第三章 事故の隠蔽
第三章!
楽しんで!
翌朝、俺は大学の講義をすべてサボり、地元の市立図書館の地下資料室にこもっていた。
机の上には、ノートPCと、十年前から現在に至るまでの地方新聞のマイクロフィルムが山積みにされている。
「不動産屋の言う『不審な孤独死』が嘘なら、本当の事実はどこにある?」
ネットの事故物件サイト『大島てる』には、俺の住むアパートの住所に炎のアイコンが一つだけぽつんと灯っていた。だが、記載されている理由はたった一行、【病死。発見が遅れたため特殊清掃】とだけ。
しかし、昨夜のデータが示した事実は、病死なんて静かなものとは程遠い。あれは極限の恐怖に歪んだ人間のデータだ。それも、呼吸を「吸う」ことができず、肺から無理やり空気が「漏れ出ていた」という致命的な矛盾。
「必ず、新聞の三面記事か警察の事件簿に、データと一致する記録が残っているはずだ」
俺は画面をスクロールし、日付を過去へと遡っていく。
一年前、三年前、五年前……。
目がかすみ、肩が凝り固まってきた頃、俺の指がピタリと止まった。
七年前の秋。十一月十四日の朝刊。その片隅に掲載された、小さなベタ記事。
『アパート室内で男性会社員の遺体発見。強盗殺人の可能性も』
心臓がドクン、と大きく跳ねた。
記事を素早く読み進める。場所はまさに、俺が今住んでいるアパートの二〇二号室。
被害者は当時二十四歳の会社員、佐藤という男だった。記事によると、佐藤は自室のベッドの上で仰向けになった状態で死亡しているのを発見されたという。
そして、その死因の欄を目にした瞬間、俺の全身の血がスッと冷えていくのが分かった。
『窒息死。被害者は両手両足を拘束された上、口と鼻を工業用の粘着テープで何重にも巻き付けられ、完全に気道を塞がれていた。死亡推定時刻は、午前二時四分頃』
「……これだ」
頭の中で、散らばっていた全てのピースがカチリと音を立てて噛み合った。
深夜二時四分。
ベッドの真上。
そして、センサーが捉えた「吸うことができず、ただ吐き出され続ける湿った空気」の正体。
佐藤は、二時四分に犯人に襲われ、口と鼻を完全に塞がれたのだ。
肺の中に残った最後の空気を、男は粘着テープの隙間から、命乞いをするように、狂ったように吐き出し続け――そして、そのまま窒息死した。
あの部屋に残されているのは、病死した人間の未練なんかじゃない。七年前に殺された男の、人生最後の『十分間の窒息の記録』が、そのまま物理現象として毎晩再生されていたのだ。
喉がカラカラに乾いていた。俺はノートPCを閉じ、震える手で冷え切った缶コーヒーを口にした。
「犯人は、まだ捕まっていない……」
記事の最後には、そう締めくくられていた。目撃情報が乏しく、遺留品も少なかったため、事件は未解決のまま捜査本部が縮小されたらしい。
だから大家は、家賃を極端に下げ、カビの発生を理由にリフォームを誤魔化し、俺のような「訳あり」の学生に部屋を押し付けたのだ。
「幽霊の正体が窒息死の再現なら、恐れる必要はない」
俺は自分に言い聞かせるように、深く息を吐き出した。
それはただの『過去のエネルギーの残滓』だ。決まった時間にデータが再生され、十分経てば消えるだけのビデオテープのようなもの。原因が分かれば、対処のしようはある。大家を問い詰めて敷金を取り戻し、すぐに引っ越せばいいだけの話だ。
少しだけ安堵した俺は、昨夜録画した赤外線サーモグラフィのデータをもう一度確認し、アパートへ戻る荷物をまとめようとした。
だが、ノートPCの画面に映る、ベッドの上の熱源グラフィックを何気なく拡大したとき。
俺の脳の思考回路が、恐怖で完全にフリーズした。
「……なんだ、これ」
佐藤の口元を示す、赤く明滅する直径十センチの熱源。
そのすぐ真横。
画面のピクセルを極限まで拡大したその場所に、もう一つの、極めて小さく、そして冷たい『青緑色の歪み』が記録されていた。
気流データを確認する。
佐藤の激しい過呼吸のデータの横で、その『歪み』は、一分間にわずか十二回という、恐ろしいほど『静かで、安定した呼吸』を刻んでいた。
佐藤が窒息死していくその瞬間、そのすぐ真横に顔を近づけ、男が死にゆく様をじっと観察していた【もう一人の人間の熱源】。
それが幽霊の仕業(過去の再現)だというのなら、なぜ、被害者のデータと一緒に『犯人のデータ』までが、毎晩同じ部屋に現れるんだ?
いや、違う。
データの波形をよく見ろ。
佐藤の熱源は、二時四分になった瞬間に『突如として虚空から現れた』。
だが、この犯人のものと思われる静かな呼吸データは――二時四分になる前から、すでにそこにあった(・・・・・・・・)。
冷や汗が、滝のように背中を伝っていく。
外はもう夕暮れだ。オレンジ色の不気味な影が、資料室の床を長く伸ばしている。
スマホが震えた。時刻は午後五時。アパートの管理会社から、修理の件での折り返し連絡だった。
「もしもし、二〇二号室の高瀬ですが」
『あ、高瀬さん?カビの件だけどね、大家さんに確認したんだけど、あの部屋、天井裏の点検口から奥のデッドスペースにかけて、前の住人が勝手に改造して物置にしてたらしいのよ。リフォームの時もそこは手をつけてないから、もしかしたらそこに古い湿気が溜まってるのかもって』
管理会社の男の能天気な声が、受話器の向こうから響く。
俺の頭の中では、サーモグラフィのデータが、狂ったように警告を発していた。
犯人の呼吸データは、二時四分に現れたんじゃない。
毎日、ずっと、あの部屋のどこかに存在している。
ご覧いただきありがとうございました。
普通に日常生活でありそうで怖い!(自分で書いて何言ってんだ)




