弐拾伍
春香がなにか言おうと口を開くより早く、不意に神功皇后が動いた。春香は口を閉じて神功皇后の様子を見る。神功皇后はユキに近づける限り近づいて、それから眉間に皺を寄せていた。
それから春香を見て『続けよ』と。
春香は神功皇后が何かを確かめたい、と思ったのだろうことは分かったが、それが何かは分からない。ただ、続けよ、と言われたからには、春香は二人特にユキに意識を向けた。
「あなたのそのとき感じた負の感情はおそらく私がずっと感じてきたものと同じだと思います。多少は同情します。悲しみとか辛さは分かりますから。でも。そうだとしても、あなたが私に行ったことは、許せるものではないです。私と同じ状況になったから、ようやく私の悲しみに気づいたのでしょうが、だから謝ってきたのかもしれませんが、それでじゃあ許します、と言えるほど、私は優しくないし、心の広い人間でもないです」
春香の真っ直ぐとした目と紡がれる言葉に、ユキはハッとして、そして頷く。許してもらえるものじゃないことは、ユキ自身が理解しているのだろう。
か細く震えた声ではい、と言うだけのユキをさておいて。
「妹さん」
春香はユキの妹に視線を向ける。妹の方は、姉の話にずっと混乱しているのか、口を手で覆ったまま、視線を姉から外したり戻したりを繰り返していて、春香に呼びかけられてようやく意識を戻した。春香の方に目を向けると、春香からジッと見られて、妹の方は狼狽える。
「妹さん、あなたやお母様の反応が間違いだとは思いません。見えない何かが見えている、なんて、頭か精神がおかしくなった、と判断したくなるものだと思います。病院に連れて行けば、そんな診断になるのではないでしょうか。ストレスとか悩みとか、そういうのがある、とも言われるのかもしれません。ですが、少なくともお姉さんには見えない何かが見えています。それは、私自身が見えないモノを見るからです。それが原因で友人なんて出来なかった。だから、お姉さんは私に謝った。ここまでは、理解出来なくて構いません。納得しなくても構いません。ただ、そういう人がいるのだと呑み込んでください」
春香の話に、ユキの妹はさらに混乱する。
そんなお化けだか幽霊だかが見えるなんて、そんなのは作り話ではないのか、という気持ちが掠める。
でも、目の前の春香は嘘や偽りを口にしているような、疾しさみたいなものが無い。目を逸らすとか、動揺するとか、そんなものは何一つ無く、ただ事実を述べているだけに妹は感じた。
さらに、なんとなく事実を口にしている、と思ったのは、理解しなくていい。納得しなくていい。という言葉。それは、理解してもらえない、納得してもらえないことがあった人が言う言葉だと思う。
ただ、そういう人がいるのだと呑み込んでください。と言った。
そんなわけが無い。そんなのは作り話だ。そんなものは見えない。
長い間、そんな否定をされてきた人が言う言葉のような気がして。
ユキの妹は、初めて、姉の言うことが嘘や偽りや冗談や気をひきたいだけの出まかせなどでは無いのではないか、と思い始めた。
「そういう人がいる、と呑み込む」
ユキの妹は、鸚鵡返しのように春香の言葉を繰り返す。
「ええ。理不尽なことを突きつけて来る人が世の中にはいるでしょう。そういう人に何か言っても理解してもらえないこともあるでしょう。さらに理不尽なことを言ってきて、納得出来ない気持ちを抱えることもあるでしょう。でも、関わらないといけないのなら、この人はそういう人なんだ。そう思うでしょう。それと同じです。多くの人が見えないモノ。それを見る少数の人が居る。そう思ってください」
静かに説明して求めて来る春香。
だが、具体例を出されて、ユキの妹は確かに、と納得する。世の中にはそういう人も居る。この人はそういう人なんだ。そう思った相手は、確かに居る。
ユキの妹は、それと同じで、見えない何かを見る人だって居るのだ。と春香に言われて深く頷いた。
姉も、そして春香も、そういう人も世の中には居るんだ、と思う相手なのだと。どこかおかしいとかではなくて、ただそうなのだ。事実を受け入れて欲しいのだ。春香はそう望んでいる。そして、それは多分姉も望んでいることだ、とユキの妹は分かった。
「分かり、ました。直ぐにそう出来るのか分かりません。でも、それが出来ることが姉の為になるのなら」
ユキの妹の言うことは、春香以上にユキの方がよく分かる。
自分の目に映らないはずのものが映るようになったとき、受け入れることが難しかった。自分自身で頭がおかしいのでは無いのか、と疑ったから。そうではないことが分かっても、家族が受け入れることが難しいことも分かった。何故なら自分が受け入れることをして来なかったから。自分が見えない何かを見るなんて、有り得ない。そんなことあるはずがない。見えない何かというものを嘘だと作り話だと決めつけていたから。そんな対応をしていた自分が、いざ、このような状況になってみて、受け入れてもらえるなんて思っていなかったから。
でも、妹はユキよりも柔軟な考えで、そんな人も居るのだ、と受け入れようとしてくれる気持ちがあることが、ユキはただ嬉しかった。
嬉しいから、自分が春香に行ったことは、尚更心に圧し掛かった。
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