弐拾陸
ユキはこの状況に陥ったことで、初めて春香に対して申し訳ない、済まない、という気持ちが心底湧き上がった。それまでは、春香を疎外したことなんて忘れてた。
不意に思い出したときに、ああそういうことがあったな。悪かったな。でももう何年も前のことだから、桂木さんも忘れてるよね。些細なことだよね。
そんな風に自分を正当化していた。悪かったな、なんて軽い気持ちの、謝罪とも言えない、罪悪感とも言えない気持ち。勝手に春香の気持ちを決めつけて終わりにしていた。大体トモの方が悪質だし、という責任転嫁さえして他責思考で都合良く考えていた。
そんな浅はかな考えのユキなのに、春香は無理に追い返すこともせず、話を聞いて妹へ対応の仕方を教えてくれる。ここまでしてもらって、ようやくユキは春香に心の底から謝りたい、と思った。
先程謝った気持ちに嘘は無い。でも、心の底から謝りたい、と考えていただろうか。自問自答する迄も無く心底謝りたい、という気持ちなど起きなかった。沸き上がらなかった。
「桂木さん、色々とありがとう。それからごめんなさい。受け入れて欲しいとは思いません。それは私の我儘だと思うから。でも、ごめんなさい」
ユキの声は当初の消え入りそうなものではなく、真っ直ぐに春香を見て力強いもの。春香は先程の謝罪も済まない気持ちが伝わってきたけれど、今この時の謝罪の方が春香の心に響いた。でも許す気にはなれないけれど。本人が受け入れなくていい、と言うのだから春香の気持ちを優先しよう。
「受け入れる気はないです。謝ってもらったから許さなくてはいけない、とは思いません。私は今でもされたことが忘れられないので。でも謝りたいという気持ちを持ってくれたことは、覚えておきます」
春香の率直な言葉にユキと、そして妹が頭を下げた。姉の過ちを知って、姉を遠ざけるのではなく、寄り添おうとする。そんな家族が居るのなら、ユキは悪い方にいかないような気がした。
ホッと安堵したのは何故か。春香も分からないまま、ふと思い出して昨日倒れたことに言及してみた。
「あの、昨日倒れましたよね。具合は?」
春香が問いかけると、姉妹は揃って不思議そうな顔をした。まるで何を言っているのか、というような。
「倒れた?」
「角島大橋の」
ユキの怪訝そうな顔に春香が場所を言えば、姉妹が大きな目を見開く。
「え、昨日姉が倒れた時に側に居てくれたのが、桂木さん一家だったのですか?」
ユキの妹が、今しがた気づいたような声を上げるので、逆に春香の方が首を捻った。
「それで我が家を訪ねてきたわけではないのですか」
尋ね返してから春香はおかしなことを言っていることに気づいた。母も春香も姉妹が昨日の姉妹だとは分かった。だが、二人に名乗ったわけでもないのに、姉妹が桂木家を昨日の礼で来るなんてことは、無いのではないか、と。
「いいえ。今日は桂木さんに謝りたいと思っていたから此処を訪ねたので。お恥ずかしい話、私は倒れた時のことをあまり覚えていなくて。気が付いたら誰かに声をかけられて、そして妹の顔を見た、という記憶しかなくて」
ユキが済まなそうに肩を竦める。
「私も姉が倒れたことに動転していたのか、姉の側に居た方に姉が倒れた時の様子を聞いたはずなのに、その、全くと言っていいほど、側に居た方たちの記憶が無くて。桂木さん一家だとは思いもせず。お礼が遅くなりましたが、昨日は姉を助けて下さりありがとうございました」
妹の方も記憶に無かった、と焦ったように言う。併し、ユキが倒れた時の様子を説明した時は、春香や両親と視線を合わせて会話を交わしていたはず。況してや何年も前の出来事ではなく、昨日の出来事。それなのに二人揃って「覚えていない」なんてことがあるのだろうか。
だが、そんなバカな、と否定出来るものなどない。そんな説明をされてしまえば、そうなのか、と納得するしかない。
春香は狐に摘まれたような気持ちだったが、それを表に出すことはせず、頷いた。
「そのあと、何も無いのなら良かったですね」
体調は良好だと言うし、春香もそれ以上突っ込むことはしなくていいだろうと判断して、それで話を終わらせる。
「一つだけ、お尋ねしておきたいのです。桂木さんは、もう見えませんか」
ユキの問いかけは見えないモノが見える同志というような感覚のものなのだろう。
「見えますよ」
嘘を吐いても良かったけれど、春香は正直に答える。
「では、どう対処してますか」
「見なかったフリをする。そちらに向かわない。向かおうとしても身体が拒みますから、行けません。それくらいしか対処出来ません。後はあまりにも怖い思いをしたら、神社に行きます。どこの神社でもいいのかもしれませんが、昔から神功皇后神社に行く機会が多かったので、そちらへ行きます。私が出来るのはそれくらいですね」
春香の対処方法なんて、方法とも言えないかもしれないが、ずっとそうして来たのだから仕方ない。他に良い方法があるのなら、春香の方が知りたいくらいだった。
春香の対処方法にユキは「そうなんですね」と頷き、参考にします、とも付け加えて。
それを機に、二人は春香の前から辞去した。
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