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 寮母さんに声を掛ける。ふと、大学を出てから寮に到着するまでの時間がいつもの倍、つまり二十分ほど掛かっていたことに気づく。スマホの時間も寮のエントランスに掛かっているアナログ時計も、何度か見直したけれど、何度見直してもそれだけの時間が掛かったことを示している。

 でも先程の怖いモノとの遭遇は、春香の体感時間としてはその五倍くらいに思えたから。思った以上に短かったことに安堵しつつ、背後に居る女性の幽霊が寮母さんにも視えていたらどう説明しようか、と気が気じゃなかった。

 結果は、何も言われなかった。


 お帰りなさい、と寮母さんに微笑まれて、寮に入って一ヶ月近く。そのいつもの挨拶が心底安堵した春香は、泣きそうになりつつも、ゆっくりと改めて「ただいま帰りました」と挨拶して与えられている自室に入ると、鍵をかけて振り返る。

 ちなみに今日は夕飯を食べる気力が無かった春香。寮母さんには食べてきました、と小さな嘘をついて、幽霊の女性に声を掛けた。


「あの、ええと」


『落ち着くことじゃ。妾はそなたと話をすると決めておる。そなたの用事を済ませてから話し合おうではないか』


 色々聞きたいことがあった春香。何から尋ねれば良いか、と焦る気持ちが思考も言葉も空転させる。

 女性の幽霊は、大丈夫、とでも言うように口元を緩めてから春香を促し、春香としても明日の準備等を済ませた方がいいことを思い出して、するべきことを終わらせてから改めてその幽霊と向き合ったのは、午後十一時近かった。


「先ずお尋ねしたいのは、あなたはどなたですか」


 用を済ませつつ尋ねたいことを整理した春香は、最初に女性の幽霊の身元を尋ねた。


『ふむ。妾の名か。確かに名乗ってなかったかの。婚姻前は、気長足姫尊おきながたらしひめのみことと呼ばれておったが……歴史に少し興味がある者たちには、背の君、今で言う夫を持った後……死を迎えて諡名(おくりな)をもらった時からは、神功皇后じんぐうこうごうと呼ばれておるな。とは言っても伝説、要するに実在を疑われてもおるがの。じゃが、妾が此処にこうして霊魂ではあるが存在していることは確かなことだと思うと良い』


「じんぐうこうごう……」


 春香は、その名前を呟いて首を傾げる。どこかで聞いたことのある名前だった。


『うむ。妾の夫殿は仲哀天皇ちゅうあいてんのうと歴史上では言われておるな。熊襲征伐というのが歴史では有名か』


 春香は熊襲征伐と言われてハッとした。


 仲哀天皇が九州に居た熊襲という集団を征伐するときに妻である神功皇后が随伴した、という歴史を知っている。仲哀天皇が病に罹り崩御すると、その遺志を継いで熊襲征伐を成し遂げた、と。その後三韓征伐をも成し遂げた、というその歴史。


 春香の生まれ育ったのは山口県。その山口県下関市には、まさにその名前を冠した(やしろ)である神功皇后神社が存在している。

 家族で訪れたこともあるというのに忘れていたのは、自分の環境に精一杯だったからか、古い時代の天皇や皇后に興味が無かったからか。


「私が生まれ育った山口県には、あなたの神社があります。行ったこともあります」


『ほう、そうか。なるほど。なるほど。妾の名のついた社を訪れたことがある、か。それゆえかの。妾の気配のする娘じゃの、とは思うたが』


「あなたの気配……?」


 神功皇后が呟くように口にしたが、言っている意味が分からず春香は首を傾げた。


『妾の気配に似ておる、と思っての。それも道理じゃな。妾の名がついた社を訪れているのなら分かる。名前というのはな、縛りじゃ。例えば犬。猫。鳥。そういった種別の名前を付けてあるじゃろう。その時点でそれ以外の種別にはならぬのよ。鳥だと聞いて犬を思い浮かべる者がおるか? 世界各国で、鳥だと聞いて犬を思い浮かべる者はあまり居らぬと思う。鳥は鳥しか思い浮かべん。十人が十人共同じ鳥を思い浮かべることは無いじゃろうが、十人が百人でも犬は思い浮かべることは無いだろうよ。それと同じでな。妾がどこで生まれ育ち、どこで死のうとも、妾の名がついた社は妾の存在を示している。実際に妾がその地に足を運び逗留してもいるからこそ、その社が出来たわけじゃが。その社は妾と同じ、ということじゃの。ゆえにそこを訪ねたそなたに妾の気配がするのも納得いく。実際にこうして相見えた(あいまみえた)のは初めてでも、そなたと妾は(えにし)を結ばれて妾の気配を纏っていた、つまり会っていたということじゃ』


 名前の話はなんとか理解出来た春香は、併し会ったのは今日が初めてなのに、既に会っていたということがよく分からず、話を飲み込めない。


「もう少し分かりやすく説明をお願いします」


 文学部に入学しているというのに、言葉を理解しきれないことが恥ずかしく思えた春香。小さな声で、恥ずかしさを抑えて神功皇后に頼んだ。


『ふむ。分かり難かったか。済まぬな。現代の言葉をなるべく使用しているつもりじゃったが。うむ、なんと言えば良いか。そうじゃなぁ。全く会ったことのない人に手紙を書いたとしよう。その人から手紙の返信が来た。ここでその人との縁は出来た。ここまでは分かるか?』


 春香が頷くと、更に続ける。


『その人とそなたは互いの好きな食べ物や好きなことを手紙に書いて教え合ったとする。そうして交流を深めていく。実際に会ったことはないが、相手を身近に感じるような気がせぬか?』


 実際のところ、春香にそんな経験は無いが、何となく言わんとしていることは分かったので頷く。神功皇后が『妾の名のついた社を訪れたそなたと妾は、そういう感覚じゃな』と説明を終えた。

 春香は先程よりも得心する。そういうことならば、確かに会ったことは無かったのに、既に会っていたという意味を理解出来た。


「理解出来ました」


 ここまでの話で既に日付が変わってしまった。春香は、女性の幽霊改め神功皇后に、続きを明日にしても良いか確認すると、軽く頷いた上で『暫し、そなたと共に居ることになると思う』などと、またよく理解出来ないことを口にした。

 でも、また明日話を聞くことが出来るから、と春香は深く考えずに就寝した。

お読みいただきまして、ありがとうございました。

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