弐拾弐
「そうですか。でも私は覚えてません」
引き篭もり、の部分に敢えて触れず、春香は知らない人というスタンスを崩さない。ユキの方は俯くだけで妹の方がさらに言い募る。
「小学校の頃だから忘れることはあるかもしれないですが、姉は覚えているんです。親しかったからでしょう? 本当に覚えてないですか? そんな簡単に忘れられるほど姉のことはどうでもいいのですか」
姉思いなのは構わないが、だからといって踏み込み過ぎだし、無神経で失礼過ぎる発言。
カチンと頭に来て言い返そうと声を荒げる手前で、客間のドアがノックされて母がお茶を持って現れた。春香は母の姿を見て冷静になる。深呼吸をする春香を横目で確認しながら、三人分のお茶を出し終えた母が、下がることはせずに春香の隣に座った。
春香もユキとその妹も戸惑いの表情を浮かべる。
「妹さん、だったわね。ちょっとだけ話が聞こえました。全ての内容は分からないですが、一つ訂正をさせてもらいますね。娘には、幼稚園の頃から高校卒業まで親しい友人は居ませんでした。そのことで娘も私たち親も胸を痛めてきました。でも、あなたは娘と自分の姉が仲良しだったと思っていらっしゃる。では、お尋ねします。あなたの人生、これまでにお姉さんから春香の名前を今回以外で聞いたことがありますか」
親しいどころか全く友人は居なかった春香だが、そんなことを話す必要は無いので、母が敢えて親しい友人は居なかった、と言ったことを春香は悟る。同時に尋ねられたことに、妹の方は思い返すように黙っていたが、聞いたことが無いことに気づいたのか、ハッとした表情を浮かべた。
「わ、私が知らないだけで姉は仲良しだったのでは」
ユキの妹が自分を正当化するように母に反論するが、たった今、母が口にした。親しい友人は居なかった、と。その母の証言を覆せるような思い出話が何一つ無いことに、妹は気づいたのか、途中で口を噤んでしまう。
「あなた、春香をなぜ訪ねて来たのか知らないけれど、春香にも妹さんにも、そして自分自身にも嘘を吐くような真似は、なさらない方がいいのではないかしら」
ふぅ、とあからさまに息を吐き出した母。それまでピリついていた空気が緩むのと同時に、やんわりとした口調だが、ユキに釘を刺すような物言いをして、母は退出した。
目の前の二人は何も言えないようで無言に。春香は冷めないうちに、とお茶を口にした。温かいものを口にするとリラックス効果が生まれる、と何かの情報番組で見たような気がするが、実際に温かいお茶を飲むだけでホッとする。
ゆっくりと春香が飲み干す間に、改めて考えをまとめてみる。
ユキと言った女性の話を聞くべきか。
聞かずに帰ってもらうべきか。
心情は後者。話を聞かないで帰ってもらっても、春香は別に気にならないし、困るようなことは無いだろうと思っている。
でも。
ずっとこの場で、春香の後ろで宙に浮いている神功皇后のことを思うと、それではいけない気がする。何しろ、目の前の女性・ユキは、神功皇后曰く悪しきモノと呼ぶ霊魂を呼び出したらしいのだから。
こうして家にやって来たユキから、春香の思う怖いモノが付いているようには思えないけれど。
神功皇后の説明では、悪しきモノを呼び出す、呼び寄せる、そんな気持ちを持っているからこそ、ユキについている、とのこと。そういう心根の持ち主だという証明である、と。
だから追い払っても直ぐに悪しきモノにつかれるだろう、とも言っていた。
そんなモノと一緒にやって来ただろうユキ。
その辺りのことが分かるかもしれない、と思うのなら話を聞く方がいいのだろう。
尤も、そんなモノがついているとして、その状態で会っている現状なのに、怖い思いもしていないし、神功皇后が追い払う様子も無いので、もしかして悪しきモノとやらは、居ないのだろうかと考えるが。
「あの、桂木、さん」
黙り込む姉妹のことを放置してアレコレ考えていた春香の耳に、意を決するような、固く強い声で呼びかけられた春香は、思考の海から帰り、視線を向ける。
「あの、小学校のころは、ごめん、なさい」
消え入りそうな声だが、きちんと春香の耳に届いた謝罪の言葉。
届いた。だけど「うん、分かった。もういいよ。気にしないで」などと軽々しく言う気もないし、言えるわけがない。
ただ、姉思いの妹が居る前で、春香に謝りの言葉を繰り出すくらいには、根性は腐ってなかった様子。
息を呑む妹とは対象的に春香は黙ってユキを眺める。続きは何かあるのか、と。
「小学校の時だったから、ではなくて。いつでも言ってはいけないこと。やってはいけないこと。だったと思う。あなたを、居ない人として無視してきたこと。確かにあなたは存在するのに、見えない存在のような振る舞いをしていたこと。疎外していたこと。ごめんなさい。謝っても許されることじゃない。今なら、分かります。謝ればそれで終わり、なんかじゃないことも、あなたの過去が謝ったことで無かったことになるわけじゃないってことも」
姉思いの妹が居る前で、自分の行いを吐露して反省する姿は、信じてもいい、と思えるものに見える。
でも、ユキが言うように。謝ってくれたから、と簡単に許せるものでは無いのだ。
話を聞かない選択肢もあるなかで、それでも黙って事情を聞くくらいには、その言葉が真摯なもののように春香は聞こえた。
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