04.春の日差しの当たらない場所
ウーサー王への違和感について話した翌日。
早朝の鍛錬を終え、水浴びのあと浴室を出ると、モルドレッド殿下が廊下に立っていた。
「おはようジニー、一緒に朝ごはん食べよう」
「おはようございます、殿下。喜んでご一緒いたします」
殿下は力の抜けたように、ふにゃりと笑った。
目の下にはクマがあって、顔は青白い。
私は傍にいた侍女に目配せをした。
優秀な侍女はすぐに意図を察し、足早に厨房へ向かっていった。
「なに?」
「殿下、こちらへ」
モルドレッド殿下の腕へそっと手を添え、私は離宮の庭へ歩き出した。
庭の一番奥にあるガポゼには、三人掛けのベンチと楕円形のテーブルがひっそり置かれているだけだった。
その奥には細い人工の川が造られていて、水音を立てながら静かに流れていた。
ベンチの真ん中に、私とモルドレッド殿下は並んで腰を下ろした。
「ジニー?」
「静かな場所がよいかと思いまして」
「……うん。悪いね、気を遣わせて」
頭半分ほど高い位置にある殿下の顔を、静かに見上げた。
下がった眉、不安げに引きつった口角、そして潤んだ緑の瞳。
「構いませんわ。いつもルディが、私にしてくださっていることでしょう?」
「キスしていい?」
「ダメです」
殿下は困ったように、小さく首をかしげた。
そんなかわいいことをしてもダメ。
だって、後ろから侍女たちの足音が近づいてきていたのだから。
「まずは朝ごはんをいただきましょう。お腹が満たされたら、お話を聞かせてくださいな、殿下」
「うん、俺、お腹空いちゃった」
「私もです。今朝の訓練は、一段と厳しかったんですのよ」
「その話も、あとで聞かせてくれ」
「よろこんで」
侍女たちが、白いクロスのかかったテーブルへ朝食を並べていく。
肉をたっぷり挟んだサンドイッチに、ハムとチーズを添えたサラダ。冷えた牛乳と、彩りの良いフルーツ。
「……ずいぶん、大盛りだね」
「そうですか?」
苦笑する殿下に笑いかけた。
「元気がないときは、肉ですよ」
「君を見てると、ヴォーティガン家の令嬢なんだなって実感するよ。……頼もしい」
殿下は苦笑しながら手を伸ばし、一番大きなサンドイッチを選んだ。
***
「ジニーは兄上の能力がなんだか知ってる?」
朝食の後、隣へぴたりと並んで座る私にしか聞こえないほど小さな声で、殿下が言った。
「はい、『扇動』ですよね。臣下や兵を鼓舞したり、誘導したりできるとうかがっております」
私のぼかした言い方に、モルドレッド殿下は小さく頷いた。
殿下は少し背を丸め、川の流れを目で追っていた。私もつられるように、水面へ浮かぶ葉や、ときおり銀色に光る小魚を眺める。
「……そうだ。扱いの難しい能力だけど、応用はいくらでも利くらしい」
「応用ですか?」
「うん。たとえば個人へ使って、意のままに操ることもできる」
穏やかだった朝の空気が、一気に剣呑なものへ変わった。
思わず殿下の横顔を見たけれど、彼は無表情のまま川面を見つめていた。
「あの、それは」
「ジニーが昨日言っていただろ。部屋に香りがしていたって。たぶんあれは、妖精の香りだ」
言葉が出なかった。
あんなふうに部屋中へ香りが満ちるほど、能力を使ったというの?
同時に、だから殿下には匂いがわからなかったのか、とか、あの部屋にいた執務官たちも、すでに影響下に置かれているのか、とか、次々に嫌な考えが頭をよぎった。
「昨日あの後、俺の補佐官と謁見の間に戻ったんだ。補佐官も同意見だった」
殿下は相変わらず、川の流れへ視線を向けたままだった。
膝の上の手は、指先を絶えずいじっていて落ち着かない。
ようやく口から出たのは、毒にも薬にもならない相槌だけだった。
「……左様でございますか」
なんとか出てきたのは毒にも薬にもならない相槌だけだ。
「殿下」
「うん」
囁くような返事を聞きながら、私は次の言葉を探した。
背筋を伸ばす。
「モルドレッド殿下、どうなさいますの」
「どうって……?」
「もし殿下のおっしゃるとおりだとして、アーサー様は何をなさりたいのでしょう」
「えっ」
殿下がはっとしたように私を見た。
私は手を伸ばし、目へかかっていた白金の前髪を指先で払った。
深い緑の瞳が丸く見開かれ、その奥へ私の姿が映る。
あなたの瞳に映る私が、きっと世界で一番美しい。そう考えると、少し嬉しくなる。
「だって、そんなことをなさらなくても、アーサー様の王位継承はほとんど確定しているではありませんか」
「たしかに」
曇っていた殿下の瞳へ、ふっと光が戻った。
殿下はまっすぐに私を見つめ、何度かゆっくり瞬きをした。
「ジニー、俺と来てくれ。もう一度、ちゃんと確認しよう」
「承知しました。いつにいたしますか?」
張りつめていた殿下の表情が、ふっと緩んだ。
伸びてきた手が、私の頬へやさしく触れる。
白金の髪が揺れ、近づいた顔が静かに私の額に触れた。
さらさらと川の流れる音がする。
そのとき、一際強い風が吹き抜けた。木々がざわめき、触れ合っていた体がゆっくり離れる。
「今日は作戦会議だ。兄上に会いに行く口実を考えよう」
「はい。では、そろそろ戻りましょうか」
腰を浮かせかけたけど、モルドレッド殿下に手を引かれた。
「もう少しだけ休ませて。ほとんど寝てないんだ」
「少しだけですよ? 殿下には、やることがたくさんお有りなんですから」
「うん、ありがと」
座り直した途端、殿下が力を抜くようにもたれかかってきた。
隣り合った手の甲へ、殿下の指先が静かに重なった。
目を閉じると、殿下の髪から私と同じ石鹸の香りが漂ってきた。
***
数日後の昼過ぎ、私とモルドレッド殿下は再び謁見の間を訪れていた。
とはいえ、今日は正式な訪問ではない。だから裏手から静かに失礼させていただく。
モルドレッド殿下と補佐官、私、それから私付きの侍女の四人で、足音を殺しながら国王陛下とアーサー殿下の様子をうかがった。
今は他の貴族と歓談中らしく、私たちは物陰で会話が終わるのを待っていた。むせ返るほど濃い香りが漂っていて、そんなはずはないのに、香が目へ染み込むような感覚に何度も瞬きをしてしまう。
私付きの侍女が静かに目配せを寄越す。私は小さく頷き、乾いた喉を潤すように唾を飲み込んだ。
モルドレッド殿下も口をきつく結び、アーサー殿下の背中を鋭く見つめている。モルドレッド殿下の補佐官が書類を持ち直した。
貴族が退室し、アーサー殿下が振り向く。
「やあ、モルドレッド。それにヴォーティガン嬢も。今日は訪問先の貴族たちの嗜好についてだったね」
モルドレッド殿下と共に会釈し、補佐官が貴族の一覧を差し出した。
主に話すのは私。その間、モルドレッド殿下には『抑制』をわずかに発動していただく。国王陛下へあっさり効果が及ぶか、能力に気づかれれば白。逆に抵抗されたり、気づかれもしなければ黒だった。
「手土産として輸入されたばかりの茶葉を考えておりますが――」
「いいね。でも隣の領なら、茶葉より香辛料のほうが喜ばれるかもしれない。男爵は食道楽でね」
「男爵婦人の好みはご存知でいらっしゃいますか?」
私が話している間、補佐官が内容を逐一モルドレッド殿下へ囁いているはずだった。だから急に話を振られても対応できるし、どうしても取り繕えなければ――
「すみません、ジニーに見とれていて聞いてませんでした……って言うから」
と言うそうだ。
それは、本当に最後の手段にしていただきたい。
王族が口にしていい言い訳ではないと思う。
やがて、こちらからの確認は一通り終わった。
「モルドレッド殿下。殿下からご確認はございますか?」
「……ああ、俺からは大丈夫」
モルドレッド殿下が、わずかに間を置いてからゆっくり頷いた。
それが、確認は済んだという合図だった。
「そう、ならよかった」
アーサー殿下は小さく頷いて、踵を返した。
その瞬間、香りがさらに濃くなった。
私たちは静かに頭を下げ、その場を退室した。
王宮の廊下を、誰も口を開かないまま離宮へ向かって歩いた。
外は春の日差しに満ちているのに、日の差さない廊下は妙に薄暗かった。隣を歩くモルドレッド殿下が、どんな顔をしているのかよく見えない。
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