弐拾肆
「高校に入ったときのことでした」
ユキがようやくこの家を、春香を訪ねて来た理由を口にする。隣に座る妹は、姉が春香に行ったことに、口を両手で覆うような仕草を見せるくらい驚いていた。それが大袈裟だ、演技だ、と思えるようなものでないのは、目に涙が滲んでいるから。
おそらくとても心配して側に居た姉が小学生のときとはいえ、そんなことをしていたなんて知ってしまい、混乱しているのだろう。それでも驚きの声すらあげないように、自分の口を塞いだのは、空気を読んだからか、姉が何を話しても家族として受け入れようとしているからか。そんな妹の様子を視界に入れつつ、春香はユキから視線を逸らさずに話の続きに耳を傾けた。
「トモのことを覚えているでしょうか」
春香は微かに反応を示す。それでユキは理解したようで、さらに続ける。
「トモとは同じ高校を受験し、二人共に合格。春休みに入ってトモとあと二人、四人で遊びに出かける予定だったその日の朝に、私は熱を出しました。トモを含めた三人に熱が出たことを報告して私はキャンセル。病院へ行きインフルエンザと診断され、高熱に苦しみ解熱剤が中々効果を出さなくて、自分ではもう頑張れない、そんなことも思った後。熱が下がって起き上がれるようになってから、目がおかしくなりました」
ユキはそこで一息吐く。
語ることに疲れたのか、それとも今後の話をしたくないのか。
ただ、ユキは直ぐに語りを続け始めた。
「熱が下がり起き上がれるようになって、体力を付けるために家の外へ一歩出たところで、黒い壁みたいなものが大きく立ちはだかりました。それは、仕事を休んでいた母に見えず、通行人もその壁を擦り抜けるように歩いていて、私にしか見えないものでした。母に話すとまだ夢でも見ているのか、それとも熱が下がりきらないのか、と言われました」
娘がおかしなことを言い出した、と母は思ったのでしょうね、とユキが小さな声で言う。
春香は見えなくても両親が信じてくれたからこそ、なんとか乗り越えて来られた。だが、見えないモノを見る人を親しい人から否定されるというのは、春香が思うよりも辛いことかもしれない、とユキの小さな声に思いを馳せる。
隣に座るユキの妹だって、黒い壁の話を聞いた途端に、姉が何かおかしなことを言い出した、とばかりに顔を顰めている。親だけでなく妹にまでこんな風に思われていたとすると、引き篭もりになっていた、というのも頷ける。
妹は姉のユキを姉として大切にしていることに嘘は無いだろう。心配して寄り添うフリなら、大切な話をしている姉に割り込んで、話を止めるとか、空気の読めない行動を起こすだろうから。
それはそれとして、見えないものが見える、と主張するユキを信じることは出来ない、といったところか。それとも高熱の影響として幻覚が後遺症という形で見えている、と判断しているのか。
ただそれでも黙っているのは、姉の行動を止めないことで姉を尊重しているという意思表示なのかもしれない。それが尊重していることになるのか、それはさておき。
妹も、どういう対応が正解なのか分からないだろうし、こうして第三者として聞く立場になってみると、春香でさえ、どんな対応をするのが正解なのか分からないことに気づいた。
共感するのは出来る。春香も同じく見えないモノが見えるから。
同情も、出来るかもしれないが、果たして同情されたいのか、それは分からない。それに謝ってもらおうと、昔のことだから、と簡単に許せることでもないからユキの状況に同情したくない、という気持ちもある。
対処方法を教えて欲しい、ということなら無理だ。そんなのは春香だって知りたい。
見えない何かがなんなのか、という問いかけなら、神功皇后という幽霊に遭遇したことで、その答えは得たから、答えを教えることは出来るだろう。
でも、春香自身、第三者という立場になって分かったことだけれど、助けてくれと言われても難しいのだなと思う。簡単に助けられることじゃない。ましてや見えない人に対して助けて欲しいと言っても、頭か精神がおかしくなった、と判断されても仕方ないのかもしれない。
ユキの家族の反応は、春香の家族以外からされた反応と同じ。春香が両親から受け入れられたのは、本当に運が良かったというか、両親に偏見の目が無かったからということだ。偏見だって、最初から明らかに疎外するつもりであることと、無意識なことだってあるわけで。どちらにしても偏見の目を向けられるのは辛いが、果たしてどっちが悪質なのか。いや、どちらであっても、悪質と言えば悪質か。
簡単に縁を切れるような関係性ならばまだしも、そういう関係性では無い人に偏見の目を向けられるというのは、とても苦しいことだろう。
ユキがそういう状況かどうか、言われたわけでは無いから分からないが、もしもそうだとするなら、引き篭もりになってしまうことは、分からなくもない、と春香は少しだけ同情心が沸き起こった。
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