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08.君の手を取った

 暗い訓練場でジニーの背中を見送っていたら、人の気配がして振り返った。

 下働きの少年が俺を見上げている。


「殿下、そろそろ片付けも終わりますので、お部屋へお戻りください」


「あ、ああ」


 踵を返しかけて、もう一度夜空を見上げた。

 さっきまで顔を出していた月は雲に隠れ、その代わりに無数の星が瞬いていた。


 あの星空の中へ、大好きなあの子を自由に放ってやれたらいいのに。

 ジニーが「防人(さきもり)たるヴォーティガン家の者として」というなら、俺はいったいなんなんだろう。


 そのまま立ち尽くしていたら考え込みそうだったけど、そわそわしている下働きの少年に気づき、自室へ向かった。


 月明かりの届かない離宮の廊下は、夜半ということもあってひどく暗かった。

 俺は王国の小さな太陽なんて呼ばれているのに、こんな小さな離宮ひとつ照らせずにいる。

 兄上は王国の小さな太陽から、いったい何になろうとしているんだろう。兄上がその先へ辿り着いたとき、俺と彼女はどうなってしまうんだろう。


「いや、ダメだろ」


 俺が第二王子でいる限り、きっと流されるまま彼女を縛り続けることになる。そんなのは嫌だった。

 部屋に戻り、カーテンの隙間からもう一度夜空を見上げた。

 月は半分くらい、雲から出てきている。


 別に俺に大した野心なんてない。

 ジニーみたいな覚悟もなければ、母上のような度胸もない。

 父上のような経験もなければ、兄上のような胆力もなかった。

 俺にあるのは、地位と諦めの悪さ、それから俺の声に応えてくれる人たちだ。


 なら、やってみるしかないのかもしれない。


 流されて、あの子を失うことだけは耐えられそうにないのだから。



 翌日も、俺は何事もない顔で仕事をしていた。

 離宮の執務室で各地域から上がってきた税収を確認し、数字の少ない地域には人を送って状況を調べさせる。地方の貴族からはやり病の報告も届いていたので、応急の医師団へ回しておいた。


 母上から視察の日程確認が入ったので返事をし、それからまた書類に目を通す。

 片づけるべき仕事は山のように積み上がっていた。

 それでも、気づけば何度も窓の外へ視線が向いていた。

 そのたびに補佐官から苦言を飛ばされたが、ほとんど耳に入っていなかった。



 そんな落ち着かない日々を何日か過ごした、ある日の早朝だった。

 俺はいつもより早起きをした。

 身支度を整えて訓練場に行くと、ジニーが師匠と組み手をしていた。

 今日は迷わず、まっすぐ彼女のもとへ向かった。


「組み手中に悪いんだけど、師匠、彼女とこの場をお借りしても?」


「ああ、構わんよ」


 師匠は俺が訓練用の軽装をまとっているのを見てうなづいた。


「ジニー、剣を持ってくれるかい」


「かしこまりました」


 ジニーもうなずき、いつも訓練で使っている手馴染みの木剣を取り出した。

 朝靄の残る早い時間だからか、訓練場の周囲に人影はなかった。

 師匠も何かを察したのか席を外してくれた。

 いるのはジニーと俺付きの侍女、それから、たぶんどこかで様子をうかがっている母上の間者くらいだろう。


 俺はジニーと向かい合って木剣を構えた。


「三つ数えたら始めよう。一、二の、三」


 数え終えるのと同時に、ジニーが一直線に踏み込んできた。


 先日、彼女と師匠が手合わせしているのを見ていたが、実際に向かい合うとあの剣はもっと速く見える。

 木剣が軽いおかげでどうにか受けきれているが、それでも攻めへ転じる余裕はなかった。

 ジニーはまっすぐに俺を見ていた。

 なら、俺もまっすぐ彼女にぶつかるしかない。

 受け止めた剣を、脚に力を込めて無理やり跳ね返す。

 すぐ次の一撃が飛んでくる。反射的に下がりそうになる足をこらえ、剣で受けた。


 決着は一瞬だった。俺の木剣は弾き飛ばされ、気づけばジニーの剣先が喉元を捉えていた。


「ねえ、ジニー」


「はい、陛下」


 喉元へ剣を突きつけたまま、ジニーは鈴を転がすような声で答えた。


「兄上を失脚させて、この国を俺と君で乗っ取っちゃおうか」


 そういうと彼女は微笑んで剣を引いた。


「承知いたしました。我が力、お使いくださいませ」


 剣の代わりに差し伸べられた手を取る。

 握った手は華奢で細いのに、剣を握り続けた硬さがあった。俺の大好きな彼女の手だった。



 いつの間にか訓練場には朝日が差し込み、兵たちも少しずつ顔を出し始めていた。


「おはようございます、殿下、姫様」


「おはよう。今日もよろしく」


「では、わたくしどもは一度戻りましょうか」


 剣を拾って片付けをしていたら、兵士に呼び止められた。


「殿下、何かいいことありました?」


「うん。あったよ。そのうち君たちにも報告する」


「ついにプロポーズ成功ですか? 盛大に祝わせてもらいます」


「違いますわよ……」


 二人で離宮へ戻り、それぞれ湯浴みを済ませてから朝食をとった。

 母上からも


「二人とも、何かいいことでもありました?」


 と聞かれたけど、笑ってごまかしておく。

 俺からすれば、あれはもうプロポーズを受け入れてもらえたようなものだったが、彼女の中では違うらしい。


 それに、これで終わりじゃない。始まりなのだ。

 

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