第25話:真白/天空に届く神の瞳
「――定刻通り。さて、返答は?」
立ち入る者などない夜の山。頂上付近の広場にて神崎彩華は真白達に問いかける。彼女の質問には遊びがない。指定された場所、指定された時間に到着後僅か五秒の出来事だった。
「そうね。色々考えたけれど――やっぱり、渡せない。私の腕は、私のものよ」
珍しく、本当に珍しく、神崎彩華は笑った。
「ふふ、いいな。いいよ、長手瑠羽。譲れないものがある人間は好きだ。腕だけでなく、お前もいただこう」
「勝手なこと言わないで。私は、私のものだから」
ルウは睨むように、神崎彩華を見据えている。
「その『私』が、目指すものはあるのか? ……お前が、その腕が。何のために生み出されたか、わかってるのか? ――お前は何のために、生きている?」
挑発するように、矢継ぎ早に繰り出される神崎彩華の言葉。一瞬、表情を曇らせるルウ。きっと、彼女は理解しているのだろう。自分が何のために造られたのか。腕を取り戻したいという意思は、何の――誰のためなのかを。
「……今それは、関係ないでしょう? 私は、どうしたらあなたが諦めてくれるのかを知りたいわ」
「単純なことだ。私を倒してみろ。その力があるならば、対等だ。管理下に置く必要はない」
神崎彩華の答えは、真白達が事前に予想した通りの回答だった。むしろ、それに乗ってくれたのだろう。その気になれば彼女はもっと容赦なく、ルウを奪うことができる。
「――そう。わかったわ。これは契約よ。私が勝ったら、あなたは私をあきらめる。あと、こちらは、真白くんの力を借りるけれど、構わないかしら?」
流石に一対一ではルウに勝ち目がない。
「構わんよ。化野――護の方は、手を出さないのか?」
神崎彩華は養父に視線を向けた。
「初めに一度だけ手伝いをさせてもらうよ。それ以降は二人に任せる。――君にも『神眼』を貸すと約束したのだから、それくらいは良いだろう?」
「……なるほど、な。いいだろう、好きにしろ」
神崎彩華は言葉と同時、天空を見上げた。この山周辺は一帯が立ち入り禁止になっており、どうやら彼女の私有地らしい。頂上付近は整地されているが、人気は一切ない。もうすぐ深夜に差し掛かろうという時間帯で、頭上には星が瞬いている。
「――さて、では始めようか」
養父は――化野護は眼鏡を外すと、神崎彩華と同じように空を見上げる。その瞳は明らかに尋常でない、神秘の輝きを放っていた。
真白は深呼吸をすると、神器の発動準備を整える。ここから先は一瞬の勝負になるだろう。人類最強と呼ばれる化物。躊躇う暇はなく、留まる隙間もない。呼吸すら何度できるか分かったものじゃない。
「顕現。――天空神の神眼」
化野護が言葉を紡ぐ。真白は昨日、彼から聞いた逸話を思い出した。天空神ホルス。その瞳は、あらゆるものを見通し、そしてあらゆるものを癒す力を持つ。彼の瞳に宿っているのはその力らしい。つまり――。
「見えた。――これで、解呪できたはず。ルウさん、すぐに接続を」
衛星軌道上に攻撃は届かない。唯一地上から星に届くのは『視線』のみ。これは、先日真白が衛星を石化した時にも証明されている。であるならば、その『視線』に癒しの力があったなら、熱を失ったその機械の星は、元の姿を取り戻すはずだ。
「ええ。既に経路は繋いでいる。あとは――――天空の擬星よ。再びその力を取り戻せ! 『攻撃衛星ブリューナク』、再起動!」
ルウは機械仕掛けの右腕を掲げ、空に浮かぶ衛星に向け命令を下す。再起動にはしばらく時間がかかる。ならば――その隙間を埋めるのは真白の仕事だ。
「ハルパー、起動」
一旦、顕現は行わない。伝承に刻まれた奇跡を一時的に呼び起こすのが顕現であるが、その奇跡の分魔力の消耗は激しい。タイミングを選ばないとすぐに枯渇してしまうだろう。
「不死殺しの湾曲剣か。――私に対して特攻となる神器だな」
五百年の時を生き続けている神崎彩華は薄く笑みを浮かべながら、長刀を抜く。残念ながら真白は剣士としては素人で、明らかに手練れの動きをしている彼女と正面から戦えばまず勝ち目はないだろう。
「ハルパーは数少ない神さえ殺しうる武器だ。貴重な神器とその使い手だからな、殺さずにおいてやる」
「それは……ありがたい、なっ!」
真白は力いっぱいハルパーを振り下ろす。ただの剣ならまだしも、湾曲した剣であり扱いが非常に難しい。おそらくこうやって振り下ろすような武器ではないのだろう。当然、神崎彩華にはあっさり避けられる。
「その程度か。なら手足を落とすぞ」
神崎彩華は恐ろしいことを言いながら、真白の足元に向けて刃を振るう。手加減や容赦は一切ない、足首を切断する一撃。回避は不可能。真白は一瞬で回避を諦め、盾を発動させる。
「アイギス!」
真白は足元に輝く力場を形成する。こちらも顕現はしない。神崎彩華の持つ刀は間違いなく業物ではあるが神器ではない。神の盾なら十分防ぎきれると踏んだのだ。
キン、と乾いた音を立て、光の盾は刀を受け止めた。その様子を見るなり神崎彩華は真白から距離を取り、刀を鞘に納めた。
「兼定でも傷一つつかないか。やはり人の手による武器で神秘を破るのは難しいな」
おそらく古刀なのだろう。見る限り力を秘めた刀だと想像できるが、それでもあくまで作り手は人だ。神秘を秘めるには至っていない。
(これなら……勝機もあるか?)
養父曰く、神崎彩華が最強と言われる最大の理由は、その防御力にあるという。戦車砲や爆弾、猛毒やミサイルですら傷一つつけられないらしい。おそらくアイギスと同等かそれ以上の防御。だが、その分攻撃を刀に頼っているのであれば、今の真白には通用しない。盾で時間を稼ぎ、ルウの攻撃衛星が起動すればあるいは。
「――わかりやすいな。経験不足だ。想像で過小評価はしないほうがいい」
真白の思考が一瞬逸れた瞬間、神崎彩華は刀を地面に放り捨て、駆ける。特殊な移動法なのか、あるいは何らかの異能か、真白の予想を超えた速度で、彼女は目の前まで移動していた。そして。
「――剣よ」
呟きと同時、彼女の右手に、金色の剣が現れた。
「――アイギス!」
真白は再び盾を呼び出す。ギリギリだが、斬撃には間に合った。集中を切らすなんて未熟だ、と己を恥じる。だが――。
「油断しすぎだ」
振り下ろされる金色の剣。真白の眼から見ても段違いの神秘に溢れたその刃は、不完全なアイギスなど障壁にもならないと、何の抵抗もなく真白の身体を切り裂いた。
溢れる血液。肉が切れる音はなく、まるで解けかけのバターのような滑らかさ。
疑問の声も油断の後悔も発することなく、真白はその場に倒れこんだ。




