表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
第五章 魔王の遺産と幽霊の算譜 「丞相を継ぐ者」三国志向朗伝  作者: こくせんや
第5章 「魔王の遺産と幽霊の算譜」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

145/166

第4話:連環の破産、長安の焦燥 その2

3.それは蝶という名の(バグ)


 董卓勢力は、董卓直系の涼州軍閥(りょうしゅうぐんばつ)と、呂布を筆頭とする并州軍閥(へいしゅうぐんばつ)という二大勢力の危うい合流によって成り立っている。


 もともと丁原の部下であった呂布は、貧しく常に糧が欠乏していた并州勢を救うため、董卓の誘い(買収)に乗って主を殺し、外様として董卓陣営に加わった。

そのため、涼州閥の将軍たち――李傕や郭汜といった面々からは「裏切り者」「飼い犬」と蔑まれ、常に激しい対立の火種を抱えていた。

彼には、自分が守っているこの繁栄が、他者の犠牲の上に成り立つ硝子細工であることなど知る由もない。


 李儒の配給管理によって、李傕や郭汜といった涼州勢も、呂布の配下である并州兵たちも、食い詰めることがない、その一点によって破滅的な衝突が避けられていた。ただ、「李儒の言う通りに動けば、部下に飯が食わせられる」という実務への信頼だけで、呂布は主君・董卓への形だけの忠誠を繋ぎ止めていた。


「わたくし、お力になりたいのです」


薄暗い密室。司徒・王允(おういん)の前に伏した少女は、今にも零れそうな涙を瞳に湛え、か細い声で囁いた。


「あのお方は……呂布将軍は、天下無双の武をお持ちでありながら、その瞳の奥には、誰にも言えぬ孤独と寂しさを抱えていらっしゃいます。わたくしのような身分の卑しい女でも、あのお方の心を優しく解きほぐし、正しい人の道へと振り向かせることができるでしょうか」


王允の瞳が、暗い確信を以て鋭く光った。


 ――それだ。並ぶ者のない武力を誇りながら、李儒が与える「日々の糧」という卑しい鎖に魂を売り渡している呂布。その鎖を、この少女の慈愛と美貌という刃で断ち切り、我ら名士が掲げる「大義」の旗へと繋ぎ変えるのだ。


「……できるとも。お前のその汚れなき真心ならば、あの荒ぶる武人の魂さえも、漢王朝を救う正義の剣へと昇華できよう」


王允は、己が描いた完璧な救国の物語に酔いしれ、満足げに深く頷いた。


だが、老練な政治家である王允は、いまだ気づいていない。

 目の前で健気に震える少女の胸の内に、漢室への忠義も、救国の情熱も、塵ほども存在していないことを。

彼女の視線の先にあるのは、王允が夢想する安寧の世ではなく、ただすべてが音を立てて崩れ落ちる「終焉」の景色であった。


彼女は、ただ囁くだけ。


 ただ、名士たちが「自分たちこそが絶対の正義である」という心地よい酔いに浸れるよう、耳元で甘い、甘い迷い子(まよいご)の歌を歌いかける。

王允の憂国も、呂布の悲哀も、彼女にとっては男たちの心を壊し、狂わせるための格好の「糸口」に過ぎなかった。


李儒が丹念に築き上げた、完璧な回路の中に、彼女は可憐な羽ばたきと共に紛れ込んだ。

 一度入り込めば、どれほど精緻な計算も、どれほど周到な兵站も、彼女が撒き散らす「情愛」という名の不具合(ウイルス)によって、内側から修復不能なまでに崩壊していく。


すべてを燃やし尽くすために舞う、美しき(バグ)


 彼女の名は貂蝉。


 致命的な(バグ)であった。


4.破滅デフォルトへの秒読み


 王允たちの会合は、次第に董卓「暗殺」という具体的な処理へと傾倒していった。


 彼らの勘違いは、極まっていた。

 董卓を殺し、李儒を捕らえれば、李儒が構築した「富を吸い上げる黒い穴」は、そのまま自分たちの手に入ると信じていた。

あるいは、その穴を塞げば、埋められたはずの富が再び湧き出してくると夢想していた。


 だが、事実は異なる。


 李儒が設計した長安の経済システムは、高度な裁定取引(アービトラージ)によって維持される、常に「動いていなければ崩壊する」自転車操業の産物である。


董卓という恐怖の重石が消え、李儒という管理者がいなくなった瞬間、市場に撒かれた董卓小銭(あくせん)は、一瞬にしてただの「重い鉛」と化す。

その時、長安に蓄えられた富を狙って、飢えた兵たちが、そして近隣の諸侯たちが、一斉にこの都市を食い荒らしにくるだろう。


 それは、彼らが望んだ「漢の復活」ではなく、管理者を失った組織が迎える、文字通りの破綻(デフォルト)であった。


「さあ、始めよう。この汚れきった盤面を、清めるために」


 会合の終わり、貂蝉は王允の耳元で、甘く、死神のような声で囁いた。


 王允はその言葉に、天の啓示を聞いたかのように震え、呂布への謀略への勧誘を決意した。

 屋敷の窓から見える長安の夜景は、李儒の仕掛けた偽りの繁栄に煌々と照らされている。

一方は、数字によって世界を冷酷に再定義しようとする設計者。一方は、古き美しき幻影を追い、正義という名の暴走を加速させる亡霊たち。


 長安という巨大な盤理が、その臨界点を迎えようとしていた。

 李儒の弾く算盤の音と、名士たちの唱える祈りの声が重なり合い、不協和音となって夜の闇に消えていく。


5.郿塢(びう)の聖域:設計者と後詰(のぞみ)の少女


 長安の西、二百五十里。広大な関中平野に突如として現れる巨大な異形――それが郿塢(びう)であった。


 高さにして七丈、厚さはそれ以上に及ぶ巨大な城壁は、もはや一つの城という枠を超え、人工の山脈のごとき威容を誇っている。

そこには三十年分もの食糧が蓄積され、後漢王朝が四百年かけて積み上げた金銀財宝が、泥のごとく積み上げられていた。


 世の人々は、これを董卓が欲望を煮詰めた「贅の極み」と呼び、あるいは「最後の逃げ込み場所」と揶揄した。

だが、董卓の娘婿であり、帝国の実質的な設計者である李儒(りじゅ)にとっては、その解釈はあまりに卑近で、救いようもなく浅はかなものであった。


『郿塢は、単なる貯蔵庫ではない。担保だ』


 城壁の最上部、吹き抜ける乾いた風を浴びながら、李儒は眼下の穀倉群を見下ろして呟いた。

 李儒の目に映るのは、石材と木材の集合体ではない。それは、放漫な腐敗と偽造銭(あくせん)によって破綻(デフォルト)に陥った漢王朝という仕組みから、唯一、真の価値を持つ資産を隔離した「天下の負債を清算し、再び健全な実利を再興するための担保(裏付け)」であった。


 李儒が執った策は、世に聞く破壊者のそれとは一線を画していた。

 たとえば、長安の市場に一人の商人がいるとする。

 彼は懐に、李儒が鋳造させた鉛の礫――董卓小銭(あくせん)を詰め込み、意気揚々と長安の城門を出る。


目指すは連合軍の勢力圏に近い、東方の交易都市だ。

 道中、彼はこの小銭を支払いに使う。本来なら誰も見向きもしない粗悪な貨幣だが、背後には董卓の武力という裏付け(しんよう)がある。取引を拒めば軍靴に踏みにじられる恐怖から、外地の商人たちは泣く泣く小銭を受け入れ、代わりに彼らが守り抜いてきた「本物の五銖銭(ごしゅせん)」や実物資産を商人に手渡すことになる。


 商人は長安に戻る。彼の手元には、外地で安く買い叩いた大量の物資と、価値ある旧貨がある。

 長安の内部では、李儒が五銖銭の価値を厳格に維持し、供給を絞っている。そのため、商人が持ち帰った「本物の銭」は、長安内ではさらに数十倍の購買力を持つ至宝へと化ける。


 商人は大儲けし、味を占めて再び小銭を担いで外へと向かう。

 商人一人が利益を求めて取引を繰り返すたびに、この裁定取引(アービトラージ)は加速していく。

 結果として起きるのは、目に見えない巨大な「富の移動」であった。長安の城内には、世界中から吸い上げられた金銀財宝と食糧が集積し、対して長安の外側には、使い道のない鉛の小銭だけが溢れかえり、他国の経済は死に至る。


 李儒は長安の内部で通貨を厳格に管理する一方で、粗悪な小銭を強引に押し出すことで、敵地にのみ物価騰貴(インフレーション)を輸出していたのである。


 商人らが再び東に向かい、『小銭』で取引を行う。魔王の狗といくら罵られ蔑まれようとも、長安に戻れば『五銖銭』で正しく取引できる。

その信用が彼ら商人たちを支えていた。その『担保』が郿塢の膨大な資産であった。


「……これこそが、清算(せいさん)だ」


 李儒は冷たく目を細めた。


 天下が泥沼の混乱に喘ぎ、諸侯が兵を養う資金すら枯渇していく中で、この郿塢だけは物理的な「正解」を蓄え続けている。

世界が完全に破綻(デフォルト)したその時、この城塞に眠る富こそが、新たな世界の根幹となるのだ。


「……李儒。またそのような、寂しいお顔をして。帳簿の桁が合いませんでしたか?」

 不意に背後からかけられた声に、李儒の思考がわずかに揺らいだ。


 振り返れば、そこに董白(とうはく)が立っていた。


 魔王・董卓が愛でる「直系の血」という重責を背負わされながら、彼女は李儒という義父との間にだけは、波長の合う空気を共有していた。

血の繋がりなどない。だが、董卓という巨大な太陽が振りまく狂気の熱に焼かれぬよう、日陰で身を寄せ合う二人の間には、実務家同士にしか分からぬ冷めた信頼があった。


 董白は、自分が董卓の孫であるという事実に、諦念を抱いている。

祖父が自分を権威の象徴として郿塢に閉じ込めることも、涼州の将たちが自分を略奪品のように眺めることも、彼女にとっては逃れられぬ因果(さだめ)に過ぎなかった。


 だが、そんな彼女が唯一、その瞳に微かな熱を宿す瞬間がある。それは、李儒が持ち込む膨大な台帳の山に触れる時であった。


6.宝石の開眼(かいげん):回想の夜


 それは、遷都の混乱がまだ色濃く残る洛陽での、ある静かな夜のことだった。

 当時、十歳をようよう超えたばかりの董白は、李儒の書斎で、董卓小銭(あくせん)の試作貨を指先でなぞっていた。

李儒は、彼女が単なる遊びでそれを眺めているのだと思い、無造作に言った。


「それは汚い。触らぬ方がいい。価値のない、ただの不純物だ」


 その時、少女は顔を上げず、飢えた獣が正解を求めるような声で応えた。


「……価値がない、とはどういうことでしょう。李儒。あなたは、この『価値がないもの』をわざわざ作られた。そこには、何らかの意図があるはずです」


 李儒の算盤を弾く手が、一瞬で止まった。

それが、李儒の計算し尽くした世界に、初めて自分以外の「知性の閃光(ひかり)」が差し込んだ瞬間であった。


「文字は潰れ、縁は欠け、重さも一定ではない。これでは市場の誰もが信用しません。……ですが、この不細工な小銭を『外の者』に無理やり掴ませれば、彼らは本物の富を放り出してでも、この偽物を押し付け合おうとするでしょう。そうして、街から本物の富が消え、すべてがあなたの手元……この郿塢へと流れ込む。この小銭は、器なのですね? 他人の富を吸い寄せるための、空っぽの器」


 董白は、その不純な小銭を卓に転がし、李儒を真っ直ぐに見据えた。その瞳に宿っていたのは、完成された知性ではない。自分の知らない世界の「仕組み」を解き明かしたいという、根源的な知への渇望(ねがい)であった。


「李儒。教えてください。なぜ、人はこの鉛の塊に踊らされるのですか?」


 李儒は、戦慄した。


 李儒はこの時、初めて「この世を数字で読み解こうとする魂」の存在に触れたのである。


「私には、この先が分かりません。世に溢れるのは偽りの富ばかり。本当に価値あるもの――揺るぎない(ことわり)を教えてくださる人が、ここにはいないのです。」


「本当に価値のあるもの……李儒、あなたは私に、それを教えてくれますか?」


 その日を境に、李儒は彼女を「装飾品」として見るのをやめた。

 彼は董白に算額を、実学を、そして「数字によって世界を統御する過酷な真実」を教え始めた。

董卓の孫という自由にならない身を嘆く代わりに、彼女はその知性で世界の正体を読み解くことに没頭していった。

董白にとって、李儒は義父である以上に、この虚偽に満ちた都で唯一「確かな答え」を与えてくれる導師となったのである。

 そして李儒は、この幼き知性を核心に据えた、己の算譜(さんぷ)の終着点――秘中の秘策を確信していた。


 『第六の式(だいろくのしき)』。


 それは、董卓という劇薬を用いて漢王朝という老朽化した盤理(ふるいしき)を一度完全に解体し、その後に立ち上がる白紙の帳簿(きよらかなしき)を支配するための計画であった。


 老いたる魔王・董卓がその役割を終え、この世を去ると同時に、郿塢に蓄えた莫大な資産を解放する。そして、汚れなき孫娘・董白を献帝の妃へと送り込み、新たな時代の統理者(とうりしゃ)として、帝国の帳簿を完全に掌握する。


 血塗られた過去を董卓と共に葬り去り、その後に残る純粋な実利のみで世界を再定義する。それが設計者・李儒が描き出した、帝国の再興(さいこう)へと至る絶対の計算式であった。


ついに登場しました。貂蝉。

彼女の望みは、世界を滅ぼすこと。力なき彼女にできることは、破滅に向かうよう囁き続けること。


この後にも、呂布に同行し、曹操に、そして関羽に引き取られる逸話を採用しています。

どこまで物語にできますでしょうか。。。頑張ります( ´∀` )


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ