拾参
翌日、下関市豊北町の神功皇后神社へ足を向けた春香たち三人。
昨日の美祢市の神功皇后神社と同様、何年かに一度しか訪れてない上に、由来書きも目にしていなかったので、今回改めてどちらの神社の由来も調べてみた春香。
「由来調べてみたら、美祢市の神功皇后神社は、神功皇后が三韓征伐のために兵を集めた場所だったと記されていて、由来書きにも書かれていた」
春香がポツリと溢す。両親に向けてのものなのか、神功皇后に向けてのものなのか、己に向けてのものなのか。さておき。
こちらの神功皇后神社は、後宇多天皇の頃に蒙古・高麗連合軍が土井ヶ浜に襲来した時、此の地に派遣された武将が蒙古軍を撃退するにあたり、神功皇后三韓征伐を思い出して神功皇后に祈願し、弊帛を奉ったところ勝てたから、そのことに感謝してこの神社を建立したという由来を知った。弊帛とは神への供物という意味で、神功皇后が三韓征伐の際に神への供物(つまり弊帛)を捧げたことに肖って同じことを行って勝利したから、感謝して神社を建てたということ。
ということは、直接神功皇后が関わったわけじゃない。
春香は、でも神功皇后の名前のついた神社だから足を運んだことは間違いじゃないよね。と考える。実際神功皇后に尋ねてもどちらの神社でも構わない、と言われたわけだし、と由来を調べながらそんなことを思った。
地元だったというのに、よく知らなかったのは、もしかして恥ずかしいことなのかしら、と春香は思うが、両親に調べたことを伝えると、自分たちも由来などを考えたことは無かった、と言っていたのでそういうものなのかもしれない。
抑々、神功皇后神社に参拝に来ていたのは、母が忘れていた記憶だけれど、心に残っていたのだろう、何となく参拝した方がいい、と口にしていたので父も何となく時折春香と三人で参拝していた、というくらいのもの。
ただ、こうなってくると巡り合わせだったのだろうな、と春香の両親は考えていた。
さて、そんな三人の考えは考えとして、由来にあるように土井ヶ浜の近くにある下関市豊北町の神功皇后神社に到着。美祢市の神功皇后神社もこちらも、鳥居が複数ある。一の鳥居を潜って二の鳥居までの参道を歩き二の鳥居を潜って神門から社へと辿り着く。
神社という独特の空間だからか、やっぱりこちらでも静謐な佇まい。神社の裏側にある角島や角島大橋が見えるのは良い眺めだと思う。
春香と両親は参拝する。
その間に、神功皇后は美祢市の方とは打って変わって落ち着いた雰囲気で神社のあちらこちらに行っていた。
その違いは、自身が生前に関わった土地に建てられた神社と、死後に神格化されたようにして建てられた神社だからだろうか。分からないけれど昨日は動の雰囲気で今日は静の雰囲気を神功皇后は纏っているように感じた。
住吉大社でも祀られているし八幡様としても祀られている神功皇后。それぞれの神社へ行けばまた違う雰囲気を纏うのだろうか、などと考えつつ、その姿を見ていると春香に振り返り、もう用は済んだというように、大きく頷いた。
それから帰りがてら海鮮料理を食べて角島の綺麗な海を眺めながらのんびり散策しようか、と両親と計画を立てていた通りに動く。
そのはずだった。
角島大橋の方からとても暗い雰囲気の春香と同い年くらいの女性が歩いて来るのが見えてくるまでは。
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