第五章 結露の終わり、真実
第五章!
ラスト章です!
楽しんで!
午前二時四分。
ピピッ、と短い電子音が、完全に飽和しきった部屋の静寂を切り裂いた。
同時に、世界が反転した。
エアコンの除湿機能を最大で回していたはずの室内環境が、まるで目に見えない巨大なバルブを一気に開放されたかのように、一瞬で熱い風呂場のような狂った湿気に包まれる。
バシバシと音を立てて、窓ガラスや壁紙に大きな水滴が沸き立ち、俺の眼鏡のレンズを真っ白に塗り潰した。スマートフォンの結露警告アプリが、画面を真っ赤に明滅させて狂ったように振動している。
『警告:室内の湿度が急激に上昇しています。現在値:99%』
「くそっ、始まったか……!」
俺は眼鏡をむしり取り、ノートPCの画面に顔を近づけた。
赤外線サーモグラフィのモニターを見る。青く冷え切った部屋のグラフィックの中に、突如として『赤く燃え上がるような熱源』が出現していた。
場所は、ベッドの真上。何もない虚空。
七年前に殺された佐藤さんの、人生最後の『十分間の窒息の記録』。吸う動作を一切持たず、ただ肺から漏れ出続ける、あの凄惨な過呼吸データがリアルタイムで波形を描いていく。
だが、俺が本当に対峙すべきなのは、その幽霊のデータではない。
画面のピクセルを極限まで拡大する。佐藤さんの熱源のすぐ真横。
ずっと天井裏のデッドスペースに潜んでいた、あの冷たい『青緑色の歪み』――犯人の熱源が、信じられない速度で動き出していた。
それはベッドの上からではない。
俺の頭上。ぽっかりと開いた天井の点検口から、音もなく滑り落ちるように、俺の背後へと肉薄してくる。
「そこか……!」
俺は振り返りざま、ベッドの脇に設置してあった『超音波加湿器』の噴霧口を向け、リモコンのスイッチを『最大』に切り替えた。
タンクの中に入っているのは、実験用に研究室から持ってきた高濃度の工業用アルコール(エタノール)だ。超音波によって一瞬で微細な霧となったアルコールが、背後の空間に向けて猛烈にぶちまけられる。
「お前は七年間、この湿度九九%の閉鎖空間にずっといた。なら、お前の肺や粘膜は、極度の湿気とカビに慣れきって不完全な状態になっているはずだ!」
俺はポケットからライターを取り出し、親指でフリントを弾いた。
小さな火花が、アルコールが充満した生温かい霧に触れる。
――瞬間、爆発的な青い炎が、部屋の中で猛烈に噴き上がった。
ドォン!という鼓膜を揺らす衝撃音。
炎の光に照らされて、暗闇の中に歪んだ人影が浮かび上がる。天井裏から侵入してきた「何か」が、高濃度アルコールの蒸気を肺の奥深くまで吸い込み、「ギ、ガァアアアッ!?」という、人間とも獣ともつかない絶交の悲鳴を上げた。
急激な熱変化と酸素の枯渇。俺のロジックは完璧に決まったはずだった。
しかし、その生物学的な限界を超えて、狂人の執念は炎すら超越してきた。
炎に包まれながら、その『巨大な、冷たい青緑色の手』が、真っ直ぐに俺の喉元へと伸びてきた。 触れられた瞬間、氷を押し付けられたような強烈な悪寒が全身を走る。
「が、はっ……!?」
凄まじい、人間のものとは思えない腕力だった。喉笛が容易く圧迫され、酸素の供給が完全に途絶する。 抵抗しようにも、指先一つ動かせない。俺の体はベッドの上から軽々と持ち上げられ、炎の燃え盛る部屋の奥へと引きずられていく。
そこは、経年劣化とカビによって床板が腐り落ち、アパートの構造の「裏側」に繋がっている二重壁の隙間だった。
光の届かない暗黒の奈落。
俺の体は、その冷たい青緑色の手に掴まれたまま、真っ逆さまに底無しの闇へと吸い込まれていく。 脳が酸欠を起こし、視界が完全にブラックアウトする。
それが、理系としてのデータに拘泥しすぎた俺の、最後の記録だった。
ご覧いただきありがとうございました。
まさに『BAD END』ですね。
エピローグもあるのでそちらもご覧になってください




