拾弐
「雲一つ……ではないな。わりと雲は多いが気持ちの良い天気だな」
父が鼻歌を口遊みながら空を見上げてそんなことを言う。
「うん。気持ちいいね」
雲一つ無い快晴だと母は逆に紫外線が気になる、と言うけれど。春香は東京に出てから大学生活を送る中で雑談を交わす学生たちの話で勉強した。紫外線は太陽の光が関係するから快晴は当然気にするべきだが、薄曇りだって紫外線は浴びるし、薄くない曇り空でも快晴の半分くらいの割合で紫外線を浴びる、ということを。
東京の女子大生たちが詳しいのか、春香が疎いだけなのか。
多分、後者だろうと春香は思っているが、勉強になった、と思うことにしている。
さておき。
『おお、近づいて来たの』
不意に神功皇后の声が聞こえてきて、春香はそちらに意識を向ける。
確かにもう少しで美祢市の神功皇后神社だ。春香の記憶が合っていれば、神功皇后神社の由来書きには、彼の地で三韓征伐のための兵を集ったと記されているので、神功皇后縁の地に建立された神社で間違いない。
毎年足を運んでいたわけではないけれども、周囲が田園風景。重厚な鳥居を潜り抜け階段を上がった先の静謐な空間は、神社というものが神様の家のような役割を果たすものなのが分かる。厳かな気持ちになるから。
そのご祭神である神功皇后が春香の側に居る、というのが未だに不思議なものだが。ただ、目の前の美女を見てしまうと、神様とはこのように静かで厳かな雰囲気を纏っている存在なのだな、と分かる。
神功皇后本人の話では、真の神様はもっと違う、というが。
どちらかと言うと、霊魂である自分から見ても眩い光のような存在が真の神様、なのだとか。
春香ならもっと眩く思えてしまうだろうな、と聞いていて思ったのは、余談だ。
「着いたぞ」
両親と三人で歩きながら時折宙に浮いている神功皇后を確認していたら、神社に到着していた。
昔と変わらない、人で言ったら寡黙だけれどそこに居るだけで空気を変えるような、静謐な雰囲気の社に背筋が伸びる思いがした。
『うむうむ。変わらないことは良きことじゃ。変化も必要なことはあるが、不要なときもあるからの』
そんなことを口にして、神功皇后はそのまま神社をあちらこちらと楽しげに嬉しげに移動していた。その間に両親と三人で参拝を済ませる春香。どこの神社であってもその独特な空間は身を引き締める。心が洗われるような澄んだ気持ちになる。そんな気がするだけかもしれないが、気がすることが大事だ。
『うむ、待たせたの』
どうやらもう補給は済んだようである。
「もう、よろしいのですか」
『うむ。大丈夫じゃ』
父に神功皇后が充分らしい、と伝えると軽く頷き来た道を三人で戻ることにする。風が吹いて清々しい思いをするのは、神社に参拝したからか、そのご祭神が居るからか。兎に角風に吹かれて背を押されるように足を進め春香たちは次の予定をこなすことにした。
ちょっと遅めの昼食によく行く瓦そばのお店へ向かうのである。
熱い瓦に茶そばと卵や肉を乗せた瓦そば。温かい濃い目のつゆにつけて食べるのが一般的。冷たい蕎麦も美味しいしけれど、瓦そばだけは熱い蕎麦と温かいつゆじゃないと食べた気になれない。
母が家で作るのはフライパン。それも美味しいけれど、瓦に乗ったそのスタイルそのものも春香は好きだった。
「友達はいない。けど、会釈をするだけの人とか、挨拶はする人とか、いるから大丈夫」
寮生活を送っているので、寮母さんだけではなく同じ寮生と会釈をしたり挨拶をしたり、そういうことはある。元々高校生まで、どれだけ友人を作りたくても作れなかった春香にとって、寮生活は上手くやっていけるのか心配ではあった。でもそれだけだとしても、物凄い進歩だと自分で思う。
幼稚園と小学校では挨拶どころか会釈ですらサッと目を逸らされてしまう生活。中学と高校では春香のことを知らない子たちから声をかけられても、いつの間にか噂を知るのか誰かから聞くのか、やっぱり目を逸らされてしまう生活を送っていた。
大学は上京したことで、春香のことを知らない子たちが多いからか、会釈をすれば会釈を返され、挨拶すれば挨拶を返される。
そんな当たり前なことが出来るようになった。
人には見えないモノが見える。
と言っても、神功皇后のようにはっきりとした姿を持つモノを見たことは今回が初めてで。それまではなんだか嫌なところだから避けよう、というくらいだった。それなのに、それが人とは違うから、人から避けられることになった。
見えないモノを見る。
でも雰囲気で感じ取っているようなものなのに。
いっそのこと、自分がいなければ、生まれて来なければ良かった、と何度思ったことか。
けれど。両親が春香を受け入れ向き合ってくれたから、春香は一人じゃないと思えた。
「挨拶が出来るって大事よね」
母がなんでもない口調で言う。
春香と真剣に向き合ってきた母だからこそ、何気ない口調の中に潜む想いは強い。父も穏やかにそうだなと同意する。ただそれだけでも、春香が前向きになったことを両親は理解出来た。全てを打ち明けなくても理解してくれる両親がいることは、春香も嬉しい。
「それにね、神功皇后が言ってたの。私みたいに見えないモノを見る人って私が知らないだけで、結構居るって。お母さんがひいおばあちゃんのことを口にしてくれて、初めて、ああ本当に私以外にもそういう人っているんだなって思った」
春香は少し呼吸がしやすくなったような顔をする。反対に母は曇り顔になった。
「ごめんなさいね、春香。あなたが苦しんできたことを知っていたのに、祖母の話を忘れていたの。もっと早く思い出していれば、春香はあんなに苦しまなかったかもしれないのに」
母の祖母は、母が高校の頃に亡くなったと聞いている。その上、子どもの頃に一度しか聞いたことのない話なのだから、簡単にパッと思い出せるものでもないだろうと今の春香なら分かる。
「お母さんの所為じゃないよ。それにお父さんもお母さんも、私の話を信じて受け入れてくれたから。それはとっても有り難いって思ってるよ」
改めて両親に礼を述べる。
いや、礼を述べたことなんて初めてかもしれない。
春香は急に照れ臭くなって顔を隠すように瓦そばを頬張った。
そんな春香の慌てぶりに両親は互いに顔を見合わせてクスリと笑い二人も瓦そばに箸をつけた。
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