拾壱
山口県に神功皇后の名を冠した神社はあるが、今回改めて春香が調べたところ、神功皇后の名を冠した神社以外にも神功皇后が祀られている神社は全国に多数あることを知った。
朝早くから起き出したのは、神功皇后神社に向かうためである。美祢市と下関市豊北町と両方に向かう方がいいのか、一箇所で良いのか、その辺りのことを尋ねつつ、そういえば、と気になって神功皇后が祀られている神社を調べてみたら……というわけだ。
「神功皇后が祀られている神社ってたくさんあるんですね」
八幡宮? 八幡神社? が、やたらと多い。
『うむ。ただの、妾は住吉の神々様と同じ社に祀られているのは申し訳ない気持ちがあるの。神々様は全く気にしておられない……とは思うがの。妾の問題じゃな。それに住吉の神々様だけでなく他の神様とも一緒に祀られて、ほんに申し訳ない気持ちじゃ。さらには妾の名前ではなく、いつのまにか八幡様と呼ばれるようになっておった。夫の仲哀天皇との子である応神天皇が八幡様として敬われ祀られているでな。夫と息子と共に祀られることもある。八幡宮に至っては全国各地にあるからの。申し訳ないやら有り難いやらじゃ』
春香は歴史や宗教に詳しくなかったため、改めて調べて知ったことだったが、源平合戦と習う平氏と源氏の戦いで、源氏側が八幡大菩薩様が、どうのこうの、と言うのを聞いた気がしたことがあった。その八幡大菩薩様が、目の前に居る神功皇后だなんて、思いもしない。さらりと告げられて、「えっ、は? どういうことですか?」と軽く脳内混乱を起こす。
『うむ? だからの、妾は熊襲征伐を行ったが、その後三韓征伐に行ったわけじゃ。その際の、幡を持って行った。神様が宿る依代だと考えての。八幡、つまり八つの旗を掲げたわけじゃ。それで八幡がはちまんと呼ばれるようになったようじゃなぁ。息子の誉田別尊、ああ応神天皇のことじゃな。息子と夫と共に全国で祀られるようになるとはのぅ。武神という見方をされるとは思ってもみなかった。やはりあれか、熊襲征伐や三韓征伐があったからかの』
しみじみとした口調の神功皇后の話が最早歴史上というか宗教上というか、次元の違う内容で、春香はなんて言えば良いのかまごつく。
抑々、霊魂である神功皇后が見えて会話をしている時点で次元が違うことに春香は気づいて心が凪いだ。
「そうですか……。ん? ということは、別に全国の八幡宮のどこかでも神功皇后の力の補給は出来るのではないのですか?」
春香は、思考まで落ち着いたことで、その事実に気づく。
『ああ、そこに気づいてしまったか』
気づいてしまった。
それは、敢えて黙っていた、ということを意味する。春香は、ちょっとだけ神功皇后を睨め付けてしまった。
「それって、敢えて黙っていた、ということですよね?」
『うむ、そうなるの。まぁ怒るな、怒るな』
春香の表情に気づいて宥めるような仕草をする。そこには、母が子を宥めるような歴然と力関係の差が出ている。春香は渋々折れた。神と崇め奉られているような存在相手に、宥められてしまえばどうしようもない。
『八幡様として民から祀られておることでどこの社に参っても問題は無い。じゃがの、言ったであろう。名とは縛り。その名を付けられたならそれ以外にはなれぬし、ならぬ。裏を返せば、その名を付けられたものはその名の通りの力を発揮する、ということじゃ』
神功皇后の説明に、春香は少し考える。
「つまり、神功皇后の名を付けられた神社は八幡宮よりも神功皇后の力を取り戻しやすい?」
『うむうむ、そういうことじゃ。まぁどこでも良いのは確かじゃが、妾の名のある社の方が力を取り戻しやすいの。また畏れ多いことながら、神々様の力も得やすい。妾の名を冠した社というものは、そういうものと思ってくれれば良い。じゃからの、別に妾の名を冠した社であるならどこでも良いというのも確かではあるな。八幡として祀られるよりも、な。名というのはそれだけ強いもの、と思うと良い』
つまり、美祢市でも豊北町でもどちらでも良いということらしい。父にはどちらでも良いみたいだ、と言えば、じゃあ二日かけて両方に行こう、という案を出された。
本日は美祢市の方に行く。市町村合併で美祢市と名前を変えた、県の中央に位置する市。
山口県の有名な観光地で名前が挙がる秋吉台も美祢市内で青空の下で観る秋吉台は、春香が初めて見たときは幼い子どもだったこともあるが、言葉が出て来なくて単純に広い、大きい、そして綺麗だったことを思い出す。
秋吉台は、元は海だった。サンゴ礁が時間が経ち石灰岩という岩に。その繰り返しで長い時間を掛けて今の秋吉台に変化した。その地下には秋芳洞という鍾乳洞もある。神秘的という言葉も知らない子どもだったけれど、美しさに目を奪われた。自然の雄大さを子どもながらに感じ取っていた。
春香が自分は人とは違う、ということに衝撃や落ち込みを経験していた小さな頃。両親は春香を元気づけるつもりで出来る範囲で色んなところに連れて行ってくれた。色んな経験をさせてくれた。
「春香の見ているものは人より多いかもしれないけれど、美味しい物を食べて美味しいと思うことも、綺麗な花を見て綺麗だと思うことも、それは父さんと母さんとなにも変わらないよ、か」
不意に父の言葉を思い出して口にする。
今なら分かる。
春香が自分を可哀想な子だと自身を憐れみ悲観するだけの人間にならないように、という親の配慮だったのだ、と。
視点を変えれば世界はこんなにも広いということを教えたいのだ、と。
春香の両親はとことん春香に向き合ってくれる、誠実な人たちだった。
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