07.彼女が防人なら、俺は
ある日の夕方、俺、モルドレッド・ドレイクは兵に交じって木剣を振っていた。
「殿下、脇が甘い! 振りが雑になっていますぞ!」
「……っ」
師匠の木剣が、俺の手から木剣を払い落とした。
「ふむ、ここ数日、心ここにあらずのご様子。何か懸念でも?」
「ちょっとね。国政なんて懸念だらけだよ」
「はは、違いない。ですが、だからこそ。いざというときには腹をくくってかかりませんと、結局何も手に入れずに終わりますぞ」
「……そうだよなあ」
木剣を拾って立ち上がる。
タオルを取りに行こうとしたら、二階の廊下からふわりといい匂いのするタオルが降ってきた。
受け止めて顔を上げると、ジニーが廊下の窓から身を乗り出して手を振っていた。
俺もタオルを掲げて振り返したが、ちゃんと笑えていた自信はなかった。
その日の夜、湯浴みを終えて自室へ戻ろうとしたとき、静まり返った城の中に訓練場からの声がかすかに響いていた。
浴室へ戻ってタオルを一枚拝借し、そのまま訓練場へ向かった。
柱の陰からこっそりのぞこうとしたら、同じことを考えた先客が山ほどいた。
「姫様、頑張ってるなあ」
「いや、頑張りすぎだろ。伯爵令嬢だったよな」
「つってもヴォーティガン家のだろう? 俺らみたいな雑兵、たぶん五歳くらいからちぎっては投げ、ちぎっては投げ」
「お前、いつもちぎって投げられてるもんな」
「お前もだよ」
兵士らの視線の先で、ジニーは木剣を振るっていた。
月明かりに照らされた彼女は、ふわふわの髪を高い位置でひとつに結び、額に汗をにじませていた。春の妖精のようだった面影はどこにもない。
昼間の俺と同じように師匠に稽古をつけてもらっているはずなのに、剣に乗った気迫がまるで違った。
師匠は笑みこそ浮かべているものの、額に汗を浮かべながら必死にジニーの剣を裁いていた。
「おや、モルドレッド殿下」
「あ」
近くにいた兵士が俺に気づいた。
何を言われるのかと身構えたが、兵士はニヤッと笑って俺の背中を前へ押した。
「そんな陰にいないで、一番前で応援して差し上げてくださいよ」
「そうそう」
他の兵士らも気づいて頷いた。
「こういうときは、意中の相手の声が何より力になるってもんです」
「そうかな」
「そうですよ。殿下だって親善試合で負けなきゃいけなかったのに、姫様に応援されて隣国の王子を吹っ飛ばしちゃったじゃないですか」
「い、いつの話だよ……」
デビュタントが終わって、少しした頃の話だ。
プロポーズをあっさり断られて落ち込んでいたのに、ジニーがかわいい声で応援してくれたせいで、つい力が入りすぎたのだ。
その後父上と母上からは叱られ、兄上からは慰められ、ジニーには謝られた。
「殿下、愛されてますからねえ」
「そうかな」
「えっ、自覚がおありでない?」
周囲の兵たちは顔を見合わせ、呆れたように苦笑した。
ジニーが俺に気を許してくれているのは分かっているし、慕ってくれているのも知っている。でも、好きな気持ちは絶対に俺の方が強かった。
……腹をくくれなくなるくらいには。
「もし、俺がさ」
つい小さく呟いた。
「彼女を本気で娶るなら、きっと大変なことになるよなあ」
「そうっすねえ」
一番近くにいた兵が頷いた。
「最悪、兄君と覇権争いになるかもしれませんし……あ、すみません。口が滑りました」
彼は別の兵に脇を小突かれて口を閉じた。
俺は首を小さく横に振っておく。
「いや、いい。俺が言わせたんだ。でも、離宮の外では言わないように」
「もちろんです」
ジニーと師匠の稽古は、夜気を震わせるほど白熱していた。
師匠の剣は重く鋭い。対するジニーの剣は軽やかで、小回りが利いていた。
ジニーは正面から受けないよう立ち回りながらも、一歩も引かずに果敢に攻め立てていた。
「……ジニー」
「殿下、応援して差し上げてください」
「そうですよ。あんなにも鬼気迫る顔の姫様、なかなか見ませんよ」
「君たちもさ……」
俺が小声で言うと、兵たちはスッと黙って耳を傾けた。
「俺が……がんばれって言ったら、君たちは応えてくれるかい?」
「当然じゃないですか」
「ええ、一騎当千の働きを御覧に入れます」
「わたくしどもは、殿下と妃殿下、そして姫様の剣であり盾です」
「その名に恥じぬ働きを誓いましょう」
「……ありがとう。なら、俺も君たちに恥じぬ主にならないと」
背筋を伸ばした。
ふっと息を吐き、鼻からゆっくり吸い込んで胸を膨らませた。
「ジェニファー・ヴォーティガン! 貴殿の剣はその程度か!」
ジニーが駆けた。
「ヴォーティガン卿の教えを思い出されよ!!」
師匠の木剣が嫌な音を立て、弾かれるように手から離れた。
ジニーの剣が師匠の喉仏を捉える。
「……はい、今日はここまで」
両手を挙げた師匠は苦笑まじりにそう言うと、こちらへ振り向いた。
「殿下、そりゃずるいですよ」
「えっ」
「殿下にそんな声をかけられたら、姫様が奮起しちゃうじゃないですか」
「ご、ごめん……?」
師匠は苦笑しながら地面に落ちた木剣を拾い上げた。木剣は真ん中から二つにへし折れていた。
師匠と入れ違いで、木剣を片づけたジニーが駆け寄ってきた。
「殿下!」
「ジニー、おつかれ」
手にしていたタオルを差し出すと、ジニーは汗に濡れた顔のまま嬉しそうに受け取ってくれた。
「殿下、応援のほどありがとうございます。力が出ました」
「ジニーが強いからだよ」
「まあ」
ジニーはタオルで顔をごしごし拭い、それから少し驚いたように目を丸くした。
「強いかどうかはわかりかねますが……私はただ、ヴォーティガン伯爵家の者として、胸を張っていられるようにしているだけです」
その顔を前にすると、俺は何も言えなくなった。
「傍から見たら、ただの人質の娘ではございますが、でも、私は殿下がそう呼んでくださったとおり、ジェニファー・ヴォーティガンです。海より来る脅威を防ぐ防人の一族として、ふがいなくいたくないだけなんですよ」
ジニーはそう言うと、「では、湯浴みをしてまいりますね。おやすみなさいませ、殿下」と丁寧に頭を下げ、夜の回廊へ去っていった。
いつの間にか周囲の兵たちも引き上げ、訓練場には片付けをしている下働きの者たちだけが残っていた。
「俺は、俺は……」
手のひらを見た。
月明かりは差しているのに、俺の手と暗闇の境界はあいまいで、今にも自分自身を見失ってしまいそうだった。
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