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第2話:真白/路地裏で出会った魔女

 化野真白(あだしのましろ)は、ぼんやりと窓の外を見ていた。クラスメイト達の喧騒が響く教室内だが、彼にとって今重要なのは、この後の天候だった。分厚い雲が空を覆っているが、予報だと雨は降らないらしい。


「お、どうした真白? ぼーっとしてるのはいつものことだけど、いつにもましてボケてんな。寝不足か?」


 クラスメイトの支倉奏斗(はせくらかなと)が声を掛けてくる。彼はクラスの中心的存在で、やや口調は乱暴だが、整った顔立ちと人懐っこさで男女問わず人気がある。


「奏斗。いや、睡眠は取ってるよ。ただ、今日は夜遅くまでバイトなんだ。傘を持ってきていないから、雨が降ると面倒で」


 真白はあまり金銭的に余裕がない。彼には両親がおらず、養父となる男性に引き取られていた。同居はしておらず、彼はアパートを借りて一人暮らしをしている。高校生が一人暮らしをするに十分な費用は養父から貰っているが、できる限りそれに甘えることはしたくないと思っていた。


「そか。まぁ無理すんなよ。お前のバイト先って、あの路地にある怪しい飲食店だろ?」


 奏斗の言葉に真白は眉をひそめた。別に法に触れるようなことはしていない。


「――怪しいは偏見だ。食事は美味いし、店長もお客さんも良い人だぞ」


「いや、見た目と立地がな……まぁいいか。最近あの辺の無人ビルに明かりが灯ってるって噂があるからな。変な奴に絡まれんなよ」


 奏斗は人脈が広いだけに情報通だ。


「気を付けておくよ。さ、そろそろ次の準備をしよう。数学、当たるだろ奏斗」


「やっべ、今日二十七日か。……しかし、いつも思うんだが、出席番号三十一番以降のやつって得じゃね?」


 数学の教師は日付と同じ出席番号から当てていく習性がある。きちんと予習しておかないと大変だ。


「その分、二週目では三十番台から順に当てるし、そんなに差はないと思うよ。さて、午後も頑張ろうか」


 真白には十歳より前の記憶がない。両親のことも覚えておらず、気づいたときには一人ぼっちだった。養父に拾われていなければ野垂れ死んでいただろう。――だからこそ、この日常が本当にありがたい。勉強も、クラスメイトとの交流も、アルバイトも。すべてが彼にとって大切だ。


「……こんな日が、ずっと続くのかな」


 何の不満のない日々。だが、真白は日々に物足りなさを感じている。何かが欠けているような、どこか空虚とさえ覚える日常。――失われた記憶と共に、熱も失くしてしまったらしい。心がずっと冷めている。


 きっと無意識に、心が何かを探してるんだろう。路地裏でバイトをしているのも、そのせいだ。――あそこは、非日常へと続いている。そんな気がするから。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「すっかり遅くなってしまった」


 バイトは二十二時で終わりだが、そのあと賄いを頂いて雑談をしていたものだからもう二十三時近い。早く帰らないと明日の学業に支障をきたす。それどころか警官に見つかれば補導されかねない。


「……こっちからの方が早いな」


 何かに導かれるように、普段は避けている裏道を通る。バイト先の店からさらに奥。近道ではあるが、夜通るのは避けるように言われていた。大通りの喧騒はここまで届かない。一瞬足が止まった。……何か、嫌な気配がする。一瞬躊躇(ためら)うが、まだ宿題も終わっていない。少しでも早く帰らなければ。その気持ちが足を前に進めていく。


 ──いや、正確には。進むための言い訳を探していたんだろう。


「……う、何だ?」


 足を進め、ある一点を超えた瞬間、違和感が体を襲う。――まるで、別の世界に迷い込んだかのような感触。やはり引き返そうか迷っていたところに、がしゃん、と物音がした。真白は物音の方向に目線を向ける。そこには――。


「――――っ」


 漏れそうになった声を必死に隠す。暗がりなのでよくわからないが、人らしきものが、蛇に首を嚙みちぎられ、ビクン、と痙攣している。そして――その蛇は、黒髪の少女の右腕から生えていた。


 訳が分からなかったが、真白はその場から駆け出す。見てはいけないものを見てしまったと、明らかにわかる。別世界へ踏み込んで、バケモノを見てしまった。これが疲れからの幻覚であってくれと願いながらも足は止めない。少女はこちらに静止の声を掛けるが、それなりに距離はある。だが――。


「ぐっ!」


 背中を思い切り鈍器のようなもので叩かれたような衝撃。少女からはまだ離れているのに、何らかの攻撃を受けたらしい。呼吸すらできず、真白はその場に倒れこんだ。


 逃げないと。あの人影みたいに、殺される。その言葉を裏付けるように、少女の声が路地裏に響いた。


「――私はあなたを、殺さなくてはならない」


 冗談じゃない。真白は叫びたくなったが、先ほどの衝撃で声がまともに出せない。身を起こし、声の方向を見る。そこにいたのは――。


 肩にかかるほどの黒髪。務めて表情を殺しているのだろうが、隠しきれない感情が眉に現れていた。小柄で華奢な、同世代くらいの少女。その右手は銀色に輝いていて、生来のものではないことが伺える。


 死神がいたら、こんな風なのかもしれないと真白は思った。


「――せめて、痛みは最小限に。望むなら、死ぬまでも、それからも、恨み続けて頂戴」


 少女の言葉と共に、銀色の輝きが真白の首元に添えられる。まだ声は出せない。ただ、間近で見た少女の姿は、恐ろしさよりも美しい、という感情が勝ってしまい。


(――こんな最期は、悪くないのかもしれない)


 そう、思ってしまった。――振り返ってみると、その正気とは思えない感情が、真白の今後の人生を決定付けたのだと言えるのだろう。


 首元に小さな痛みが生じ、何か、知らないモノが体内に入り込んでくるのを感じる。少女が何か言っているが、意識が朦朧として聞き取れない。力が抜け、最後に空を眺めた。


 雲の隙間に、丸い月が、見えた。


 それが、化野真白の最後の意識。幸い、痛みはほとんどなく、眠る様に息を止めた。


◆◇◆◇◆◇◆◇


「…………あれ?」


 空を見上げると、月は雲に覆われていた。時計を見ると、店を出てから一時間近くが経過している。


「…………さっきのは、夢?」


 疲れすぎて倒れたのだろうか。寒い季節なのに、全身汗でぬれていた。真白は恐る恐る首元に触れてみる。傷はなく、瘡蓋(かさぶた)のように固まった血が付着していた。


「……どこかに引っ掛けたのかもしれない」


 身体に違和感はあるが、思ったより気分はいい。まるで――生まれ変わったような快適さ。倒れて眠ったことで寝不足が解消されたのだろうか。他に怪我をしているような様子もない。


「とりあえず、帰ろう」


 明日も学校だ。帰って風呂に入り、予習をしなければ。夢の中で少女に出逢ったビルの近くまで歩いてくると、ガラスが地面に飛び散っていた。


「ここで倒れなくて良かった」


 ビルを見上げると、三階の窓が割れている。古い雑居ビルのようだし、ガラスが割れていること自体は違和感がない。だが――。


「外に飛び散ってるってことは、中から何かが飛び出してきたってことかな」


 そんな危ないビルには近寄らないに限る。……なんだか、青白い光が灯っているような気がするし。


 夜の闇の中を歩く。脚は軽快だ。まるで空でも飛べそうなくらいに。


 真白自身。あれが夢ではないことはわかっていた。――むしろ、今までの日々が、夢みたいなものだったと。頭ではなく身体で、理解していたのだ。

基本的に少女視点/少年視点を交互に描いてます。


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