弐
大学近くの寮で暮らす春香は、サークル勧誘に引っ張られていくつかのサークルを見て回っていたので、夜道を歩くことになった。高校生までの学校生活の影響で、寮生活を送っていても、同じようにサークル勧誘に引っ張られている学生がいても、友人どころか挨拶を交わせるくらいの知人すらまだいない。
つまり、本日の夜道も一人で歩いていた。大学から歩いて十分ほどの距離とはいえ、夜道ゆえに怖い。街灯はあるし、大通りは一本向こうなので人が歩く足音や騒めきも聞こえて来るというのに、なぜか今夜は胸が騒つく。
前後を確認しながら歩く。
誰かにつけられているわけじゃない。
でも同じ年頃の人たちも見えない。
女子寮に住んでいるのは部屋の八割ほどだと聞いているのに。
三日ほど前は同い年くらいの女の子が一人、二人と前を歩いているのを見かけた。同じ女子寮のエントランスに入って行くのを見たのだから、なんとなくホッと安心したというのに。
今夜は見ない。
そういうこともあるだろう、と頭では理解しているのに、それでもなんだかいやに胸騒ぎがする。
寮のエントランスまであと少し。
なのに何故か足が重たい。
もう灯りが見えているという、いや、明るく……ない? そこに気づいてゾッとする。そうだ。なんで気づかなかったのか。
此処は都会も都会、大都会、東京。眠らない街とまで言われる灯りの途絶えない街、なのに。
昨日まで点っていた街灯。
今夜に限って灯りが無い。
一本向こうの大通りは点っていたのに。
この道に入った途端に灯りが消えているなんてあるはずが無い。そして大学の女子寮のエントランスは、昨日の夜は煌々と照らしていた。
春香は深夜に出歩いたことが無いから、その辺りのエントランスの灯りについては分からないけれど、午後十時頃なら消えていなかった。ましてや今はその時より二時間早い午後八時。電球ではなく、LEDライトなので長持ちする、と入寮の時に聞いている。それなのに消えていることなんて有り得るだろうか。
可能性が無いとは言えないけれど、多分有り得ないはず。
それなのに消えている。
寮には寮母さんがいて、外泊許可を得ている学生以外は必ず帰っているのか確認する。帰ってない学生が帰って来るまでは、エントランスの電気を消すことはない。少なくとも春香はまだ寮母さんに顔を見せていない。
それなのに、なぜ。
一体、なにが。
春香は混乱する。
いや、それ以上に気づきたくない事象に気づいてしまう。
足がこの先へ進まない。進みたくない、とばかりに立ち止まる。縫い止められてしまっているようで。
寮は見えている。
エントランスが見えているのだからあと僅か。
その僅かな距離を春香の足が拒む。
いや、違う。
寮のエントランスと春香の間に何か得体の知れない怖いモノがある。
そう、小さな頃から覚えてしまっている怖いモノの気配がするのだ。だから先に進めない。
いつもなら点っているはずの街灯。その真下。暗いその場所に、春香の足を縫い止めてしまう怖いモノ、怖いナニカがある。春香の本能が、ソレを怖いと思い、ソレが何か知りたくないから先に進めない。でも一方でソレは気のせいだから、と前へ進まなくてはならない、と焦る春香も居る。
その気持ちが足を運ぶことを汲んだのか、それとも忌避するあまり、逆に怖いモノが近づいてきたのか。
それは分からない。
気づいたら春香の目の前に、黒く、黒よりも濃い闇が広がるナニカが。
春香の目の錯覚か。
そのナニカがウヨウヨと動いて。
まるで手を伸ばすかのように、糸? 紐? 縄? そんな形の物が無数に闇色をして春香に伸びて来る。
相変わらず動けない、縫い止められたような足に、喉も見えない物を貼り付けられたように、声が出ず、逃げなくてはならない、と本能で気づいているのに、全く動くことが出来ない。
ウヨウヨとしたソレが春香を捕まえる直前。
目を逸らしたくても逸らせず、目を閉じたくても閉じられないままに、捕まる、と絶望に身を委ねる直前で。
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