玖
「最初はゴールデンウィークに帰省するなんて言っていなかったから急な帰省に驚いたよ」
父が笑って春香の荷物を後部座席に乗せる。
「うん。急にごめんね」
「いいさ。私と母さんも春香が居なくなって寂しい思いをしていたから、嬉しいよ」
しおらしく頭を下げた春香に、カラリと父は笑って寂しかったよ、と言う。春香が上京するときは、「母さんと二人でのんびりと散歩したり映画を観に行ったりすることにしよう」などと笑っていたのに。
きっと急に帰省した春香の気持ちを慮ってくれての発言なのだろう。
帰省したのは構わないが、どこまで話す方がいいのか、と一瞬頭を悩ませる。だが見えなくても信じてくれた両親だ。きっと今回も信じてくれるはず。
「お母さんと一緒に話を聞いて欲しいんだけど」
助手席に乗ってポツリと溢した春香に、父はうん、と頷いて黙って運転する。
カフェや公園などがある駅周辺を流し見つつ、屋根の上に座っているはずの神功皇后に意識を向ける。
春香の父が所有する車の後部座席にでも乗るのかと思いきや、神功皇后は屋根の上へ座った。
見えてない人たちにはきっと分からない、そのシュールな絵面。
春香は父が後部座席に荷物を乗せて春香から視線を外した瞬間に、屋根を見て何とも言えない微妙な表情を浮かべていた。
神功皇后曰く霊魂、つまり幽霊なので、衣装は全く変わらない。本人の話から生前気に入っていた装束とのこと。
春香は歴史に強くないので装束の名前などは知らない。平安より前だから十二単では無いのは分かるが。
兎に角、それくらい古い装束、けれども皇后の位を授かった人なだけあって、現代人の春香の目から見ても高価そうな雰囲気がある装束を着た美女が、現代の車の屋根に座っている姿を想像すれば、そのシュールさは言わずもがな。
うん、今は忘れておこう。
春香は脳の片隅に絵面を押し込んで、父の問いかけに応える。
「それで? どこか行きたいところでもあるのか?」
「うん、あるけど、取り敢えずお母さんのご飯が食べたい」
「おっ。母さんが喜ぶな! 春香の好きな親子丼を作るって言ってたぞ」
「やった! あと、瓦そば食べたい」
東京行っておよそ一ヶ月。瓦そばが山口県の郷土料理だと知った。気軽に食べられるものじゃないのか、とちょっとショックを受けた。抑々、瓦の上にそばが乗っている食べ物など見たことない人が多い、というのはSNS情報。
「じゃあ食べに行くか」
よく食べに行くお店の名前を口にした父に、うん、行く。と頷く。瓦そばを母もよく作るが、偶には食べに行きたいときによく行くお店。あとはふぐ料理も食べたいが、長州鶏も食べたい。などと贅沢なことを口にする。
「ははは。春香、そんなに食べたいのか」
父は笑うが、きっと叶えることは春香も分かっている。人には見えないモノを見ることに怯え、友人も出来ないことに悲しんだ春香が、一時期食事を摂ることすら忌避していたことを覚えている両親にとって、食べたい、と言う春香が嬉しいのだ、と春香も分かっている。
あの頃は「春香がご飯を食べたい、と思うまで、父さんと母さんも食べないことにした」と二人が言い出して、一昼夜三人で食べない日が出来た。
仕事をして疲れているはずの両親が、お腹を空かせているのに関わらず、春香と一緒に食べないことを選んだ。それが正しいやり方なのか、春香もきっと両親も分からなかったと思う。
でも。
両親も食べなかったことを選んだことで、春香は両親と共に食べることを望んだ。
「お母さん、お父さん、お腹空いた! 私、食べる。だから一緒に食べてください!」
そう言った春香に泣いて喜んだ両親。
小学生だった春香にとっては、そこそこに遅い時間帯だったので夕飯ではなく夜食みたいなものだった。そんな時間帯にお腹が空いて空いて仕方ない春香を、さらに我慢させて時間を掛けて食事を作ることは、母は考えず。
簡単で栄養がさっと取れる親子丼を作った。
三人で食べた親子丼。
今も春香が一番の好物なのは、そういう理由からである。
春香が一番好きだ、と言ったその意味を両親は理解してくれているのだろう、と春香も分かっている。
だから帰省した春香に出す夕飯が親子丼なのだから。
後にこの話を神功皇后にしたときのこと。
『ふむ。よくよく出来た親御さんじゃの。人は食べることと眠ることで生きる意思を示す。男と女が肉欲を持つのは子孫を育む意味を持つ。無論、婚姻せずに子を持たぬ者や婚姻しても子を持たぬ者もおるし、様々じゃの。まぁその辺はさておき。食べることで生きる意思を表すのに、食べないと決めたと言うのは、そなたと共に死ぬ覚悟すら持ったということじゃ。そなた自身は幼子ゆえにそこまで考えなかったかも知れぬがな、親御さんたちは、食べないことは死ぬことを意味すると分かっていた。けれども、そなたに無理やり食べさせるのではなく自分たちも食べないという意思を示した。中々出来ないことじゃ。そなたを子どもだから、と侮ることなく、そなたという人間と向き合ってのことじゃろ。力いっぱい、親として何が出来るのか考えたのじゃろうな』
しみじみとした口調で両親の覚悟を諭され、春香は十数年経って、改めて自分の両親がどれだけ自分を愛してくれているのか、と口を一文字に結んで俯いた。そうしなければ、親の愛情に泣いてしまいそうだった。
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