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06.春の妖精を追う

 俺――モルドレッド・ドレイクが視察の準備を進めている間、同行するジェニファー・ヴォーティガンも忙しく過ごしているようだった。


 ジニーは以前から、俺の母である第二王妃と専属講師から王妃教育を受けている。視察への同行が決まってからは、その内容も一段と増えたと補佐官から聞いていた。

 ……本人から直接聞いていないのは、俺が彼女に近づけずにいるからだ。

 兄上のことを考えさせてほしくて距離を置いたけど、普通に寂しくて泣きそうになる。

 でも、ジニーに会うと甘えてしまうし、これは自分で考えないといけないことだった。



 俺が悩んでいる間も、ジニーはほとんど変わらない様子で過ごしているように見えた。

 朝晩は稽古に励み、日中は王妃教育を受けたり、母が開くお茶会や社交パーティの支度を手伝ったりしている。

 離宮を取り仕切っているのは母だけど、その大部分にジニーが関わっているから、社交シーズンと視察の準備が重なった今は、ひどく忙しそうだった。

 会場の装飾はどうするか、リネンの種類、食事のメニューに流す音楽、それから依頼する楽団まで。

 ジニーが忙しそうに立ち働いているのを見ると、「頼もしいなあ」と感心する気持ちと、「今はそんなことをしてる場合じゃないだろう!?」という焦る気持ちの間で揺れた。

 そのどちらも、原因は俺や兄上、そして父上にあるというのに。



 兄上は相変わらず、父上にべったり張り付いていた。

 何かと理由をつけて王宮を訪ねるけど、必ず兄上は父上の側にいた。

 ただ一緒に仕事をしているだけじゃない。兄上は付き人みたいに父上へ張り付いていた。

 兄上にだって本来の仕事があるはずなのに、それらは側近や兄上派の貴族たちへ、それとなく回しているらしかった。

 そのうえ兄上は、父上の仕事の半分以上までこなしていた。残りは父上の側近や俺へ回ってきている。

 普段とは少し毛色の違う仕事が増えたとは感じていたけれど、そういう経緯があったらしいと、俺の側近や専属侍女、それから非公式で抱えている調査員たちが調べてきてくれた。


***


 ……俺は、どうするべきなんだろう。

 自室の窓から外を見る。

 春の終わりを思わせる穏やかな風が吹き、窓辺に立つ俺の髪を揺らした。

 ジニー、通りかからないかな。

 何かの拍子に俺へ気づいて、いつもみたいに目を細めて手を振ってほしかった。

 小さくて華奢なのに、剣だこの消えない少し固い手。俺はあの手が大好きなんだ。

 目を閉じて、開いた。

 庭園から、花弁がひらひらと風に乗って舞い上がるのが見えた。

 席に着く。

 頑張ろう。


***


 俺は、各所へ送る手紙を書いていた。

 視察へ向かうから、その旨の連絡と称して、各地域を治める貴族や有力家系へ手紙を送っておく。あわせて、視察道中の護衛を強化するため、母と俺で抱えている軍の警備体制も見直しておいた。


 さらに今回の視察の最終目的地はヴォーティガン領だ。

 普段、ヴォーティガン領との連絡は、手紙なら厳しく検閲されるし、人を送っても父上の息のかかった護衛がつくから、発言にも気を遣う。けれど、視察という名目があれば多少は自由が利くはずだった。

 静かな執務室で、俺は便せんへペンを走らせた。

 視察へ伺うこと、その時期、ジニーが同行すること、最近のジニーの様子。それから……気づけば、視察のことよりジニーについて書いているほうが長くなってしまったけど、仕方がない。それに少し力が入りすぎて、便せんの端を破いてしまったけど、まあ許容範囲だろう。

 書き終えた手紙は、まとめて補佐官へ渡しておいた。


 それから各地域の税収状況を確認したり、父上に専属で仕えている医師へ話を聞きに行ったりした。けれど最近の父上はお元気らしく、医師も特に異変はないと言っていた。

 ……もっとも、それを完全に信じていいのかどうかすら、俺にはわからなかった。




 ある朝、身支度を調えて食堂へ向かうと、浴室からジニーが出てきた。


「おはようございます殿下」


「うん、おはようジニー」


 彼女は軽く頭を下げ、そのまま静かに去っていく。

 ふわふわの髪からは洗いたての石けんの香りがして、思わず振り返りそうになるのを堪えた。


 ……嘘だ。結局、堪えきれずに振り向いた。


 ジニーにはとっくに見透かされていたらしく、彼女は立ち止まって俺を見ていた。

 乾かしたばかりの髪は柔らかく広がり、上気した頬は淡い桜色で、まるで春の妖精みたいだった。

 あーあ。

 本当に妖精ならよかったのに。

 そうしたら俺は、「妖精だから」と自分に言い聞かせて、手を伸ばすのを諦められるのに。

 ジニーは足音もなく、俺の前まで戻ってきた。


「モルドレッド殿下」


「うん」


「覚悟が決まりましたら、私はいつでも殿下のお話をうかがいますわ」


「……うん」


 彼女はやっぱり妖精みたいに、にこりと微笑んで去っていった。

 残された俺は、彼女の髪が廊下の角の向こうへ消えていくのを、立ち尽くしたまま見送っていた。

 窓から風が吹く。

 温かな陽射しは、俺の足元だけを照らしていた。

 なのに、君の笑顔だけはどうしてあんなに眩しく見えるんだろう。

 出会ったころと、何も変わらないままだった。


***


 彼女と初めて出会ったのは、俺が十を少し過ぎたころだった。


 ヴォーティガン領で反乱の兆しを察した父上が、ヴォーティガン卿と再三やり取りを重ねた末、長女である彼女を預かることで、その忠義を信じたと聞いている。

 今となっては、実態がどうであったのか、俺にはわからないけど。

 母から紹介されたときのジニーは、今と変わらないふわふわの明るい髪に、真っ直ぐな瞳をしていた。それに、大人顔負けの落ち着いた挨拶と、差し出された小さいのに剣だこだらけの固い手。

 俺は転がり落ちるように、彼女に恋をした。

 彼女の境遇を不憫に思った母は、ジニーへほとんど俺と同じ待遇を用意した。授業も、ダンスの練習も、衣服も食事も、どれひとつ俺に引けを取らないよう整えられていた。


 俺と彼女は、デビュタントで互いのパートナーを務めた。そのころには俺にも微笑んでくれるようになっていて、嬉しくてたまらなくて、ファーストダンスを終えた勢いのままプロポーズした。けれど、彼女は自分の立場を理由にあっさり断った。それから数年、時折プロポーズしては振られている。


 彼女が断るたび、「私も殿下のことをお慕いしておりますが」と最初に添えるようになったのは、いつからだっただろう。

 俺もだよ。

 誰よりも、君のことをお慕い申し上げている。

 でも、だから。

 君にだけは嘘はつけない。

 ジニーに、


「どうなさいますか、殿下」


 ――と、あの真っ直ぐな瞳で見つめられたら、俺はきっと、覚悟も決めていないくせに、


「やろうか」


 なんて返してしまうんだろう。

 だから、もう少しだけ待っていてほしい。


 俺が腹をくくるまで。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

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