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弐拾

 材料を切る手伝いをして、母が殆ど作った瓦そばを美味しく食べ終えた春香は、両親と午後からどうするか計画を立てるように萩焼の茶碗に注がれた緑茶を口にしたところで、チャイムが鳴った。


「あら、誰かしら」


 母が玄関で鳴らされたチャイムに反応して見に行く。春香も父も午後のお出かけの話を進めようとしたところで、困惑したような表情の母が戻ってきた。


「お母さん、どうしたの?」


「春香、あなた昨日の女性と妹さんが来ているのだけれど。あなたを訪ねて。知っている方?」


 春香の問いかけに母が答える。春香は昨日、倒れた姉と支える妹を思い返したが、首を振る。


「知らない。でも私に会いに来たの?」


 母に確認すれば頷かれる。

 春香はチラリと神功皇后を見る。神功皇后はあの女性と再び会うことになるようなことを口にしていた。それが当たった、ということ。

 神功皇后は憂える表情で春香に頷く。美人はそんな顔をしても美人が損なわれないのだな、などと思いながら春香は「会う」と返事した。

 玄関へ赴くと外で待たせるわけにはいかないと思ったのか、玄関のポーチに佇む二人。

 妹は姉を心配そうに見ていて、姉は緊張しているのか顔色が悪い。

 その雰囲気から察するに玄関先で母がご近所さんと挨拶するような軽いものでは無さそうなので、春香は母に二人を通して大丈夫か小声で確認を取ってから、家族団欒のリビングではなく、小さな応接室というか客間に通した。

 客人が常に訪れる家ではないけれど、訪れないとも限らない、ということで作られた部屋。年に一回あるか無いかくらいだけれど作っておいて良かった部屋。そして今回もそれに該当する。


「どうぞ、お座りください」


 母が二人にお茶を出すために居なくなるのと入れ替わるように、神功皇后が客間にやって来た。

 その眉間に寄った皺を見るに、また姉の方に悪しきモノがついているのだろうか。そうだとすると、風景が変わっていないことが不思議だが。その辺りは後で神功皇后に確認するとして、春香は姉妹を改めてじっくり見た。


「あの、私はあなたのことを知らないのですが、あなたは私を訪ねていらしたわけですよね」


 黙っていても仕方ないし用件も分からないので、春香は切り出した。

 問われた姉の方は全身を震わせてから、思い詰めたような表情で春香に視線を向ける。その、強い視線に春香は何かを思い出すような気がして、息を呑む。


「あの、桂木さん、だよね」


 桂木は春香の名字。それを改めて確認する、というよりは春香のことを知っていて呼びかけているような言い方。ということは、春香と姉は知り合いということになるが、春香は記憶に無い。

 ーー本当にそうだろうか。

 開けたくない蓋を開けるような感覚で、記憶を呼び覚ます。高校時代。去年のことだから思い出したくないが、思い出せる。修学旅行? 体育祭? その他、みなが楽しい思い出を作っていた行事に、春香も楽しかった、なんてことは無い。参加しなかったわけじゃないが、友人の居ない春香にとって常に独りぼっちの記憶だ。休みたいと思ったこと? そんなのはいつもだった。但し、春香から積極的に関わらなかったものの、グループ行動などは声を掛けてくれる優しい子が居なかったわけじゃない。一人が良いのかもしれないけど、良かったら、という雰囲気で誘ってもらい、仲間入りさせてもらった。ただ、春香の良くない噂でも聞いているのか、最低限の関わりだっただけ。いや、春香が関わることを避けていたから、あちらも関わらなかったのだろうか。今となっては分からない。

 そんな感傷的な高校時代の記憶を振り返るが、女性のことは記憶が一致しない。

 中学時代は、幼稚園や小学校の頃の噂が残っているのか、あからさまに避ける人が多かった。知らない人が声を掛けてくれたから高校時代のように、過ごすことは出来たが、高校時代よりも関わろうとする人は少なく、避ける人の方が多かった。

 それでも、第三者のように行事を振り返ることが出来るくらいにはまだ気持ちが落ち着いて思い出せる。その嫌な気持ちを残しながらも思い返せる中学時代にも、目の前の女性に対する記憶が無い。

 となると、小学校か幼稚園ということになる。

 ハッキリと言えるのは、この頃のことは思い出したくない、ということ。


 あからさまな虐めは無かった。


 ニュースで報道されるような陰湿で悪質な虐めは全くされていなかった。それは断言出来る。


 だが。

 存在を否定するかのように、居ない者として扱われるのだって、中々に酷いと思う。

 声を出しても聞こえないフリ。

 そこにいるのに見えてないように春香を見ない。

 だけど、春香がそこに居ることは分かっている。

 何故なら春香の周りはポッカリと空間が出来るから。それはつまり、春香という人間が存在しているのに関わらず、避けているという証明にしかならない。

 幼稚園の教諭も小学校の教諭も春香のそんな現状を危惧して、周りの子たちに声を掛けつつ春香にも声を掛けていた。それは有り難いと今なら思える。

 でも、当時の春香は声を掛けてもらっても、避ける同級生のことしか頭になくて、先生の声かけはあまり記憶に無い。自分の何が悪いのか、尋ねても返ってこない。そこに春香ひ居るのに居ない人として扱われる空気。

 それに耐えられず、春香は幼稚園は殆ど通わず卒園し、小学校も長期に休むことになり、軈て保健室や特別室登校という形でなんとか学校に通うスタイルへと移行していく。

 その頃の記憶など、思い出したくない。

 それでも胸が痛み、喉がヒリつく思いをしながらも振り返ってみるけれど、目の前の女性のことを思い出せない。……いや、なんとなく見覚えが、ある?

 思い出せるほどにこの姉の方の女性と言葉を交わしたことは無いだろうとは思うが、小学生の頃に、ヒソヒソと春香を居ない者として扱いながらも、春香に視線を向けて笑っていた何人かの女の子の一人、のような気がしないでもない。


 だが、そんな人は一人二人では無いから、そんな気がするだけで違うかもしれない。もし、春香の記憶通りだったとしても、だからといって、旧交を温めるような関係では無いことだけは確かで。

 だから、春香は姉の方を知らない人、に位置付けた。

お読みいただきまして、ありがとうございました。

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