちゃん。きみはこどもか?」
肩に手を回しまま、ペスト氏はロックダウンくんの顔をじっと見つめて問う。
「こどもじゃ……こどもじゃありません」
「そうでしょう。マスター、奥のテーブルを使わせてもらいますね」
「ご自由に。だが、あまりふっかけるなよ」
「心配無用です。私が欲しいのは彼の金じゃありませんから」
ペスト氏はいつもの手順で不気味な仮面を装着した。
ロックダウンくんはあまりの急展開におののき、ペスト氏の姿に疑問を差し挟むことすらできなかった。
「これがあなたにお売りしたいものです」
ペスト氏は掌大に折りたたまれた紙をテーブルの上に置いた。
紙をひろげると幅が80cmほどのテーブルをちょうど覆いつくすほどのサイズになった。
中央の「START」と書かれた部分に触れると世界地図が映し出された。
「これは接触者追跡用電子地図です。一度でも出会ったことのある人ならどんな人でも探し出すことができます」
つづいてペスト氏は右上の「SERCH」と書かれた部分に触れた。
12桁の番号がふたつ、表示された。
ひとつには見覚えがあった。
ロックダウンくんのマイナンバーだ。
「こっちがきみの番号だね。もうひとつは私のだ。この地図は、周囲にあるマイナンバーカードの番号を感知し呼び出すことができるんだ」
ペスト氏はロックダウンくんの番号をタップする。
おびただしい数の12桁の番号が表示される。
それぞれの番号の横には1桁から3桁の数字が表示されている。
「そしてこれが、きみがこれまでに出会ってきた人たちの番号だ。いちばん上のが私だね。最新の接触時間は10分と出ている。半径2m以内に入った人間とどれだけの時間一緒にいたのかもわかるんだ。次のが恐らくマスターのだろう。接触時間は30分。そして……」
ペスト氏は番号のリストの中から、接触時間がとりわけ長いものを指さす。
「540分。最近9時間も接触していた人がいるね。きみが探しているのはこの人かな?」
カラオケ・クラスターを出たのが昨夜の23時過ぎ。
そのあとはだいたい近くにいたから、今朝の8時頃に分かれるまでにおおよそ9時間。
間違いない。
コロナちゃんだ。
「そうです。そのひとです」
ペスト氏がコロナちゃんの番号をタップすると、世界地図はズームしこの街の地図が表示される。
コロナちゃんの番号を伴った赤い点がゆっくりと地図上を動いている。
「現在地からの距離:2400m」と表示されている。
「彼女はいまここにいるみたいだね。移動しているようだ。早く追いかけないとどんどん離れていくぞ」
「あの……。この地図をお借りしてもいいですか?」
「借りるだって? 私がモノを貸すような人間に見えるのか。私は貸さないよ。売るだけだ」
「わかりました。買います。おいくらでしょうか?」
「5千万円」
「え……?」
ロックダウンくんにも多少の貯金はあった。
汚染地域でのバイトをして、節約をしながら貯めたお金だ。
だが5千万円などという大金は払えるはずもなかった。
「5千万円なんて、高すぎる」
「当然だろう。この地図の追跡システムはね、もともとはウイルス感染者と接触者を監視するためにつくられたものなんだ。感染者のマイナンバーカードが発信する信号を解析して、移動経路や濃厚接触者を割り出せるようにね。もちろんシステムにアクセスする権限を持っているのは、政府や医療機関の一部の人間だけだ。そのシステムを極秘に流用して使えるようにしたのがこの地図なのさ。つまりヤバい代物だ。5千万円なんて安いくらいだよ」
「でも、そんな金額、とても払えません……」
「それなら諦めるんだな。私もボランティアで人助けをしているわけじゃない。取引は不成立だ」
ペスト氏は地図を折り畳みはじめる。
「ちょっと待ってください。あの……でも、さっき言ってましたよね? 欲しいのはお金じゃないって」
ペスト氏は折り畳む手を止め、ロックダウンくんをじっと見つめる。
仮面の下のその恐ろしい目が自分を見定めているのをロックダウンくんは感じる。
「いいだろう。金を払ってもらう代わりにきみに頼みたい仕事がる。その仕事の完了をもって、この地図を渡そう。きみにその覚悟があるのなら」




