第22話:瑠羽/今を生きる伝承
「……神崎、彩華」
ルウは思わずその名を繰り返す。五百年前に滅びた国の、生き残り。現代においてもなおその妄執に突き動かされる、文字通りの生ける屍。その女性が、間近にいる。
顔の造形は人間味を感じさせない程に美しい。精巧な人形のようで、表情の変わらなさも人工物を想起させる。長身をパンツスーツに包み、長い髪は無造作に流している。そんな飾り気のない格好でさえ、浮世離れして見えた。――ただ、腰に帯びた長刀が、彼女の本質を表している。
ルウはひとまず、真白の『キビシス』から這い出して、彼を庇うように立つ。何せ彼はもうボロボロで、しかもその原因はルウを助けるためで。今度はルウが守るターンなのは明白である。とはいえちょっと不公平すぎる。彼の相手は神秘を秘めていたとはいえ人と人工物で、今立ち塞がっているのはかつて神を殺した化物だ。
神崎彩華はルウ達を一瞥すると、目線をスオウに向けた。目線を向けられたスオウはびくりと背筋を震わすが、すぐに口を開く。
「ま、まて。魂がないと、死返玉が使えない、というのは、本当なのか?」
先ほど神崎彩華が言っていたことだ。死者蘇生の神器は、その魂が残った死亡直後しか使えないという。
「あぁ。アレは死者蘇生を可能とする審議ではあるが、魂の修復や複製ができるわけではない。身体から離れた魂を呼び戻し、再び肉体と結びつけるだけのものだ。――数日程度なら呼び戻す余地もあろうが、年単位であればお前の妻の魂はすでに輪廻に向かっているだろうよ。魂の保存を行うような神器でも使っていない限りは無理な話だ」
魂を保存する、魂を呼び戻す、と言った道具もないわけではないが、死者蘇生と同様、神話に出てくるような貴重品だ。少なくともその辺で手に入るような代物ではない。
「そんな……ならば、私は一体、何のために……? これから、どうしたらいいのだ……?」
崩れ落ち、頭を抱えるスオウ。――ここ数年の努力がすべて無意味だったと知ったからだろう。ルウの立場からすれば何一つ同情の余地はないが、心情としては理解できる。
「……さてな。ただ、少なくとも妻の死後、絶望することなく進み続けたのだろう。ならばその足跡がどうだったか、振り返ってみるといい。――まぁ、私を殺そうとしたのだから、報いは受けてもらうが」
スオウはまだ動けないようだ。神崎彩華は長刀を抜き、その刃をスオウの首元に添えた。
「次の世で、妻との再会を祈るといい」
神崎彩華の動作に躊躇いはない。刀の扱いにも淀みなく、スオウの首など容易に落とすだろう。彼には恨みしかない。止める義理はない。これで決着がつくなら願ったり叶ったりだ。腕の回収方法は考えなくてはならない。研究のことを知る関係者や、彼の家族などはいるだろうか。ルウがそこまで考えた時、ふと、思い当たる。
「――――あ」
声が漏れた。前に、スオウから事情を聴いた際、本当に一言だけ出てきた、その言葉が思い出される。
「……あなた、娘がいるって」
ルウの言葉で、スオウは思い出したように口を開いた。
「……あぁ。だが、しばらく会っていない。妻の両親の元に金と共に預けて、それっきり――」
ルウはスオウの言葉を遮る。
「それでも。お母さんが亡くなっているなら、たった一人の親でしょう。――まだ、やれることはある」
ルウの父は、いない。遺伝子上の父親はもちろん存在するわけだが、少なくとも彼女は会ったことがない。彼女は神器を身に宿すために造られた存在であり、両親は再現のために必要な存在であったに過ぎないのだ。
――だが、ルウの母は、親らしくはなかったが、彼女と共に生きることを許し、彼女なりに愛情を注いでくれた。腕を失い、価値を失くしたときも、母の態度は変わらなくて。それが、何よりも嬉しかったのだ。だから。
「きっと、寂しかったはずよ。いなくなった穴を無理やり埋めるのではなく、それを認めて共に生きてあげてほしい。――神崎、彩華さん。彼がやったことは間違いなく悪いことだけど、彼の死で悲しむ人はいる。腕を斬られた私が許しているのだから、あなたも譲歩してくれないかしら。実質被害はなかったでしょう?」
ルウの言葉に、神崎彩華は少しだけ考えるように表情を変え――すぐ刀を鞘に納めた。
「――貸しだ。あの衛星を造った技術は私の利益になりうる。必要な時に声を掛けるから覚悟しておけ」
そうスオウに告げ、彩華はルウへと向き直る。
「さて。あの槍は回収が困難ではあるが、不可能ではない。――そして、アレは私を害しうるものだ。長手瑠羽。太陽神の再現よ。こちらで預からせてもらうが、良いか?」
当たり前のように神崎彩華は言い放つ。当然、ルウとしては受け入れられるわけがない。
「……良いわけないわ。私の腕よ」
「そうだろうな。――では、力ずくだ」
再び神崎彩華は刀を抜く。正直言って、ルウには彼女を倒す力は全くない。切り札となりうる右腕ははるか上空で石の中に埋まっている。状況を考えれば諦めるべきなのだが――それでも、譲れないものはある。たとえ相手が誰であろうとも。
「……ルウ、俺も、手伝うよ」
倒れていた真白が起き上がる。身体はボロボロで、血の跡が顔中に広がっているが、先ほどよりは回復したらしい。
「……寝ていて、と言いたいところだけど――残念ながら私ひとりでは太刀打ちできないわ。手伝ってくれると、助かる」
「任せろ」
これで戦況は改善された。何せ真白の持つ神器は、文字通り化物退治にうってつけのものである。うまく使えば真白自身とルウをこの窮地から生還させることも不可能ではないだろう。
「……ペルセウスの再現か。生きていたとはな。あの時、殺されたかと思っていた」
「……あの時?」
神崎彩華は真白を見て呟く。どうも彼のことを知っているような口ぶりだ。
「そうだ。聞いているか? お前が造られた施設は教会によって殲滅させられた。生き残りはゼロ。そう聞いていたのだが……生存していたとはな。しかし、ハデスの兜を使ったにせよ、何の伝手もない子供が私から隠匿され続けているとは思えん。――協力者がいるな?」
ルウにとっては初耳だったが、どうも真白には心当たりがあるようで、明らかに表情が変わった。
「なぜ、そんなに詳しく知っている?」
真白は質問には答えず、問いを返した。
「当然だろう。あの施設を――お前を造らせたのは、私だからな」
「え……?」
真白は珍しく、気の抜けたような声を漏らした。
「……それは、本当か? なぜ、そんなことを?」
「――私は神器を集めていてな。色々な理由から狙われることが多い。強力な神秘を纏ってはいるが、同じ神秘相手であれば、相性が悪ければ覆される。だから、盾が必要だった。必殺の槍さえも防げる盾が」
真白がルウを見た。彼女自身も、創られた存在だ。つまり――。
「――二十年ほど前、太陽神ルー、その槍の再現を目論んでいる情報を得た。私を殺すためにな。私はそれを聞いて、対抗策として女神アテナの持つ最強の盾の再現を計画した。その結果生まれたのがお前たち二人だよ」
「な――――」
真白が絶句している。……当然だろう。ルウを助けようとしている彼は、ルウに対抗するために、生み出された存在だったのだ。
「さて、どうする? 私を守るために生み出されたお前は、私を倒すために戦うか? ……それが、できるか?」
青ざめた表情の真白。それはそうだろう。彼の存在理由。それを否定する行為だ。そして――ルウ自身の生み出された理由も初耳である。……神崎彩華を殺すために生み出されたのであれば、彼女に殺されるのもまた道理なのかもしれない。
ルウと真白が混乱で呆然としている、そんな時。
「――若者をいじめないで下さいよ、彩華さん」
涼し気な声が、夜に溶ける。暗がりから、照明の元に現れたのは、眼鏡を掛けた男性だった。
「――養父さん」
「や、真白。間に合ったようで何よりだけど……なかなか面倒なことになってるようだね」
場の緊張感を受け流すように、真白の養父は微笑んだ。




